2025年 受験生/保護者《中学受験 合格体験記》
京都産業大学附属中学校と、龍谷大学付属平安中学校に合格しました。
私は算数が苦手で五ツ木・駸々堂模試でも偏差値が伸び悩んでいました。
さらに、プレテストでかなり悪い結果が出てしまいました。
先生に「これだとまずいよ」と言われそこから勉強気合いが入ったと思います。
冬期講習では過去問をひたすらといて、合格最低点を上回るようになり、先生からも「大コケはしないだろう」と言われ自信が持てました。
そして当日に消しゴムや先生からの応援が書いてあるカードをもらい、さらに自信がつきました。
一年ほどという短い期間ながらも本当にありがとうございました!
受験対策としては、小学4年生から大手塾に行き始めました。
それまでは、学校の宿題をするのがやっとという状況でしたから、勉強も一層難しくなって宿題の量が増え、本人にとっては大変な日々だったと思います。それでも本人は受験をしたい一心で、学校同様に休まず通っていました。
泣きながら夜に宿題をする姿を見て、何とかしたいと思いましたが、どうしたらよいのかわかりませんでした。
夫婦で何度も勉強、受験に対して苦労したことを本人に伝えた上で、コツコツでもよいから勉強を続けていくことで、夢も含めて可能性が広げることができると思っていることを本人に伝えましたが、勉強することが嫌いになっていたと思います。
塾の授業中、集中力が続かず他の子と喋ってしまったり、他の子の足を引っ張る時があると指摘を受けてしまったり、成績が変わらない状況でした。
このままでは受験自体、やめたほうが良いのではないかと何度も考えました。
「面白くない」「わからない」さらに授業の進行スピードについていけない中、競争する苦痛を経験していたのだと思います。
そんなことを繰り返しながら塾を2,3か所変え、最後に入江塾にたどり着きました。
1番仲良しの友達を含めて同じ学校で数人通塾していること、送迎があること、宿題の量が少ないこと、習い事を続けながら通っても良いことを教えていただき、6年生直前の5年生2月でしたが、思い切って入塾させることにしました。
すると、少人数で丁寧に見てくれてわかりやすい、と時折本人が言い始め、楽しそうに通っている様子でした。
月末のプリントを通して塾での様子もこまめに把握できました。
相談したいときには、忙しい時も面談時間を設定していただき、親身にアドバイスいただけて心が落ち着き、任せることへの安心感もありました。
しかし模擬試験で、みんながレベルアップしてくる夏以降、偏差値が下がり始め、本人の気持ちはどんどん落ち込み、第一志望を決めるのに最後まで悩みました。
受験日が近づくにつれ、第一志望が見え始め、同じ塾の友達と一緒に仲良く勉強を頑張っていき、本番直前には目の色が少しずつ変わってくるのがわかりました。
受験する気持ちが固まっていた証なのだな、と思います。
本番前日、塾のみんなで寄せ書きをして、お互いに励まし合い、友達になった他校の生徒さんとお別れもしたそうです。
本番当日、会場で待っていてくれた先生から励ましのキットカットや寄せ書き、佐藤先生と八木先生の似顔絵入りの特製消しゴムなどをもらい、励ましの言葉をもらってすごく喜んでいました。
おかげさまで結果、受けた試験すべてに合格をいただけました。
合格したら卒塾、という先生の言葉を伝えたら、本人は「もう少し通いたかった」とすごく寂しそうでした。
また顔を出しに行きます。
暖かみのある塾で、一緒に頑張った仲間たちと充実した受験の経験ができたと思います。
本当にありがとうございました。
私は4年生の夏から他塾に通い受験することを決めましたが、6年の夏期講習が始まる7月から入江塾に転塾しました。
初めは算数や国語がとても苦手で問題を解いても解けない、勉強への苦手意識がありました。
個人指導が始まり木村A先生、長瀬先生から問題を簡単に解くためのテクニックや考え方を教えて頂いて少しずつ理解することができ、
「こうしたら問題が解けるんだ!」という自分の自信に繋がっていきました。
半年という短い間でしたが、応援してくださった先生方ありがとございました。
姉の影響か自分から中学受験をしたいと言う娘。
4年生の夏から大手塾に通うも成績は上がらず、深夜まで終わらない山ほどの宿題。
理解出来ているかもわからないままの追われる日々、小学生がここまでやる必要があるか?
黙って見守ってきた母も疑問を感じていた矢先塾に行く直前に涙を流す。
円形脱毛症が出来る、これは一大事。
もう受験はやめよう。
塾を一度休み本人と何度も話し合いとても辛い状況下にいる事が分かりました。
それでも「受験がしたい」と気持ちは変わりませんでした。
その日すぐに入江塾へ問い合わせをしました。
6年生の夏休み前に転塾するのは非常に厳しいと理解しながらも、佐藤先生は「やりましょう!」と受け入れて下さいました。
親子共に心身ボロボロの状況の中、どれほど救われた事か。
我慢強く、真面目、コツコツ頑張る性格ということは分かりながらも、分からない所を今更聞けない、そんな状況かと思い週1回の授業・算数と国語の個別、そのほかの日は演習に通いました。
国語の個別初日、木村A先生の授業を終えて出てきた娘の第一声「私は今まで何をしてきたんだ」と、目を輝かせて出てきた娘。
目から鱗って感じ?と聞くと「そうそう!」と嬉しそうに話してくれました。
個別算数は長瀬先生にお世話になりましたが、大コケしていた算数を基本のキから丁寧に教えて下さり「先生と同じシャーペンが欲しい」とリスペクトし、「いつも長瀬先生の後ろにくっついてますよー」と教えて頂き心の支えとなる先生がいて下さる事に感謝と安心をしました。
親子ともに疲弊したいた心が少しずつ温かい時間を過ごせる様になりました。
しかし早々成績が上がるはずはありません。
五ツ木・駸々堂模試は散々たる結果。
直ぐに面談をして下さいました。
「〇〇中学は非常に厳しいと思います」全部頭では理解しながらも、本人の「姉と同じ学校に通いたい」と泣きながら話す顔を思い出し頭の中が真っ白になりました。
夢見る「夢子」は娘ではなく、親の私だったのかもしれません。
一生懸命頑張れば叶うと信じてやまない小学生の娘にとって一番大切なのは何か、佐藤先生・八木先生とご面談頂き一緒に「うーん、うーん」と言いながら
志望校を考えた日、「大切な事だから悩むのは当然です!」と。
こんなに娘の事を考えて一緒に悩んで考えて下さるのかと感激しました。
「中学受験はゴールではない」「ここまで頑張ってきた事の結果はこれからの彼女にとってとても大切な事!」沢山の生徒さんを見てこられたからこそ出る重みのある言葉。
志望校を一旦決めたもの、緊急家族会議。
「絶対合格したい」と娘。
そうだよね頑張ってきたもんね…娘の気持ちも汲んで志望校を変更。
「わかりました!そうしましょう!」「胸を張っていきましょう!」と明るい声で応援下さり、そこからは一直線に走っていけました。
佐藤先生、入江塾に任せておけば大丈夫!大舟に乗った気持ちで送り出せる心の余裕もできました。
冬休みに入り、「塾に8時間近く頑張ってるんだからそれ以上はしなくてよし!」と佐藤先生。
佐藤信者である親子は素直に家ではOFFモードで早寝。
心も体も元気に。
全員で行く初詣。
忘れられない思い出になりました。
お菓子豪遊パーティ(笑)
しゃもじ登場。
面白愛称も2つ頂き「ラーメン滋賀一番!」「おしり」。
いい子しかいない仲間達。
入江塾が好きで毎日行きたい!休みたくない!
