僕が育星舎に入ったのは2歳2か月の時だそうです。
しかし僕はその頃の事はうっすらとしか覚えていません。
たしか積み木を数えたり、穴の開いた板に黒い紐を通したりしたなぁ…という感じです。
その時は岩田先生、梅田先生に教えていただきました。
そしてその後の1年生から3年生の頃の事はまだ記憶に残っています。
算数では友達と計算の競争をしたり、佐藤先生に図形の問題を教えてもらったりしました。国語ではK先生に漢字や文章の書き方について教えてもらいました。
どちらの授業も楽しく、塾へ行くのがいつも楽しみでした。
4年生から6年生までは算数は入江先生、国語は小林先生。
理科は笠間先生やN先生、八木先生、社会は西田先生に教えていただきました。
特に算数・国語・理科では入江先生、小林先生、金先生に個人指導を受けたり、算数・国語の洛星対策を受けたりしました。
洛星対策では約20年分の過去問に取り組み、まさに「傾向と対策」の授業でした。
途中で計算ミスや漢字の間違いが増えてきた時期もありましたが、その度に先生方に助けてもらいました。
ぼくは物心ついた時から「洛星に行きたい!」という気持ちを強く持っていましたが、塾の先生方のおかげでその夢をかなえることができました。
中学生になった後も育星舎で学びたいので、これからもよろしくお願いします。
そして、今まで本当にありがとうございました。
(育星舎注: K先生、N先生は今は退職しておられます。)
育星舎を初めて訪れたのは、息子がまだ歩きもしない10か月の頃でした。
近くに主人の実家があり,たまたま育星舎の説明会のチラシが入っていて、「どんなものだろう?」と軽い気持ちでうかがいました。
説明会の内容は、指を使うことが脳の活性化につながるということで、とても興味深く楽しそうな内容でした。
先生が「お子様は何年生ですか。」とお尋ねになり、「10か月です!」とお答えしたときには、すごい教育ママが来たと思われたようです。
「お子様が言葉を理解する2歳になられたらもう一度いらしてください」と言っていただいたので、待ちに待って2歳2か月からお世話になることになりました。
積み木やパズルで学ぶマナ英才学院に通い始めて、息子は本当に楽しそうでした。
ノートルダム学院小学校の受験の時も、全くあわてることなく合格へと導いていただきました。
まだ息子が乳児の時にどうして私が塾さがしを始めたのかと言うと、私の父が洛星の卒業生、主人も同じく洛星の卒業生だったこともあり、「男の子が生まれた時にはきっと洛星ね」という周りからのプレッシャーが積み重なり、これは避けては通れないと思ったからでした。
「洛星の良さは勉強もさることながら、人間形成にとても役立つ学校だった」と口癖のように言う父のもとで育ったこともあり、私のなかで10年計画の受験がはじまりました。
でも「洛星に進学させたい」という気持ちとは相反して、「受験だけにとらわれては、もし合格をいただけなかったときに息子はダメになってしまうのではないか」と考えました。
それならば、「『受験は一つの通過点』と感じるくらいに、考える事自体が大好きな子に育てたい、考える事を面白いと感じる子に育てたい」という大きな理想を掲げました。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、体感型学習で楽しく学んでいけるマナ英才学院は私の理想の教室でした。
当時から佐藤先生をはじめたくさんの先生方にご指導を受け、どんどん学ぶ楽しさを感じ、学習に興味を持ってきたことは今も印象に深く残っております。
初めて受けた三年生の四谷大塚の模擬試験では、「ぼく100点とれてないと思う」と挫折感をもって帰ってきました。
学校の試験とはちがって、模擬試験での得点の難しさを感じたようでした。
私としては、「模擬試験では半分得点できれば十分」と思っていたので、「息子にそれほど高い意識が芽生えているのか」と嬉しく思ったのを覚えています。
その時は京都府内で1番という結果をいただき、楽しいだけじゃなく、「やればできるんだ!」という意欲が湧いてきたようでした。
その一方で、5年生までは週2日の授業だけで、ゆったりと過ごすことができ、小学生らしい日々を送ることができたのも、今思えばありがたい時間でした。
6年生になって、通常授業のほかに入江先生をはじめ金先生、小林先生に個人指導をお願いし、充実した受験勉強が本格的に始まりました。
受験を経験している主人も、「息子のすぐそばでみていただけること、息子本人が『自分自身で勉強をする時間』を持つことが大切」と考えていたようで、個人指導と演習は理想のスタイルでした。
そしてお友達にも恵まれ、「みんなで洛星に行こう!」と同じ志望のお友達とグループで受ける洛星対策授業がとても楽しい様子でした。
また夏期講習や冬期講習のときには、先生方が近くの公園へ連れて行って下さったそうです。
気分転換も考えていただきながら、大好きな先生方と1日中学習をすることができ、息子にとって毎日が非常に充実していたようです。
女性の佐藤先生や八木先生には、ちょっとした会話でも、優しく接していただきました。
改めて息子に「入江塾のどんなところがよかった?」と聞くと、「先生がぼくたちの気持ちをわかってくれるところ!」と答えました。
秋になると模擬試験が目白押しとなり、さすがに緊張感が増してきました。
息子も幼い時とはちがい、「結果を出さなければ」と思えば思うほど、初歩的なケアレスミスが目立つこともありましたが、そんな時も先生方は息子を追い詰めること無く、「落ち着いて、自信を持って!」と常に励ましてくださいました。
初めに申しました通り、息子にとって受験は避けられない環境にありました。
6年生のときには、おそらく「私がしゃかりきになる→息子は嫌がる→楽しくない→勉強したくない→私がますますしゃかりきになる」というマイナスのスパイラルはある程度避けられないだろうとイメージしていましたが、結果は予想に反して最後の最後まで息子は「楽しい、もっと塾に行きたい!」と言い、恐怖心や不安感を持つことなく受験まで明るくいてくれたのは、親として何よりありがたく、うれしい誤算でした。
洛星対策では20年分にわたる過去問を課題として与えてくださったそうで、息子にとってそれに取り組んでいくのは容易ではなかったはずと思いますが、本当に育星舎の先生方の粘り強い、温かなご指導の下で、苦痛にも思わず自信をつけることができたのだと思っております。
最後に、このたび洛星中学の合格に導いて下さり、育星舎の先生方には深謝申し上げますとともに、息子本人も、祖父、父、そして何より入江先生の後輩になれたことを心より喜んでおりますことをお伝えして、親としての合格体験記とさせていただくことにします。
6年生になってから、有名な大手塾からこの入江塾に変えて、洛星中学に合格しました。
入江先生の許可を得て、その大手塾の7月の公開模試(年間申込みをしていました)を受けたところ洛星中学合格判定で良い結果が出ました。
夏休みの間に有頂天になって遊んでいる間にだんだん成績が下がってきて、同じ公開模試で偏差値が15近く下がってしまいました。
夏休みが終わった後、「このままでは入試で受からない」と思い家で勉強したのですが、どうしても両親とけんかをしてしまい、それで塾での勉強時間を増やしました。
そして年が明けました。
その時までには成績も戻り始めていましたが、何度挑戦しても洛星レベルの問題で合格ラインを突破することができませんでした。
精神的に不安定な日々が続きました。
しかし、一人ではつらくて無理でしたが、先生と友達がいたせいでなんとか勉強できました。
後期入試に備え塾で勉強しているとき、合格の知らせを聞いて、暴れたくなるくらいうれしかったことを今でも思い出します。
先生たちもみんな喜んでくれて、忘れられない一日となりました。
成績が多少変動しても先生たちが諦めずに、僕の力を信じて教えてくれた事が合格につながったと思います。
大学受験の時にはこんなにハラハラしないでいいように、余裕を持って準備していきたいと思います。
私の子供はもうすぐ6年生という時期にそれまで通っていた塾をやめたいと言い出しました。
理由は授業を聴いていなくて、ノートも取っていなかった為、ついていけなくなった事と、宿題に追われて寝不足になり、体調を崩す事が多くなったせいで精神的にも弱くなっていた為です。
「洛星に行きたいけど勉強は嫌だし、頑張りたくない」というわがままな我が子を見て、中学受験を諦める事も考えました。
そんな時に入江塾のことを紹介され、体験授業を受ける事になりました。
授業を受けて帰ってきた子供が、「ここでなら頑張れそうだ」との事だったので、入塾する事となりました。
入江塾に通うようになり、毎日息子は楽しそうで、その生活も充実してきました。