いつ来てもいる住人の様になっていた娘。。
試験当日はお寒い中、楳生先生が来て下さり応援グッズを頂きました。
先生からの手書きの応援メッセージにオリジナル消しゴム。
一生の宝物です。
無事合格!合格発表は一番に見たいという娘。
「やった!」とハイタッチする手はとても汗をかいていまいした。
ここまで頑張ってきたものね、と感じました。
先生方にご報告に伺うと心から喜んで下さいました。
とてもうれしかったです。
半年という短い期間でありながら、得たものが大きすぎて転塾して本当によかったと感謝してもしきれない思いです。
佐藤先生・八木先生・木村A先生・長瀬先生・富田先生・木村T先生
お世話になった先生方、有難うございました。
娘の心まで成長させて下さった先生方、入江塾が大好きです。
入江塾に出会えた奇跡に感謝致します。
ぼくが龍谷大学付属平安中学校に合格できたのは、塾の先生方の支えがあったからだと思います。
ぼくが入江塾に入塾したのは、小学3年生になる少し前です。
その頃は、国語と算数だけの2教科授業で週1回でした。
ですが、小学4年生になると、国語、算数、理科、社会の4教科に増えて勉強が忙しくなりました。
そこから小学5年生になると、駸々堂も入ってきて演習も増えました。
そして6年生になると佐藤先生の個人指導と小林先生の個人指導が入りました。
6年生の駸々堂では、たまに50近くなる時があってほとんどが45くらいでした。
悪いときは40を切ることもありました。
夏休みではまったく気力がなくて、佐藤先生に「こんな感じやとやばいな」と言われました。
そして夏休み明けくらいからいろいろな学校のプレテストの練習を頑張りました。
練習ではあまりいい結果を出すことはできませんでしたが、プレテスト本番では、平安、文教(半額免除候補)、大谷(二回目)では良い結果を出すことができました。
そのあとは平安や大谷の入試過去問題のタイプを頭の中に入れて、点数をとれるように練習しました。
その結果、国語は小林先生のおかげで45点だったのが80点くらいとれるようになって、算数は佐藤先生のおかげで、35点だったのが50点くらいとれるようになりました。
小林先生と佐藤先生は優しく丁寧におもしろく教えてくれました。
受験前日には、塾の先生方に背中を押されて受験を頑張ることができました。
塾の先生方には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
中学受験。
避けて通れないと小学校入学前から意識はしていました。
いわゆる大手塾が我が家の周りにはたくさんあり、同じ小学校に通う受験組はほとんどがそのあたりに通うことも聞いていました。
ですが、息子は、超マイペース、メンタル弱めの性格上、競争心理をあおってモチベーションを上げていくような方法は、恐らく効果がなく、逆にやる気を無くす方向に働く心配がありました。
その中で、入江塾を知り、入塾テスト(選抜)制ではないこと、成績の優劣でクラスや席が決まったりしないこと、大量の宿題がないこと、ソフトな中学受験とされていることなどに魅力を感じお世話になることに決めました。
入塾は小2の2月でした。
受験に向けてというより、塾に慣れるために週1で国算の授業を受け、その後に繋がればと思い通い始めました。
また、早くから始めれば、超難関を狙うつもりはないので、ある程度希望する学校を狙うことができるのでは思っていました(これは、大きな間違いでしたが・・)
5年生になり、夏期講習が始まってすぐに、病気を発症し、夏休み後半はほぼ病院で過ごし、夏期講習は半分ほどしか受講できませんでした。
入院中も勉強はできる環境でしたので、宿題はやっていましたが、親子での勉強は上手く進まず、夏休み明けの駸々堂の結果は散々でした。
それから、体調は不安定ながらも、塾へは通い続けましたが、なかなか模試の結果は上がらず、たまに少しマシな回がある程度で、下がりっぱなしでした。
6年になり、算数は佐藤先生に、国語は小林先生に個人指導をいただき、当初は、先生を困らす程、集中できず、この夏が合否を決める!等と言われる夏期講習も塾に行くのは行くのですが、全くやる気がない状態で、佐藤先生に何度もご相談し、先生から本人に話をしてもらい、少しずつ前を向いて行けたのは夏休みが明けてからです。
ですが、夏休み明け以降の駸々堂については、全く成果が出ず、これでは、「ヤバい、どこも受からへん」と私は、何度も背筋が寒くなりました。
そのため、志望校を決めきれず、佐藤先生から、秋のプレテストの結果を見て、方向性を考えましょうとアドバイスを受けました。
3校に絞り、4回のプレテストを受けたところ、結果は、「え、頑張れるやんか!」と先生が驚くほど、彼にしては、良い出来栄えでした。
そこで本人も少し自信がついたのか、過去問の練習を繰り返すうちに合格点をとることができるようになっていったようです。
志望校も、このプレテストの後にやっと決めることができました。
この頃、息子の親への反抗も出てきて、私が関わるとへそを曲げるので、できるだけ塾へお任せし、家では、計算と漢字の練習を、朝と夜の少しの時間でしただけで、ほとんど勉強していません。
保育園から続けているダンスのレッスンも辞めることなく、6年の夏前にあった発表会にも出演し、入試の3日前でもレッスンに参加していました。
空いた時間は、休憩休憩と言いつつゲームをし、週2回の21時半までの演習の日を除いては、21時半就寝を目途にしていました。
入試前日まで、変わらずこのペースです。
こんなに勉強しない受験生いる??と目を疑うほどでしたが、きっとこれが今の彼にとって可能な範囲であり、無理して勉強させてもよい結果は出ないだろうと、それ以上を求めませんでした。
冬期講習から受験前日まで、毎日塾を開けてくださり、冬休みが終わっても、学校には行かず、朝から塾で演習を受けさせていただきました。
おかげで、一番危惧していた体調管理も、早寝早起きのリズムを崩さず、いつも通りの体調で当日を迎えられ、良い結果を残せたのだと思います。
お陰様で、受験した2校については、すべて合格をいただきました。
よく言えばマイペース、悪く言えばとってもややこしい彼は、大手塾では最後まで通塾することも難しかったと思います。
いつも、彼に言っていました、佐藤先生に見放されたらほかに行く塾ないからね!と。
入江塾の先生方、最後まで彼を見放さずご指導いただき、本当に有難うございました。
入江塾に出会わなければ、きっと受験をすることができなかったと思います。
中学へ入学しても、心配事は山積です。
またご相談させていただくこともあるかと思いますが、その際も見放さず、よろしくお願いいたします。
僕は4年生の12月に他の塾から入江塾に入りました。
僕は算数(特に図形)がとても苦手で、模試などで図形類が出た時はいつも焦ってしまい、全く解けませんでした。
6年になり八木先生に個人指導を担当していただいてから、少しずつ算数の成績が上がっていき、最終的に第一志望だった大谷中学校に合格することができました。
仲間にも恵まれ、約二年間楽しい塾生活を過ごすことができました。
入江塾の先生方、特に八木先生!本当にありがとうございました。
先生方のご指導のおかげで、大谷中学に全額特待での合格をいただく事ができました。
心よりお礼申し上げます。
中学受験を意識したのは2年生の終わり頃、学校で人間関係がうまくいかず、毎日泣いて帰ってくる息子を見て、ほんの軽い気持ちで中学受験を提案してみた所「やる!」と答えたのが始まりでした。
最初に通ったのは大手塾。
数年通う内に、増えていく宿題の量と速くなる授業のスピードについていけず、授業料だけを払っているお客さん状態に。
このままではいけない!と退塾しました。
受験も辞めようとなりましたが、しばらく経って息子から「中学受験をあきらめたくない、もう一度だけ塾に通わせて下さい」と懇願され、改めて塾を探し始めた時に入江塾と出会いました。
説明会へ伺った後、知り合いのお子さん方が卒塾生と知り、話を伺うと口をそろえて「入江塾なら大丈夫!」でした。
皆同じ事をいうなんて、どれだけすごい塾なんだと思いつつ最後の塾!と息子にも約束し、4年の冬入塾しました。
転塾したから順風満帆と言うことは全くなく、宿題をクローゼットに隠したり我流で式を書かず問題を解いたり、字がとにかく汚く読めない!