ここでは、学ぶ事の面白さや、友達とともに頑張ることで諦めずに次に進もうとする粘り強さもできたように思いました。
第一志望の洛星中学はぎりぎりの線で合格できました。
入江塾の先生方が諦めないで子供の力を信じてくれたおかげだと思います。
また入江塾のお友達なしに一人では頑張れなかったと思います。
合格を目指して、諦めずに支えて教えてくださった先生方、本当にありがとうございました。
ぼくが中学受験を考えたのは、仲の良かった友人がすすめてくれたからでした。
その後、洛星中学の学校見学をした時に校長先生の話を聞き、「どうしてもこの学校に入りたい」という気持ちが強くなりました。
大手塾に入り勉強を始めたのですが、入塾が5年の6月からということもあり、なかなか成績が上がりませんでした。
ぼくは「このままではいけない」と思い両親に相談すると、「一度体験指導を受けたことがある入江塾に行ってみてはどうか」ということになりました。
そして6年の10月の中旬から入江塾に通うことになりました。
でも入塾してすぐに授業態度が悪い事で厳しく注意されてしまいました。
ぼくは「成績が上がらない理由もそこにある」と言われ、それから態度を改めより一層勉強に集中するようにしました。
特にもともと得意科目だった算数と理科が、大手塾では苦手になっていましたが、入江塾のわかりやすくおもしろい授業でどんどん成績が上がっていきました。
そして受験当日、「今までの力を出しきってがんばれ」「やれるだけのことをやってこい」と両親に言われ、また先生方からは一言ずつメッセージをもらって落ちついて試験にのぞみました。
合格発表の時は心臓がこわれるんじゃないかというぐらいドキドキしていました。
期待はしていましたが、番号が見つかった時は呆然としてしまいました。
今までがんばった成果が出て幸せです。
ここまで導いてくれた入江塾の先生方今まで本当にありがとうございました。
「中学受験がしたいから、塾に行きたい」それまで全く考えていなかった言葉を息子から聞いたのが、4年生の終わりでした。
中学受験は大変だと息子を説得したのですが決意は固く、とりあえず大手塾に入ったのが5年生の6月でした。
本人の志望は洛星、最難関校を受験するには遅いスタートで 案の定、それまでの穴をなかなか埋められないまま6年の秋を迎えてしまいました。
大手塾の合格判定はE、このままでは絶対無理だと一大決心をし、入江先生に相談したのがもう10月半ばでした。
試しに五ツ木模試を受けさせてもらうと、偏差値は61、まだ間に合うと言っていただき、入江塾に転塾させていただきました。
けれども、入塾してわずか一週間足らずで、本人の学習態度の余りの悪さに先生から注意勧告を受けてしまいました。
それまでも事あるごとに私のほうからも注意をしていたのですが、全く聞く耳を持たなかった息子が生まれ変わったのがこの出来事でした。
それからは、本人なりに少しずつですが、態度を改めそれに比例するように成績も上がり始めました。
五ツ木の最終模試では判定がD、大手塾の模試ではB判定まで上がり、その後過去問でもコンスタントに7割以上の成績が取れるようになっていきました。
冬休みには先生方に朝から晩まで勉強を見ていただき、そうして本番を迎えたのです。
試験当日の朝には、先生たちのメッセージをいただき それをお守りにして落ち着いて試験に臨むことができました。
振り返りますと、こうして合格をいただけたのはやはり大手塾にない個人個人にあわせたきめ細やかな指導のおかげだと感謝しております。
なにより息子が「苦手だった算数も理科も得意になってきた。勉強が楽しい」と言った時は心の底からこの塾に会えてよかったと思いました。
問題児だった息子を導いて下さって本当にありがとうございました。
ぼくが入江塾に入ったのは6年の8月のはじめでした。
かなりおそくからの受験対策でした。
「新しく塾に入ってきた自分を、他の人はどう思うか」と怖い気持ちがありましたが、みんなは意外にも最初から仲良くしてくれました。
最初思っていた塾のイメージと全然違って、気持的にも楽でした。
ぼくが洛星中学校に合格できたのは、育星舎・入江塾の先生方のおかげです。
授業で分からなかったことは、演習中に教えてもらいましたし、個人指導、特に理科では、山本先生や金先生に自分の分からないことなどを分かりやすく教えてもらいました。
それに、入江先生の算数特訓。
これでぼくの算数の実力はとても上がったと思います。
本当に有難うございました。
入江塾は「追い込み決着型」の塾である――と入江先生はホームページに書かれていますが、息子はまさしくそのパターンで合格へと導いていただきました。
6年の夏、それまで公立中高一貫校を受験するつもりで何ひとつ私立中学受験の準備をしてこなかった息子が、急きょ私学に行きたいと言いだし、正直「今からでは遅いだろう」と思いながらも入江塾の門をたたきました。
(それまで育星舎・個別α北野に所属しておりました。)
夏休みに受けたある大手塾の模試の偏差値は52。
中堅クラスの学校も難しいと思われるところからのスタートでした。
その2~3ヶ月後、偏差値がぐっと伸び、入江先生から「洛星を目指してみないか」と言われたのです。
しかし、姉の受験時にその厳しさを見ていたので、そのような難関校への志望はおそれ多いという気持ちでした。
しかし、先生方の細やかな指導のおかげでその後も成績が上がり、洛星中学挑戦を現実に考えはじめたのが12月。
冬休みはまさに追い込みで、朝から夜まで塾でお世話になり、帰宅後も机に向いました。
先生方がとても熱心に教えて下さり、息子が手ごたえを感じているのはわかりましたが、実のところ母である私は洛星中学合格には不安がありました。
ところが本人は、その自信はどこから出てくるのかと不思議なほど迷いがなく、「大丈夫!!」と言いきるのです。
それはきっと先生方が手ごたえを感じるような指導をして下さったと共に、精神的なサポートをして下さったからだと思います。
こうしてベストな状態で受験日を迎えることができた息子は、半年前、手が届くはずはないと思っていた学校へ通う切符を手に入れました。
もしも入江塾でお世話になっていなかったら、こうはいかなかったと思います。
入江塾の良さは「個々への対応と献身的なサポート」と共に、「子供達の仲が良い」というところにあると思います。
遅くからの入室でしたのに、初日から他の子供達が受け入れてくれ、今日はお弁当のおかずの交換をしただの、公園で遊んだだの、とても楽しく通う息子を見て、本当にこの塾に入れて良かったと思いました。
――と言うのも、姉の受験時に大手塾へ2年間通わせたのですが、隣は皆ライバル、いじめとまではいかないものの人間関係の悪さを子供から聞いておりました。
そしてテストの度に上がり下がりする順位に一喜一憂して少年期を過す娘の姿に悲しいものを感じていたからです。
受験を終えて帰ってきた息子が、同じ学校を受けた友達が受かればいいなぁーと心から願うように言いました。
その言葉を聞いた時、仲間意識――心も育てていただいたなあと、良い環境の中で学ばせることのできた幸せをつくづく感じました。
今、先生方に感謝すると共に、塾生の皆さんにも感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。
僕は小学1年生の頃から、「洛星中学校に入学しよう」と思っていました。
そこで、まず2年生から育星舎のマナ英才学院に入り、佐藤先生にお世話になりました。
その後入江塾に入りましたが、週1回の授業のみで個別演習は長期休暇の時以外には6年生になるまでとりませんでした。
6年生になって、個別演習をとるようになり、さらに入江先生から直々に個人指導をしていただけるようになりました。
大手塾に通っている学校の友達に聞いていたような競争型の学習ではなく、むしろ友達と「一緒に洛星に行こう」というような考え方ができる環境でした。
そして風邪などをひきやすく、あまり体が強い方ではない僕に合ったカリキュラムも立てて下さいました。
また、大手塾に行きながら入江先生の算数ゼミを受け洛星を目指していた友達と「洛星G(グループ)」をつくってもらい、洛星専用の学習もしました。
最後の追い込みの時期には、休塾日でも入江先生は僕の個人指導のために時間をさいてくださいました。
そのおかげで洛星に合格することができました。
本当に有難うございました。
育星舎には、2年生から科学の学校、マナ英才学院でお世話になりはじめ、マナ英才学院を終えた後、姪がお世話になったこともあり、入江塾へ入塾させていただきました。
私学の小学校に通わせているため、既に学校のお友達が大手進学塾へ通われている話なども聞いており、正直それらの説明会に参加したこともあります。