数えきれないくらいに戦いました。
塾でも人間関係につまずき、ご報告の電話をいただく事も多く。
先生にも相談しつつ、この子は一体どうなるんだろうと悩む日々でしたが、5年の秋頃からは少しずつ落ち着き始め、帰りの車でも友達や先生との楽しい話をよく聞かせてくれるようになったのと面談でも「スイッチが入ったように感じます」と仰ってくださり、ホッとしたのも束の間、駸々堂の模試や直前のプレテスト、他塾の模試結果は散々で、雲行きはどんどん怪しく。
志望校の過去問も、あまり解けていない様子で迎えた本番は、驚くほどに「いつも通り」2日目午後の入試まで一貫して「いつも通り」でした。
その時は、少し位ピリッとしてくれよ…と思いましたが、振り返るとそれが良かったのかもしれません。
後から聞くと、「緊張してしまうと普段できることが出来なくなってしまうから、普通を心がけていた」そうです。
そんな事を考えていたのか…と、我が子ながら感心してしまいました。
学校へはあまり行きたがらないのですが、塾は本当に大好きで、入試直前の演習も喜んで通っており、塾最終日は「皆に会えなくなるのが寂しい」と号泣するくらいに、入江塾が先生が仲間が大好きになっていました。
私も塾の先生やお友達の話を聞けなくなるのが寂しいです。
入江塾は大手塾によくある、月謝だけを納めるお客さんにはしない 両親とこどもの話をしっかりと聞いてくれて、寄り添って下さる先生方ばかりです。
先生方(特に八木先生)色々とやりにくい息子に向き合ってくださり、温かくも厳しくご指導をいただき、最高の先生方と最高の仲間に出会えた事、唯一無二の財産を得ることができました。
中学受験で悩んでる保護者の方へ。
私も自信を持って「入江塾なら大丈夫!」と伝えます。
本当に本当にありがとうございました。
2025年1月18日(土)8時30分 -。
「それでは、始めてください」
試験官の声とチャイムで、洛星中学校入学試験1時間目、理科のテストが始まった。
50分前、噴水横で木村隆志先生から合格グッズをもらい、気合を入れてもらった。
気合と闘志は尽きることがなかった。洛星のテストは理科、国語、算数、社会という変わった順で出題される。これがなぜなのかは分からない。
1教科目の理科で戦意を削ごうとしているのかもしれない。
入江塾に入ったのは当時4年生のころ。元々受験をする気ではなかった。
あのころの僕はわがままで、「受験は大事な夏休みを奪う」そのように考えてきた。
自分を受験という舞台に引っ張り上げたのは母だった。これまで、母の言う通りにしていて、困ったことは一度もなかった。
かつて、自分は、「母に従えば、明るい未来が待っているのだろう」程度にしかとらえていなかった。
しかし、塾で過ごすにつれ、受験という道がはっきりと見えてきた。
自分はどこかで気付いたのかもしれない。
「これは母に言われるがままにしていることではない。自分のために、自分の力でやるべきことなのだ、たとえ勝つことができなかったとしても、悔いのない、力を出しきらなければならない、レースに参加しないよりは、たとえ最後尾になろうとも挑むことに価値があるのではないか」
そして今 -。
合格の2文字が僕を包んでいる。これまでの努力の結果が報われたのだ。
そして、僕を合格のステージに立たせてくれた先生方に感謝します。
時に優しく、時に厳しく、きたえてくださった佐藤先生、八木先生、長瀬先生、富田先生たち。
洛星対策算数・理科でお世話になった木村隆志先生、同じく洛星対策国語でお世話になった小林先生、雑談も交えて楽しく授業をしてくださった木村充志先生、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
「受験に合格するのは一部の天才だけだ、自分なんかが受かるわけがない。無駄な努力だ」
君は、こう思ったことがあるかもしれない。あるいはこれからそう思うかもしれない。
だが、決してこの言葉を100%否定することはできない。多くの人々がこれを経験しているかもしれない。
いや、しているだろう。だが、そう思った時は次の言葉を思い出してほしい。
「努力をしても報われるとは限らない。しかし成功した者に努力をしなかった者はいない」
君が決めた志望校はなぜ、志望校なのか。これは君の好きなことができるからではないか。
中々伸びない成績、ウザいクラスメイト(自分は「ウザい」グループだったかもしれない)-。
その全てを受け入れて、今日まで勉強してきた君はすごい。
走り始めたなら、最後まで走りきろう。成績はこれから必ず伸びていくよ!必ず、自分に居場所を感じられるから。
最後に、君が得意な分野のアドバイスを書くよ。
国語が得意:国語は文章を書くほど成績が伸びるよ。記述は部分点もあるし、一度に高得点をとれるよ!
算数・理科が得意:落ちる人はここで落とすよ。ライバルに差をつけるにはぴったりだよ!
社会が得意:配点は少ないけど、問題は多い。数をこなせば、他の教科が悪くても支えられるよ!
たとえ行く学校が違っても、君との夢はもう見えているよ。
これからは努力圏だからがんばってよ!成績が悪くても落ち込まなくていいよ。
僕は洛星オープン算数で18/120、直前の洛星後期・理科で17/80をとったから。
いつか必ず自分を信じられる時がくるよ。
そのときのために、今はがんばろう。ファイト‼
その時は、自分に誇りを持っていい。「必ず受かってやる‼」
そのぐらいの気持ちで臨めば、運命の女神は微笑んでくれるよ‼
この度、親子でずっと憧れておりました洛星中学校に合格することができました。
徒歩圏内に大手塾は沢山ありましたが、息子に合った塾を、と調べに調べてたどり着いたのが入江塾でした。
息子はマイペースで、自分の時間を大切にしたいタイプです。
大手塾の低学年から拘束時間の長いカリキュラムは、きっと息子には合わないと感じており、まだ小学生なのに…と違和感がありました。
新4年生から入塾し、2教科のみの受講と週1回の演習からスタートしました。
大手塾と比べるとかなり少ない時間でしたが、佐藤先生が「4年生は塾に慣れるだけで十分です」と言ってくださったので安心してお任せできました。
オプション講座等も息子にとって必要かどうかをご相談して決めることができ、過度な負担をかけることなく、受験勉強を進めることができました。
この受験学年に向けて少しずつ通塾回数を増やすことができた点が本当に息子に合っていました。
また、洛星対策を木村先生、小林先生にマンツーマンでご指導いただいたことも、とても息子は幸運だったと思います。
息子が集中できていない時や模試の結果で落ち込んでいる時にもいつも声を掛けていただき、息子も塾を安心できる居場所のように感じていたようです。
秋の他塾の模試で酷い点数を取ってきたこともあり、私も悩みましたが、佐藤先生、八木先生に「確かに悪すぎるけど…(笑)基礎ができているからまだまだ大丈夫ですよ!」と心強いお言葉をいただき、もう勉強のことは塾にお任せして、家ではなるべくリラックスして過ごそうと思うようになりました。
いよいよ冬休みになり、大好きな将棋やYouTubeも封印して大みそかも元日も塾に向かう息子。
受験前日に「今まで支えてくれてありがとう」と言った息子を見て、中学受験を通して息子なりの成長を見ることができ、親としてはもう、当日元気に会場へ行くことだけを考えよう、と思いました。
そして、試験を終えて、「見直しもしたし、やれることはやった」とすっきりした表情で出てきた息子を見て、結果がどうあれ、息子なりに良い受験ができた、と達成感がありました。
桜色の合格の画面を見て、親子で号泣しました。
あんなに感情を出して喜ぶ息子を見たのは初めてでした。
今も夢のような気持ちです。
この感情に浸りつつ、春からは念願の洛星での生活を思い切り楽しんで欲しいと思います。
最後になりましたが、いつも息子を叱咤激励してくださり、また私の不安な気持ちに寄り添ってくださった佐藤先生、八木先生、個人指導で洛星まで導いてくださった木村隆志先生、小林先生、いつも息子が思い出し笑いをしてしまうような楽しい授業をしてくださった木村充志先生、演習でお世話になりました長瀬先生、富田先生、本当にありがとうございました。
私が京都女子中学校を受けようと思ったきっかけは、色々な学校のオープンキャンパスに行った中で一番雰囲気が良かったからです。
文化祭ではみんながわちゃわちゃ楽しそうに作品を作ったり劇をしていたし、そして私の大好きなイラストを描くアニメ部などがあり、この学校に行きたいなと思いました。