しかし、そこでは「成績順にクラスを分け、席順もそれに従う」、「難関校を受験するには対策クラスに在籍する」などということが当然とされておりました。
息子はあまり丈夫な方ではなくプレッシャーに強いといえるタイプでもなかったので、入江塾の「競争原理を利用しない」「学力選抜は行なわない」という方針がとても嬉しく入塾を決めさせていただきました。
入塾後、体調を崩した際にもなにかと考慮して下さり、息子自身とても居心地がよかったようで学校を休んでいても「塾には行きたい」と言っておりました。
また、6年生最後の追い込みの時期には、入江先生、K先生を始め諸先生方に学習面はもちろんのこと、精神面でも(ネガティブになりがちな私達親子をポジティブに)親子共々親身に支えていただき、無事念願の志望校に合格することができました。
この受験を通して息子は精神的にも体力的にも一回り成長したように感じます。
これも先生方のお蔭と感謝しております。
本当にありがとうございました。
1年生のときから、マナ英才学院と科学の学校でお世話になり、6年間のご指導を得て、このたび、志望校に合格させて頂きました。
きっかけは、科学の学校での子どもの興味をそそる実験のテレビ放送で、勉強を楽しいと思わせてくれる教育に「ここだ!」と思ったことです。
でも、正直に言えば、受験がこんなに大変だとは思っていませんでした。
高校や大学の受験と違って「合格したい」という気持ちと「勉強しなきゃ」という気持ちが連動していないのですね。
「合格したい、勉強はしたくない」が両立してしまうのが小学生。
「合格したければ、勉強しろ!」という妻の声に「だったら、受験をやめる」とあっさり返す息子。
文字通り「宥め、賺す」毎日でした。
もっとも、苦労していたのは妻で、父親は「なるようになるさ」という態度。
妻は、2人の子どもの面倒をみているようでした。
でも、受験1年前に、入江先生に本気で受験させるのかどうか覚悟を聞かれ、これで慌てて、時々ですが、算数の勉強に付き合い、理科や社会の自主勉を手伝い、志望校の学園祭を見学させ、少しは中学受験生の親らしいこともしたかと思います。
そうこうするうちに、久しぶりに算数の問題に付き合ったら、いつの間にか、父親より計算が速くなっていました。
社会や理科の知識も増えていて、漢字なんか親の知らない字を知っていたり。
やはり、毎日の蓄積というのは、たいしたものだと思います。
そんな息子でも、受験当日は、不安と緊張でいっぱいでした。
でも、両親は心配そうな顔をせずに「普通にやれば受かるから」と送り出しました。
本人が自ら希望した入江塾の先生方の寄せ書き鉢巻も力になったようで、試験開始後は落ち着いて取り組めたようです。
1年前には諦めかけていた志望校合格を手にした今、先生方には心より感謝申し上げます。
僕が育星舎に通い始めたのは2歳ぐらいです。
それから、幼稚園、小学校と続けているうちに塾に行くのが普通になりました。
中学受験を初めて意識したのは3年から4年になる時でした。
5年のとき、僕は洛星中学校ではなく、洛北中学校を考えていました。
けれども、水曜日の算数、火曜日の国語の難関校対策を受講するうちに先生の勧めで洛星中学校にしました。
僕は12月頃にやっと受験モードに入りました。
それまでの僕は落ち着きがなかったので、先生に怒られてばっかりでした。
そして、大晦日、お正月と休み無しで入江先生が指導してくださいました。
年末年始は先生の出してくださったいろいろな速さのプリントでまさに「速さ漬け」になりました。
そして、試験当日、僕はあまり緊張はせず、終わってからしばらくして「あっ、今日が本番だったんだなあ」と思いました。
合格発表のとき、受験番号の368がありすごくうれしくなりました。
僕をここまで支えてくださった先生方、本当に有難うございました。
僕は、育星舎に行って本当に良かったと思います。
お姉ちゃんのおともでマナ英才学院に通い始めたのは、オムツの頃でした。
あれから9年、桂の岩田先生を〝桂の母〟と呼ぶくらい、難しいわが子の性格に一緒に悩んで考えて頂き6年生まで続けてこられました。
泣く日も、さぼった日もありましたが、「やめる」とは絶対に言わなかったのは、育星舎がとても居心地が良かったのだと思います。
わが事の様に子どもの事を考えてくださる入江先生、K先生。
勉強以外の悩みの色々な相談も聞いて頂き励まして頂きました。
それがどんなに心強かったことか!