初めて京女対策を受けたときは全然できなく、特に一番最初にもらった国語の課題では佐藤先生に「これはやばい!」と言われてしまいました。
なので、わからない問題の直しをしっかりとやりました。
塾で間に合わなければ家でもやりました。
過去問を沢山解いていくと、京女の問題の傾向がだんだん分かってきて点数がどんどん上がっていきました。
そしていつの間にか苦手だった国語が大好きになってました。
テストの点数が悪くてすごくへこんでいたとき、佐藤先生と八木先生が二人がかりで間違えた問題を教えてくれ、立ち直ることができました。
入試当日の朝、佐藤先生に「落ち着いてやれば絶対受かる!」と元気に送り出してもらいました。
これで緊張がなくなり実力を発揮できたと思います。
こんなに大変だった受験勉強をやりきれたのは、先生たちが私に一問一問丁寧に教えてくれたからだと思っています。
受験が終わってうれしいけどみんなとお別れなのはちょっとさみしいです。
本当に今までありがとうございました。
娘は絵を描くことが大好きで将来は芸術系の大学に進学することを希望していましたので、中学高校の6年間はできるだけ好きなことに集中させてやりたいと思い中学受験にチャレンジすることを決めました。
入塾した頃は算数や理科の問題がわからず泣きながら勉強していましたが、志望校が固まってくるとわからない問題にも前向きに取り組むようになり、点数も安定してくるようになりました。
国語対策講座を受講してから国語の点数が目に見えてよくなっていきましたし、京女対策講座を受講してからは京女の問題に対して自信を持って挑んでいたように思います。
過去問で良い点数を取れたことなどうれしそうに報告してくれることが多くなり塾の話を聞くのが楽しみでした。
家では塾の宿題や配られたテキストを中心に勉強しましたが、やはり塾の先生方に教えてもらうのが一番良いと思います。
特に年明けから入試までの大事な時期に塾を朝から開いていただいたのは非常にありがたかったです。
他の塾では考えられないくらい手厚いフォローと同じ目標を持った仲間と切磋琢磨できることで、コツコツと頑張ることができたと思っております。
無事に合格まで導いていただき先生方には感謝しかありません。本当にありがとうございました。
私は第一志望のノートルダム女学院中学校に合格しました。
家から塾まで遠かったのですが、入江塾に通うことが本当に楽しくて最後まで頑張ることができました。
6年生になり、国語と算数の個人指導を受けました。国語は小林先生にいろいろアドバイスをもらい少しずつ過去問も点数が取れるようになりました。
時には褒めてくれたりして、とても嬉しかったし自信につながったと思います。
そして算数は長瀬先生に教えていただきました。
算数が苦手な私にじっくり根気よく教えて下さり、私なりに出来ることも増えたと思います。
たくさんの友達と一緒に勉強して、特に受験直前はお互い「頑張ろうね」と励まし合ったりして、辛い時も乗り切ることができました。
受験当日は長瀬先生が、先生方の書いて下さったメッセージカード、お菓子、カイロ、佐藤先生と八木先生の似顔絵の消しゴムを渡してくれました。
そして「頑張れ!」と背中を押してくれました。
合格発表までドキドキしたけど、結果が「合格」と分かり、とても嬉しかったです。
佐藤先生、八木先生、小林先生、木村A先生、木村T先生、長瀬先生、富田先生、本当にありがとうございました。
また遊びに行きます。
私は5年生から、入江塾に通い始めました。
入塾した時から、五ツ木模試の点数が思うように取れず不安だったので、6年生になり算数と国語の個人指導を取りました。
5年生の時は、漢字や語彙が苦手でしたが、小林先生と「漢字と語彙のテストで◯◯点以上取る!」と約束して、それを目標に勉強しました。
するとどんどん目標に近付き、最後の語彙テストでは満点を取ることができました。
そのことが自信につながり、受験当日は安心してテストを受けることができたと思います。
また算数の個人指導は富田先生が優しく教えて下さり、計算や1行問題をたくさん解き、過去問も出来る問題が増えていきました。
塾に通う楽しみの1つに友達との時間がありました。
送迎車の中でみんなでいろんな話をして笑ったり歌を歌ったりしてとても楽しい思い出です。
受験前日はみんなで寄せ書きをしたり、佐藤先生に思いきり背中を叩いてもらって気合いを入れてもらい、緊張がほぐれました。
そして当日は長瀬先生が応援に駆けつけてくれました。
合格発表の日、「合格」を確認し大喜びしました。すぐに入江塾に電話をして、佐藤先生に「合格おめでとう」と言ってもらえて本当に嬉しかったです。
第一志望のノートルダム女学院中学校に合格できたのは先生方のおかげです。
そして一緒に頑張ってきた仲間達がいたからだと思います。
たくさんお世話になりありがとうございました。
5年生から2年間、双子が入江塾でお世話になりました。
それまでは、大手の他塾に通っていましたが、宿題が多く分からないことがあっても自分から積極的に質問に行けない娘達は、消化不良のまま通塾していました。
なかなか成績も上がらず親子共にモチベーションが下がってこのままではいけない…と思い、どこか娘達に合う塾はないかと探していたところ、入江塾にたどり着きました。
自宅が京都市内ではないので、遠くから通えるのかと最初は不安でしたが、娘達は「塾が楽しい」と毎週楽しみに通うようになりました。
しかし、反抗期でなかなか家で集中して勉強しないことも多くダラダラと机に座るだけで前に進まない日もあり、私とぶつかることもしばしばで、私は面談の度に佐藤先生に相談させてもらっていました。
家ではそのような感じだったので、何度も受験をやめるか続けるか…と話し合いましたが本人達は「絶対辞めない。」と言い張っていました。
そして6年生になり、演習時間も長くなって、帰宅時間も23時前になる日があってもいつも楽しそうに帰ってきて塾での話をしてくれていました。
「こんなに遅く帰ってきてしんどくないの?」と聞いても「全然。毎日行きたい。」と言っていました。
それくらい入江塾での勉強が楽しかったのだと思います。
5年生の時にいろんな学校のオープンスクールに参加し、その中で2人が志望したのがノートルダム女学院中学校でした。
1人はこの学校で英語を勉強したい。
そしてもう1人は雰囲気が気に入り、絶対にこの学校に行きたいと言い出しました。
そうは言っていてもなかなかスイッチが入らないこともあり、心配ばかりの日々が続きました。
夏休みに入り夏期講習期間に、過去問に取り組ませてもらうようになって、急にやる気が出たのか少しずつ意識が変わったように感じました。
秋に実施されるプレテストに向けて、演習でたくさん過去問を解き自信をつけていただきました。
あっという間に冬休みになり、冬期講習期間は年末年始も毎日塾に通いました。
冬休み明けは、学校から帰宅してから塾に行くつもりにしていましたが、冬休みが終わる直前に「私は学校は休んで朝から塾に行くから。」と言い出し、「えっ?そんな予定にしてない」と悩み、娘達に「学校は行こう」と言い聞かせようとしましたが全く聞いてくれず。
困った私はすぐに佐藤先生にメールをして相談しました。
次の日、佐藤先生は早速娘達に気持ちを聞いて下さり、本人はやはり「塾に行きたい」と言ったそうで、そのことを伝えるため佐藤先生からお電話をいただきました。
入試直前のお忙しい時期に、娘達のことを考え対応して下さったこと本当に感謝しております。
結果、学校はお休みをして朝から塾に受験前日まで通いました。
おかげさまで悔いなく勉強することができ、メンタル面も落ち着いたのではないかなと思います。
そして年末年始、入試直前期間は送迎がないこともあり、市バスで通いました。
同じ市バスに乗ってくるお友達がいたり、一緒に帰るお友達がいたりそれもまた良い思い出になったようです。
とてもいい仲間と同じ時間を過ごし、その中で励まし合いながら頑張ってこれたことはこれからも娘達の支えになることと思います。
卒塾する数日前に娘達が「お母さん、入江塾に通えてほんまに良かった」と言ってくれました。
その言葉を聞いて今まで頑張ってきて本当に良かったととても嬉しく思いました。
「卒塾するのが寂しい。まだまだ塾に行きたい」と受験が終わった今も言っています。
娘達も私も入江塾が大好きです。
入江塾に通えて素晴らしい先生方と仲間に出会うことができ心から嬉しく思っております。