今回の志望校合格も先生方の惜しみない愛情と力がなければ子どもも親も頑張れなかったと思います 。
電話をいただく度に心配のあまり「何かしましたか?」と聞いてお話できる機会がなくなることが残念です。
楽しい育星舎生活を有難うございました。
6年生の始め、僕は先生に「洛星を受験するのか」と驚かれました。
つまり、当時は合格なんて夢のまた夢のような状態だったのです。
しかし、そんな僕を、合格できるかもしれないところまで引っ張っていってくれたのは、母と父、そして塾の先生方でした。
毎日のように塾へ行き、正直なところ、「もう、やめたい」と思うことも度々でした。
それでも、周りの方がたはいつも励ましてくれ、僕自身も日に日に「合格したい」という気持ちが強くなっていきました。
本番は入江先生だけでなく、他の先生方もそばについてくれていると思い、精一杯努力しました。
結果発表の日、自分の受験番号を見つけたとき、「合格したんだ」と実感しました。
僕は受験には勉強することも必要だけど、「受かりたい、その学校に行きたい」という気持ちがもっと必要だと感じました。
主人の勧めで「科学の学校」にお邪魔してみると、そこには漢詩の暗唱・タングラムなど、およそ、私のイメージしていた学習塾とは違う「マナ英才学院」が併設されており、その趣旨に共感して両方に通わせることにしました。
そして、4年生からは入江塾に…。
通塾歴からみたらわが息子は優等生!
それが、小5(新小6)の2月、洛星志望とお伝えしたのを塾長に素直に驚かれてしまったことに、親のほうは当惑したものです。
「勉強してこなかったでしょう」と言われて振り返ってみれば、塾に通い、提出しなければならない宿題は欠かさず提出してきたけれど、そのとき、私が初めて開いた社会のサブノートは、最初と最後の2ページずつを除いて、見事に真っ白。
新品同様でした。
また、算数は入江先生のプリントのみを解き、これもわからない問題は解答を写す作業をしていたようでした。
「通っていた」けれど「勉強して」はいなかったと理解した瞬間でした。
このあとの親子での七転八倒の受験生生活は後項に譲ることにして、結果をみれば、行きたかった洛星に合格。
東山ユリーカ、土佐塾24位と快進撃でした。
つまり、遅いスタートを入江塾は間に合わせてくださったのです。
中学受験はよく5年生にはスタートをと言われます。
昨年の合格体験発表会で実際に「6年になると忙しいのでオープンキャンパスは5年のうちに」などと聞いたとき、またまた愕然としたのを覚えています。
我が家はすべてがこれからだったので。
でも、受験も終盤にきて思ったのは、わが子には5年2月からのスタートがちょうどよかったということでした。
それより長ければ息切れしたかも知れません。
1年間だったからこそ、それに打ち込み、立ち向かえたように思います。
本当に、この塾ではよく話を聞いて頂きました。
K先生は、ときとして、私の受験ストレスカウンセラーでした。
正直にわが子の様子を伝え、家庭で親が何をみてやれるのか?どこまでならフォローできるのか?何はできないのか?を伝え知ってもらうことはとても大切です。
当初、我が家でできたのは、勉強に取り組ませること、サブノートも算数の計算問題も残さずに、その週のうちに仕上げさせることくらいでした。
後に、主人が算数を一緒に解く時間をもつようになり、秋には、遅れていた歴史と地理(四谷では5年で既習。6年では特に取り組まない)を中心に社会の面倒を私が見るようになりました。
家庭でできることは、その都度、相談すれば、お勧めの問題集まで的確にアドバイスいただけました。
また、目標に向かっているわが子の「現在位置」や、1月17日入試当日に到達するであろう「予想位置」まで教えていただけました。
これが、不安だらけの私の希望につながったのは言うまでもありません。
私の顔を見たらK先生は逃げ出したくなるんじゃないかと思うくらい先生をつかまえて話をしました。