今まで娘達を温かく見守り、そして支えて下さり本当にありがとうございました。
私が入江塾に入塾したのは4年生の2月(小学校では3年生)のときでした。
もともと、勉強が好きで大変なことは先に終わらせたいタイプだったので、中学受験に興味を持ち、入塾しました。
ドキドキ、ワクワクしながら土曜日の最初の授業を受けにいきました。
そこで、「えっ…」となかなかに驚いたことを今でも覚えています。
「生徒少なっ」
私をふくめて3,4人くらいしかいなかったと思います。
失礼ながらも、「この塾大丈夫かな」と思いました。
まあ、とりあえず席に着き授業を受けました。
その授業がまぁ面白い、面白い、「塾楽しいかも」と色々衝撃を受けながら帰りました。
そこから、毎回の授業を受けるうちにさらに面白くなり、友達ができていました。
5年生になり、だんだん苦手な教科が見えてきました。
算数ができない。
他の教科はまだ好きでしたが、算数となると思考がストップしてしまうクセがありました。
模擬試験が始まり、算数の苦手意識が消えないまま臨んだ一回目は偏差値44、得意な国語との偏差値の差が20、30くらいあるときもありました。
6年生では算数をできるようになるために佐藤先生に個人指導をお願いしました。
佐藤先生の文系的な説明が分かりやすく、そこから少しずつ偏差値50以上がとれるようになっていきました。
そして、八月に第一志望の同志社女子中学校の推薦を出し、通りました。
それから無事に合格することができました。
本当にありがとうございます。
他の大手塾に行ったことがないので本当のところは良く分かりませんが、1つ断言できることがあります。
それは私は入江塾だからこそ、ここまで成長できたということです。
まず、先生。
先生が面白く、でも分かりやすく教えてもらいました。
特に、暗記が多い社会は木村A先生が実体験や例をふまえながら、より頭に残りやすいように授業をしてくれました。
また、複雑なこともある理科も八木先生がいたって単純に理解しやすいように教えてくれました。
木村A先生が黒曜石でつくられた石器を説明するためにティッシュペーパーの箱をホワイトボードの溝にうちつけて、みんなで引きぎみに笑っていたことや、弥生時代のムラどうしの争いを教室の生徒を2つのグループに分けて再現したことは、今でも覚えていて笑えます。
そして、やはりラスボス(?)の佐藤先生のことを書かずにはいられません。
いつも何かしら笑っていて(笑いをとっていて)、しかもめっちゃくちゃ分かりやすい。
本当にありがとうございます。
泣きながら塾に行ったときも、結果が悪くて悲しくて不安でくやしかったときも、「今までこんな子がいたから大丈夫!!実はこんなこともあってんでー!!」とはげましてくれ、自然と周りのみんなも私も、腹をかかえて笑っていました。
長くなって申し訳ないですが、最後に友達のことを書かせてください。
みんな個性的で、佐藤先生が「普通の子が…」と1日に20回ぐらいなげいていました。
おかげでいつも楽しく過ごせました。
成績によるクラス分けがないので、みんなが仲良く卒業しても会いたい友達ばっかりです(ちなみに6年生は25人ほどに増えました)。
入江塾は演習中におやつがもらえるので(※編者注 6年冬期と直前期のみ)それを食べながら話したりするうちに、もっと仲良くなりました。
元日に北野天満宮へみんなと行き、帰りに塾からもらったおこづかいでおやつを買ったり、最終日に寄せ書きをして写真をとったり…。
たくさんの思い出ができました。
もっといたい、大好きな入江塾。
国語を丁寧に教えてくれた小林先生。演習で算数も理科も教えてくれた木村T先生。理科を分かりやすく教えつつも男子にビシッとツッコンでいた八木先生。たくさんの話をしてくれた木村A先生。
私も将来、こんな先生になりたいという夢ができました。
そして、心の支えであり、深い愛がある佐藤先生、本当にありがとうございました。
感謝しかありません。
またちょくちょく来たいです。
ありのままを書いています。
忘れもしない小学校3年生の3学期。
娘が朝刊に挟まっていた塾のチラシを見て「塾ってあるんや、行ってみたい」と言ったのです。
私は勉強嫌いでしたのでキッチンで茶碗を洗いながら「なんでそんなところにわざわざ行くの!!」と突然にして逆ギレしたのがスタートでした。。。
中学受験を経験した夫はすぐに娘の気持ち理解し、「受験はまだ先なので今は考えなくてもいい、まずは経験させてあげよう」と言い、塾をほぼ直感(笑)でこちらに決めていました。
直感の中には宿題が少ないというところ。演習があるので先生に質問できる時間があること。その2点が含まれていました。
それから塾生活がスタートしました。
しかし、正直私は娘が5年生までは100%賛成ではなかったのです。
というのは、私の価値観では「子どもは友達と外で遊ぶのが本業」だったのです。
ですので勉強ばかりしている娘を見て「かわいそう」と思っていました。
それから6年生になる前でしょうか、このまま娘は受験をするのだろうか…、本当にそれでいいのだろうか…、まだ小さい子どもなのに勝ち負けの世界になんて…、と心がざわつき始めたため、受験に関する本を読んでいました。
その本の中で、『多くの大人がお休みの日にサッカーやスポーツで練習に行く子ども達には、「頑張ってるね!」という声援。
重たい塾のかばんを持っている子には、「お休みの日にまで勉強ばかりさせられてかわいそうに…」という気持ちがあるようです。
スポーツで頑張る子がいるように勉強で頑張る子がいるのです。
受験生はペンを持ったアスリート達なのです』というような内容だったかと思います。
それを読んだ瞬間、知らず涙が出ていました。
私は娘に自分の価値観を押し付けてしまっていたこと、勉強が好きな子、挑戦したい子もいること。
それから自分の心が落ち着き全力で娘の応援体制に入りました。
入江塾と他の塾と違うと実感したところがあります。
それは習い事との両立です。
娘は5歳から習いごとをしていますが、受験するには6年生からは習い事は休むのが常識と思っておりました。
でもどこか腑に落ちないところがあり、佐藤先生に相談しました。
お返事は、「習い事などはできれば続けてください。ずっと勉強ではなくその時間があることでリフレッシュできますよ」との返事でした。
「やっぱりそうだ!」と思い習い事の先生に早速伝えると応援してくださいました。
いつもの仲間に会い、週1回リフレッシュの時間が持てました。
娘にとってこれがとても良かったです。
娘の塾生活はそれはそれは楽しくて楽しくて書ききれません(笑)
いつもお土産話があり、家族で話を聞きながら楽しい夕食をいただいていました。
そしておかげさまで自己推薦から合格をいただきました。
本当に嬉しかったです。
この塾とご縁があったこと心から感謝致します。
バスに入江塾の広告で「ソフトな塾」と書かれていたのにびっくりしたことがあります(笑)
私が思う「ソフト」という意味は、子ども達を競争だけに目を向けさせることではなく、仲間たちや先生達と一緒に個々にあったやり方で最大限の力を発揮できるよう先生達が見守ってくれている(愛あってこその厳しさもあります)。
そういう「ソフトさ」という意味だと思っております。
先生、意味が違っていましたら申し訳ございません(苦笑)
以上このようなありのままを書かせていただきました。
僕は5年生の4月から入江塾へ入りました。
前の塾では、算数の単元が理解できずに困っていました。
入江塾に入ったら先生が隣についてくれ、わかりやすく説明をしてくれたのでしっかりわかるようになりました。
国語も苦手だったのですが、語彙と接続語をくりかえし教えてくれ一緒に取り組んでくれたおかげで、前より理解ができるようになりました。
入江塾には5年生からお世話になりました。
演習では、わからない問題に何度も取り組む中で、理解できるまで根気よく指導していただきました。
特に苦手だった国語では、個別指導で解き方や時間配分を丁寧に教えていただいたおかげで、以前より苦手意識が薄れてきたように感じます。
また、塾での勉強と並行して、3年生から続けているバレーボールにも取り組んでいました。
佐藤先生から「受験勉強の息抜きとして続けてみては」と勧めていただき、勉強とスポーツを両立することで心身のバランスを保つことができました。
息子と並走して力を引き出してくださった入江塾の先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました!
私は4年の秋に入江塾に入塾しました。
しばらくは授業を受け、出た宿題をこなすだけの日々を繰り返していました。
5年になってから受けた五ツ木模試では、苦手な理科と算数で偏差値が50台前後をさまようことも多々あり、40台になることもありました。
そんなことが続いても、私は危機感を持っていませんでした。
しかし、5年の夏くらいに同志社女子中学の説明会に行って目標が定まり、自分が苦手だと感じた教科の復習を家でしたり、理科や算数の予習シリーズの練習問題を解いたりして少しずつ努力をしていきました。
6年の夏以降は、五ツ木模試で、理科や社会の偏差値があがったり下がったりをくりかえし、このままで大丈夫なんだろうという不安も出てきました。
そこからは演習の数も週2から週3,4に増やし、赤本で過去問を解き、家に帰ったら復習をすることを頑張りました。
課題が溜まっているときは、八木先生に課題を減らしてもらったり、自分の本命校の問題を増やしてもらったりしました。
最後の方は算数の問題が解けると、達成感を感じ、いままで苦手だった勉強が楽しくなりました。
そのおかげで年明けから受験の前日まで毎日たのしく演習に行きました。
受験前日の寄せ書きをする時には、みんなで励ましあいました。
帰る時には佐藤先生に喝を入れてもらって、絶対に頑張ろうと思いました。
受験当日、校門の前で八木先生とみんなが待っていて、安心しました。
試験を受ける直前には、先生方の応援メッセージをみて緊張がほぐれ、いつも通りの実力を出し切ることができました。
結果は合格でした。
入江塾では友達もたくさんでき、塾に行くのが楽しみでした。
また、入江塾では大量の宿題や課題が出なかったので、趣味のピアノも前日まで練習を続けることができました。
本当に最後までありがとうございました。
4年生の11月から入塾させていただきました。
大手塾の体験にも行かせていただきましたが、教室にテストや模試の順位表が貼ってあったりと雰囲気が合わなかったようで、自分のペースで勉強できそうな入江塾がいいと娘が言いました。
また30年以上も大昔ですが自分自身の中学受験の経験から、晩ご飯を家族一緒に食べれなかった事や勉強しすぎて希望の中学に入ったものの燃え尽きたこともあり(泣)入江塾の方針に共感をもちました。
入塾してからは、マイペースな娘の勉強への向き合い方に不安を覚えて何度もお電話にてご相談させていただくと、いつも八木先生、佐藤先生が「お母さん、大丈夫ですよ!塾では娘さん頑張ってますよ」「中学受験は通過点にすぎないから落ちたっていいんですよ」そう言われると狭くなっていた視野が広がって安心しました。
また、体調不良や気分がのらない時に授業や演習を日程変更したいですとメールするとすぐ返信していただいたりと、気持ち良い対応をしていただけました。
ずっとエンジンがかからず親がヤキモキしていた娘ですが、問題を解いてもすぐに分からないから教えてと言っていたのが最後には自分で考えて問題を解いたり、自学ができるようになっていきました。
受験直前期には「算数の問題がわかると楽しい!!」
「年末も正月も演習に行ってみんなと勉強したい!」
「歴史の勉強っておもしろい!」といった成長を見せてくれました。
こちらでお世話になって本当によかったと思いました。
このたび第1希望の同志社女子WRに受かることができ、入江塾の先生方々に感謝しております。
本当にありがとうございました。
国語は、先生の指導のとおり地道に頑張りました。
算数は、通塾当初からしばらくは難しく感じていました。6年生の秋以降から楽しいと思えることが増えました。
理科は、最後まで気合で乗り越えました。
社会は、先生の日常のお話が面白くて授業が好きでした。
演習の先生方からも、直前期の応援メッセージをいただき嬉しく励みになりました。
入試本番にいただいた入江塾オリジナル消しゴムはもったいなくて使えず、一生の宝にしようと思います。
両親から塾を辞めたらと言われたこともありましたが、あのとき辞めなくてよかった。
やりきったという思いです。
入江塾は塾全体の雰囲気が良く本当に楽しく通塾することができました。
【入塾のきっかけ】
5年進級時に本人が中受希望(2~4年まで公文のみ。両親とも中受経験なし・フルタイム勤務 → 不安ばかりが大きかったです)
知人のご子息が毎日楽しい楽しいと入江塾に通われていたとお聞きしていたことがきっかけで通塾開始(娘も最後の授業まで楽しい楽しいと1度も行き渋りなく通塾)
【塾全般】
5年生→数か月は出町柳校(週3回通塾)、その後北野校舎(週4日通塾)
6年生→週4日から、秋以降週5日通塾
(家庭では塾宿題のみ。6年生夏も普段と変わらない勉強量。学校の友達ともよく遊んでいたため、先生方に「こんなに遊んでていいものか?」「もう受験を辞めさせた方がいいのではないか?」等よく相談させていただきました)
【家でのサポート】
ネット上で自分の好みの方のサポート方法を参考にしつつ出来ることはサポートするよう心掛けた(つもりですが、うまく機能しなかったものは数知れず。6年年明けに過去問の間違った部分をノートに書き集め、隙間時間に見直した方法は娘が気に入ったようです)
第一志望へ合格させていただき娘は大きな自信になったようです。
また不合格を想定し、「公立中に通われている知り合いのお姉さんは〇〇高校へ行って頑張っているらしいよ」や、励ましの参考になりそうな新聞の切り抜き記事をしたためておくなどして、どの進学先でもポジティブにスタートできるように心の準備をしていました。
最後に、京女入試の当日、アンケートで通塾先の回答欄に入江塾がなかったため、「その他」の欄に「入江塾」と記載したらしいのですが、娘は唯一無二の塾!との思いで誇らしく書いたのだと報告してくれました。
塾の良さをあらためて実感させていただきました。
私は、5年生の時からの先生方の丁寧な指導としゃもじを交えたコミュニケーションのもとに、志望校に合格することができました本当に嬉しいです。
しかし、その嬉しさのあまりうっかり塾に合格を伝えることを忘れてしまった私は、次の日に呑気にお菓子を持って塾に行った時、先生方に『このバカ!』『心配したんだぞー!』『合格したか?』と言われてしまいました。
そこまできてやっと状況を理解した私は、『うかった!!』と笑顔で言ったところ、先生も笑顔で『よかったー!』といってくれたことが本当に嬉しかったです。
長瀬先生、佐藤先生、八木先生、その他にもたくさんの先生方、今まで散々迷惑をかけて本当にすみませんでした。
あたたかい雰囲気の塾が大好きです。
ありがとうございました。
お友達が通っていた入江塾のお話を聞いて、マイペースなうちの子もここなら楽しく過ごせるかもしれないと思い、5年生の春から通わせていただきました。
先生方から毎月いただく裏表のない的確なコメントや、子どもから聞く塾の様子、面談時での相談など、するべき事は塾に全部お任せして大丈夫(むしろする方がいいのだなあ)という安心感を持つことができました。
塾の先生方は私たちにとっては、ダンジョンに挑むチームの先輩に近い存在でした(子供にとっては頼り甲斐のあるの将軍のような感じだったようです)。
そのような仲間になっていただく事は、受験生を持つ親にとってこれ以上ない安心でした。
先生方と子供たちの距離が良い意味で近く、いつも正面から向き合っていただいたことは、合格以上に価値のあることであったと思っています。
直前で成績が伸びず、受験先の相談に乗っていただいたこともありました。
結果的にいつもの模試以上の得点で第一志望に無事合格できたのは、子供の気持ちの安定を作っていただいた毎日の先にある事であったのだと思いますし、まだ気持ちの安定しない年齢の子供たちにとって、中学受験とはそのようなものであって欲しいと願っています。
本当にありがとうございました。
私は、入江塾が大好きです。
入江塾に入っていなかったら、中学受験を楽しく 最後までできていなかったと思います。
授業が楽しく、いいお友だちもたくさんできて、毎週土曜日を心待ちにしていま した。
5年生の間は、得意な理科のお陰で成績は出ているような感じでしたが、 国語と 算数だけでみると、 うーん、、、 という感じでした。
志望校がはっきりしていなくて、不安な気持ちだけが膨らんでいるような モヤモヤした気持ちもありました。
オープンスクールにいって京女の雰囲気が好きだなと感じていましたが、 まだ決めかねる状態が続き、佐藤先生と話し合いました。
それで京女にいきたい!気持ちが固まりました。
そこから心がとても安定して 、「絶対に受かるぞ」 と気持ちを強くもてるようになりました。
6年生から国語と算数の個人指導がはじまりました。
算数は京女対策がはじまるまでの4ヶ月ぐらいでしたが、 佐藤先生の楽しく愛のある指導のお陰で偏差値が64を越えるまでぐんぐん伸びて、ちょっと自信がなかった算数に自信が持てるようになりました。