精神的に幼いわが子は自分で受験すると言い出したのに(彼によると、言わされている雰囲気がかんじられたそうですが)、なかなか受験が自分の問題になりません。
私のほうが音を上げて、何度も「もう、やめにしよう。やめてくれ!」と言ったものです。夏頃まで進路の選択肢に公立中学校もあったほどでした。
モチベーション…、これについては周囲の大人の『忍耐』と『根気』でしょうか。
「大人の…」つまり、親と塾の先生方が一緒になってわが子を宥めたり、賺したり…。
この宥め賺しはなかなか体力、気力を使います。
最前線にいる私にとって、K先生との会話が即効性栄養ドリンクに。
また、主人は算数担当を休んでいた半年近く、私の専従グチ処理班でした。
落ち込んだり、力んだり、こまめに精神状態の変化する私に、聞き手にまわったり、共感してくれたりもしました。
二親が一緒になって必死になったら子どもは悲劇でしょうか。
でも、父親も同じ目標を持つ同志であってほしいもの。
我が家は、互いの役割分担を理解しあって取り組めたように思います。
更に、入江塾では大手のように「大人になれ」と声高に叫んだりはしませんでした。
等身大の6年生を認めたうえで、子どもたちに受験に対する心構えを教えて下さいました。
やはり、プロです。
そして、もう一つ欠かせないのが、塾の仲間です。
公立小学校では受験する子は特別な存在。
でも、塾ではみんな同じ目標を持って集まっています。
一緒に頑張るという思いがわが子の大きな救いになったと感じています。
我が家のドタバタ受験顛末記は以上です。
合格発表を見た後で、先生に会いたい!と塾に飛んでいくわが子。
そこには、合格を勝ち取って、お互いを祝福しあいたくて集まってきた笑顔の塾仲間たち。
この姿が、塾との信頼関係を見事に表しているなと感じました。
入江塾の先生方、本当に有難うございました。
発表翌日の朝、入江塾でなければ得られなかったこの幸せを、親子で顔を見合わせて思わずニンマリしながら味わっています。
僕が、なぜ志望校に合格したかというと、それは、「絶対に諦めないぞ!」という気持ちがとても強かったからだと思います。
判定がどんなに悪くても、赤本をやっていてとても点数が低くても諦めずに「志望校に合格したい」という強い気持ちを持って頑張っていたから合格したのだと思います。
そして、さらに友達の励ましがあったからだと思います。
これから中学校受験をする人達も「志望校に合格したい」という気持ちが大事だと思います。
だから、最後まで諦めずに頑張ってください。
本当に先生方、有難うございました。
「お母さん、この塾を選んでくれて有難う。」息子がよくそう言ってくれました。
それくらい、先生や友達との信頼関係は厚く、今回の合格はその励ましあってのものと感謝しております。
思い返せばいろんな事がありました。
中でも特別心に残っていること。
それは、夏休みが終わり、思うように模試の判定が出ず、親子でガックリしていた時のことです。
ちょうど塾からのお手紙(毎月届く講師からの一言)が届き、先生方からの励ましの言葉がいっぱい目に飛び込んできました。
あまりに以心伝心の内容に親子で涙ぐんだのをよく覚えています。
後に私はこのお手紙をお守りのように何回も読み返し、心を落ち着かせていました。
受験の日を親子で比較的ゆったりとした気分で迎えることができたのも温かい先生方のおかげです。
この塾に巡り合わせてくださった神様に感謝するとともに先生方に心からお礼を申し上げたいと思います。
四年生から塾に行っていましたが、本格的な受験勉強を意識し始めたのは、六年生の後半になってからのことでした。
自分でいうのもなんですが、僕は結構、実力があったと思います。
それでも他の塾に比べて、勉強時間が短くて心配でした。
でも、今の親友がいるのは、この塾のおかげだと思います。
今年度の夏期講習の時に、こんなやりとりがあったことを覚えています。
「クロロ(黒田先生)、紙って何の原子からできているのですか?」
「主なのは水素や炭素かな」
「へぇ~。じゃあ水素100パーセントの紙はどうなるんだろう」
「それは水素だろ!」
楽しいこともありました。
喧嘩したこともありました。
でもその度に仲直りしました。
こんなに良い親友に出会えたのは、この塾のおかげだと思います。
この塾に来ることができて良かったです。本当に感謝しています。
私学の小学校に通わせているため、中学受験という言葉こそ早くから意識していたものの、塾の新年度が2月に始まることすら知らず、小四になる直前の3月から中進ゼミにお世話になりました。
受験成功の秘訣は子どもを早く大人にする事と公言する大手の塾も見学しましたが、私の子育て観や子どもの個性とはあいいれないものを感じました。
育星舎にお世話になろうと決めたきっかけは、入塾説明会のとき息子が渡されたプリントを解くことに熱中しうるさくしたのを入江先生がしかって下さった事でした。
子どもをお客様扱いしないことは、教育に熱意を持っていらっしゃるという事だからです。
また、息子が家でと同じようにごんたが言えたことも大きな要因でした。
小学校では大人数にうもれて、おとなしいだけの子だったからです。
又、四教科すべての授業も拝見し、それぞれの先生が、工夫をこらし、充分に準備をして授業をされていると感じました。
特色のある教育をするという小学校の足りない面を補い、興味を持続し、勉強がキライになるどころか面白いと思わせていただいたのは、こだわりを持つ息子を大らかに受けとめ、ほめ続けて下さった先生方に感謝しておりますが、共に学ぶ良い仲間に出会えたことがすごく大きな力になったと思います。
勉強は志望校に入れば終わりではないので、学ぶという姿勢、基礎ができた上に「唯三無四」の友を得て、子どもらしさを失わなかったこの受験は私の理想が現実となったものです。
おまけに、運動オンチの息子が、大文字駅伝の予選まで朝練をがんばる根性が育ち、学校でも積極的になって居場所を見つけたのですからもう言うことなし、心から感謝申し上げます。
四谷大塚のテキストは分かりやすいですが、個人的には入江先生の手づくりプリントの方が、数字を書くお手本にもなり、問題を解くスペースも適切で良かったのですが・・・。
「育星舎行かへんかったらどこで(学校の)ストレス解消したらええん?」と生意気申します。
「くろろ(黒田先生)と別れたくない」とも…。
今は少し疲れが見えますが、又引き続きよろしくお願いいたします。
僕が育星舎に通い始めたのは2年前のことだ。
それから2年間、それなりにしんどいこともあったが、やはり楽しかった。
例えば、努力することの楽しさ、そして問題が解けた時の喜びなどがそれだ。
他に、塾に関しては、色々な解き方を教えてくれることや、先生に何でも気軽に聞けることなどが印象に残っている。
例えば、つるかめ算では僕は面積図があまりしっくりこなかったので、表を使ったやり方を教えてもらうと簡単に分かった。
この文章を書くのに、まだ試験モードから離れられないようで苦労している。
たとえ受験勉強であっても、勉強をする以上は、何かを本当に学ぶことが出来るところに通わせたい-これが2年半前に塾選びを始めたときの、唯一にして最大の、そして絶対に譲れないポイントでした。
大量生産のマニュアル塾は願い下げ。
受験結果がどうあれ(人間である以上、失敗することなんていくらでもありますから)、二年間の学びのプロセスで得たことは決してその後の人生にとって無駄にはならない、そんな勉強をさせてくれる塾。
育星舎はそんな稀有な塾だったなと、今改めて思います。
先生方に心からの感謝を込めて。
生まれて初めて、自分が本当に努力することで夢がかなえられた、このふるえるような実感は、これからの人生において、折に触れ、彼を励まし、彼を勇気づけていくことでしょう。
おめでとう!
育星舎、ありがとうございました。
父さん、ご苦労様!
洛星中学校の受験指導行います