苦手意識があった国語は個人指導の富田先生のお陰で、始めて1ヶ月後の 五ッ木模試で偏差値が67.9まで伸びてビックリしました。
最初はまぐれかと思い ましたが、その後も安定して成績がとれるようになり、国語が好き!と思えるほどになりました。
京女対策では、最初は難しくてこんなん無理や、、と弱気になりましたが、過去問をたくさんといていくうちに、京女の算数、国語の解き方が分かるようになっていきました。
直前期になると、メンタルが不安定になり、計算ミスをして点数を落としてしまったり、問題を読み飛ばしたりしてまた点数が下がり悪循環に入ってしまうことも ありました。
それでも大好きな佐藤先生が「大丈夫、落ち着け!」と励ましてくれたお陰で気持ちをたて直すことができました。
そして塾最終日、富田先生も「大丈夫だから自信をもっていきなさい」と送り出してくれました。
試験当日の朝、佐藤先生が京女の門の前で応援してくれました。
力強く抱き締めて「落ち着いてやれば大丈夫!」 といってくれたので、本番で最大限の力を出すことができました。
午後に受けた京産大附属中学の試験は、最後の最後まで粘って点数をもぎ取りました。
そのお陰で、A特待に選抜してもらうことができて本当に嬉しかったです。
楽しい授業をしてくれた八木先生、 小林先生、 木村A先生、木村T先生、個人指導で私を伸ばしてくれた富田先生、演習でみてくれたたくさんの先生方、そして京女対策、難関対策、個人指導で面倒をみてくれた佐藤先生、いつもそば で一緒に頑張った大好きな友達たち、本当にありがとうございました。
入江塾での思い出全てが宝物です。
またみんなで塾に顔を出したいです。
入江塾に入塾したのは新小4の3月でした。
大手塾も検討しましたが、激しくクラスが変動したり、成績順の座席にすわったりすることに抵抗を感じ、競争原理を利用しない入江塾にたどり着きました。
入江塾のすごいところは、一人一人のこどもにあわせた学習量を絶妙に調節されるところです。
親が焦って演習を増やしたほうが、、 と相談しても、むやみに増やすことはよしとされません。
5年の後半にもっと演習を増やそうか相談したときには、華奢で小さい娘の体つきまで考慮して、まだそこまでしなくてもいい、今詰めすぎると6年まで体力がもたないとおっしゃり、 本当に娘のことを考えて くださる対応に感服しました。
志望校についても、入試をゴールと考えず、入ったその先に娘が伸びる環境があるのか、を念頭にアドバイスをくださいました。
次に入江塾の真骨頂といえる個人指導について書きたいと思います。
6年になり、まず国語の個人指導が始まりました。
個人指導が初めてだったこともあり、国語の解き方の技的なものを教わるの? ど んなことするの?と質問すると、 まずテストしてから教えてもらうという娘。
それならテストを解くのは宿題でしておいて、せっかく先生を独り占めできる時間は全部教えてもらう時間にしたほうがいいんじゃない?と聞くと、「ママ、違うで。富田先生は私がどんな風にテストを解いてるか見てはんねん。それみた上で教えてくれはんねん。」
ぐうの音も出ず、全て先生にお任せしようと心に決めました。
そして1ヶ月後の五ッ木模試で偏差値67を越え、こんなにすぐに結果がでるのかと驚きました。
その後も国語で大こけすることがなくなり、武器になるほどにまで成長しました。
そこから少し遅れて算数の個人指導が始まりました。
算数は佐藤先生にお世話になりましたが、 取りはじめた理由が少し変わっていました。
「学力はついているけれど、気持ちが焦ってしまっている。 メンタルをまずは整えることを優先したい、そういう指導をすることに了承いただけるか?」
先生を信頼してここまでやってきたので、すべて先生の方針に従うとお伝えして指導が始まりました。
難関校対策のクラスが今年は本当にレベルが高いと聞いていて、その雰囲気に圧倒されていた娘も先生の個人指導でどんどん自信を取り戻し、なんとかみんなに食らいついていけるようになりました。
それにともない五ッ木模試も国語同様に短期間にぐんと伸び、4科偏差値も最高値を更新していきました。
京女を第一志望に据えることが決まり、秋からは佐藤先生の個人指導はなしで京女対策で算数は対応することになりました。
個人指導がなくなるとずるずると算数の偏差値が下がりはじめました。
最初は、あれ? 調子わるかったかな?ぐらいに思っていたのですが、その後もなかなか戻らない成績に私も娘も動揺しました。
「佐藤先生の魔法が解けてしまったんかもしれん。」 その娘の言葉にすぐに塾に電話して、個人指導を再開してほしいと伝えました。
営利的な塾なら、やりましょう!と喜んで追加オプションを入れられると思います。でも佐藤先生の答えは、「個人指導はせずに、京女対策で算数はいく。」と いうものでした。
先生は、「私のことを○○(娘の名前) が心の支えにしてくれるのは構わない。でも今は気持ちが私に依存してしまっている。ここで私が手を出してしまった ら、○○は先生のお陰で京女に受かった、と思ってしまう。学力はちゃんとついてる。○○が自分で合格を勝ち取ったと思えないと入ってからの成長にも影響する」
思い出しても涙ぐんでしまいますが、 合格さえさせればいいという塾ではない、本当に人を育てる塾に出会えていたんだと思い、不安ではありましたが、佐藤先生を信じて進みました。
最後に年末年始と休むことなく入試前日まで毎日通塾しました。
仲間がみんな頑張ってる、毎日友達にあえて嬉しいとよく言っていました。 朝から始まり、夕方には終わるので入試前に早寝早起きのスケジュールに移行することができて本当に助かりました。
先生方のご苦労を思うと頭が下がります。
過去問も大手塾では家庭ですると聞きますが、一番大事なのは過去問です。
学校ごとに問題に特徴があり、一筋縄にはいかないものばかり。
これを家庭で管理してこなしていくのはとても難しいと思います。
入江塾では直しから、点数の悪かったものは忘れた頃に再テストまで管理してくださり、 親の負担はほぼな かったことがありがたく、 最大の威力を発揮したと思います。
京女の試験当日の朝、佐藤先生に力をもらって全力を尽くしました。
午後の京産大附属は一人で乗り込みましたが、「いっちょ、やってくるわ!」と 教室に向かう後ろ姿に胸が熱くなりました。
長くなりましたが、 娘は入江塾に入ってなかったら、 佐藤先生たちに 出会ってなかったら、 私の人生は完成しないとまで言っています。
入江塾に出会えて本当によかったです。
ありがとうございました。
3年生の2月に、入江塾に入りました。
最初の方は、塾に行くのが嫌だ、と思っていたけれど、5年生の後半からは、友達がみんな優しくて、塾に行くのが次第に楽しくなっていきました。
5年生になり、五ツ木・駸々堂テストを受けました。
結果は、国語と算数の偏差値が、低めの結果でした。
そして、しばらくして算数の点数を上げるために、駸々堂の算数の対策授業を受け始めました。
すると、みるみると算数の点数が上がっていきました。
佐藤先生が分かりやすく説明してくれて、授業の雰囲気も良かったからだと思います。
しかし、駸々堂テストの国語の偏差値は点数が不安定でした。特に、物語文と語彙が苦手でした。
なので、お父さんと一緒に心情の言葉と語彙の本の問題を解いたりし、塾で語彙のプリントを出してもらったりして、慣用句やことわざをたくさん覚えました。
そして、物語文が好きになり、得意になりました。
また、語彙の問題でも、少しは正解できるようにまではできました。
6年生では、赤本の問題をたくさん解きました。
赤本の問題は、何回もやっても、受験本番の直前にも、算数の凡ミスがひどく、国語は安定していい点数が取れないというのが多かったです。
でも、前期のWRは点数がギリギリだったりしたけれど、過去問は合格点には届くので、だんだんと自信がついていきました。
また、駸々堂テストの結果が良くて、学校の成績もよかったため、自己推薦入試を狙い、出願書を出しました。
そして、自己推薦入試の受験資格があるかの結果が出る日。
結果は受験資格があった。
その日は家族全員で喜びました。
受験前日に先生から送り出してもらうとき、佐藤先生から「何も心配はない。」と言われて、より自信がつきました。
そして、受験当日。
とにかく「やりきる!後悔をなくす!」と思って試験に臨みました。
国語も算数も落ち着いて、全部の問題を解くことはできました。
結果は、無事、合格できました。
入塾してから約3年間、いろいろ教えていただき、本当にありがとうございました。
「ソフトな中学受験」このコトバにひかれ、入江塾のホームページを開きました。
1科目60分、授業は土曜のみ、講義形式、振替自由。
大手塾の90分授業、週2回の授業+自習 と比較し、親も子も負担が軽くなるこのシステムに魅力を感じ、入塾しました。
4年生、5年生の頃は、知識のインプットの時期。
楽しく塾に行き、こんなこと勉強したよと報告してくれる娘に目を細めていました。学ぶ喜びを実感してくれていることが何よりうれしかったです。
演習では、富田先生に苦手な国語を粘り強く教えていただきました。
5年生の駸々堂模試の算数は、初めて見る問題に苦戦し失点もしていましたが6年生から始まった難関算数講座で多種多様な問題に触れるうちに、算数が得意科目になっていました。
同女が志望校だったため、目標を高めに設定し、自己推薦LAにしていましたが、WRまで届く可能性のある結果を出すまで成績が上昇しました。
自己推薦を出願するとき、親はWRかLAかで悩みましたが、娘の気持ちをたずねると、「WRのみで挑戦したい。自己推薦がだめでも、一般受験でがんばるから。」と言いました。いつのまにか娘の方が力強くなっていました。
小6クラスがはじまる前の1月の保護者説明会。
佐藤先生の締めくくりの言葉が印象的でした。
「習い事はやめないでください。やめても勉強しませんから(笑)」
このとき、入江塾でよかった。と心から思いました。
そして、これまで以上に塾を信じると決めました。
結果、習い事のテニスとピアノも、テニスを10月からお休みしただけの「ソフトな中学受験」で、志望校の合格を得ることができました。
佐藤先生はじめ、入江塾の先生方、3年間サポートいただき、ありがとうございました。
私は、四年生の初めに入江塾へ入りました。
四年生のころは、授業を聞いて、ただ宿題をこなす日々を過ごしていました。
五年生になりいろいろな学校のオープンキャンパスに参加しました。
そのとき、心惹かれたのが、同社女子中学校でした。
先生と生徒の距離が近くて仲が良く、楽しそうにしていて、私が探していたのはここだ!と思いました。
けれど、同志社女子中学校の自己推薦で必要な五ツ木・駸々堂模試の偏差値は下がり続けました。
自己推薦は無理だと分かったとき、私の心に火がついたと思います。
六年の秋以降は、本格的に過去問に取り組み始めました。
国語は、時間配分や語彙と漢字にこだわり、算数は、八木先生の個人指導で丁寧に教えてもらいました。
理科と社会は、家で復習をしたり、細かい点は、演習の先生に教えてもらいました。
塾に行く最後の日は、佐藤先生に喝をもらい、受験当日では、八木先生に喝をいれてもらいました。
各教科ごとの休憩時間では、先生からもらった自分自身の心得を読んでいました。
そのおかげで、本番では、自分の力を最大限に発揮することができました。
3年間、塾のみんなとは、たくさん笑い合いました。
いつしか、塾に行くことがすごく楽しいことになっていました。
特に、同じ志望校の友達たちには、最後の最後までたくさん励ましてもらいました。
個人指導では面白く、優しく、時に厳しく、丁寧に教えてくれた八木先生、佐藤先生、木村A先生、木村T先生、小林先生、富田先生、長瀬先生、三年間お世話になりました。
本当にありがとうございました。
4年生から3年間、お世話になりました。
息子も3年前に受験をしていて、入江塾でお世話になりました。
息子は5年秋の入塾でかなりギリギリのスタートでした。
息子の時の経験を踏まえ、もし受験をしたくなった時に慌てないように、例え受験をしなくてもやった勉強は無駄にはならないので、とりあえず通ってみようかという感じで入塾しました。
通塾するなら自分のペースで勉強ができる入江塾一択でした。
受験に対してきちんとした覚悟がないまま、6年の秋頃までフワフワした親子だったと思います。
この3年間、娘の事は娘自身に任せて、後は入江塾というか八木先生に全てお任せでした。
娘に何か言っても、八木先生に聞くから大丈夫、八木先生に相談してみると、八木先生に絶大な信頼を置いていました。
また、息子が全国を目指すような部活をしており、そのサポートも中々忙しく私もそれに甘えていました。
学校の成績が良かったので同女の自己推薦に応募したいと思っていましたが、自己推薦の対象の回になってからどんどん落ちていく偏差値は特別回まで持ち直す事ができませんでした。
ショックでしたが、現実を受け入れて頑張ろうと、ここで気が付けて良かったねと娘と話しました。
そもそも演習の量が少な過ぎで、周りの受験生と比べると勉強量が格段に少なかったと思います。
また、面談で、八木先生にギリギリですと言われたよと娘に伝えると、私も言われたと…この時にやっと親子でやる気になれたように思います。
のんびりし過ぎました。
冬期講習はほとんど毎日朝から夕方まで大丈夫かなと思う程通っていましたが、何より楽しいし、家より集中できるし先生に質問できるから全然大丈夫!と喜んで通っていました。
受験当日に、八木先生を囲んで皆んなで楽しそうにしている姿を見て、素敵な先生と仲間に恵まれて本当に良かったなぁと温かい気持ちになりました。
先生方のお陰で合格する事ができました。
本当にありがとうございました。
私は4年生の第1回から入江塾に入りました。
4年生の間は、国語と算数の授業だけ受けていたため、理科と社会が苦手でした。
国語は苦手ではないものの嫌いで、算数が好きでした。
5年生の時に行った西京のオープンキャンパスで、西京への受験を決めました。
5年生の11月から始まった算数の難関対策では、佐藤先生にわからない問題を細かく教えていただきました。
難関対策の最初にテストをして、すぐに皆のテストの採点をします。
最初は点数が高い方ではなかったけれど、私はすごく負けず嫌いなので「次こそは1番になる!」という思いで毎週水曜日を楽しみにしていました。
そして6年生クラスの2月から国語の個人指導が始まりました。
西京の国語にある作文になかなか慣れず、一番最初の作文は6点とひどい点数でした。
その度に富田先生が親身に教えてくださり、成績が伸びていきました。
6年生の春から秋には模試の頻度が増え忙しくなっていき、私は中高一貫模試の判定がAからBになり、Cになって、成績が伸び悩み、精神的にも不安定になるとその度に佐藤先生と相談していました。
私の塾の楽しみは友達でした。
一緒に「推し」の話をしたり、髪をアレンジしてみたり、時には親や先生にも話していない悩みも話しました。
友達と一緒に自習室に通ったり、勉強会を開いたりもして、楽しい思い出がたくさんあります。
受験が近づくにつれて「もっと入江塾に居たい」と思っていました。
受験前日は佐藤先生と富田先生に喝を入れてもらいました。
佐藤先生に「おまえならできる!平常心!」と伝えられました。
当日にも富田先生が応援に来てくださり、緊張していたためか富田先生を見ると、安心し泣いてしまいました。
そこで緊張も解け本来の力を発揮することが出来ました。
いつも楽しく授業をしてくださった八木先生、小林先生、木村A先生、木村T先生、演習でお世話になったたくさんの先生方、毎回楽しく個人指導をしてくださった富田先生、西京対策、難関対策、京女対策をしてくださった佐藤先生、そして大好きな友達、本当にありがとうございました。
入江塾、大好きです!また遊びに行きます。
最初は中学受験に対して親子とも強い気持ちはなく、もし受験したい学校が出てきた時に準備が間に合わなくなると困るから、というごく消極的な気持ちで3年生の冬、塾通いを検討し始めました。
大手塾への入塾テストも受けましたが、「ピンとこないからやめておく」と娘。
次に連れて行ったのが以前友人から話を聞いたことがあった入江塾でした。
子供が勉強一辺倒になることに疑問を感じていたため「ソフトな中学受験」という触れ込みに私も興味を持ちました。
体験授業を受けたところ、塾から出てきたとたん「ここにする!」とのことで、よほど気に入ったのだと思います。
親としても、大手塾の成績別でクラスや席順を変えたりする手法は、娘に偏った価値観を植えつけることにならないかと心配しておりましたので、学力選抜をされない入江塾のやり方に好感を持ち、こちらでお世話になることに決めました。
塾に通う際、幼少期から通っている絵画教室を辞めたくない、というのが娘の最大の希望でしたので、無理なく両立できるよう、最初は週2回、国語・算数のみから始めました。
自宅からは少し距離がありましたので通塾が負担になるのではと気にしていましたが、烏丸今出川まで塾のバスが迎えに来てくださいましたので、安心して通わせることが出来ました。
4年生の間は、受験したい学校もなく、宿題はこなしていたものの、淡々と塾に通う日々でした。
宿題は日曜日に全てまとめてやってしまい、塾のない日は学校のお友達と思い切り遊ぶ、というスタイルで自分なりにしんどくならないよう工夫しているようでした。
5年生の秋頃、西京の学校説明会に参加したところ、初めて「いい学校やな」と興味を持ったようでした。
その前後でいくつかの学校を見学しましたが、やはり西京が一番気になるようでした。
応対してくださった生徒さんの明るい様子や、学校の雰囲気などに「ピン」ときたようです。
その後の面談で、先生に西京を受けたい旨お伝えしたところ、「公立と私立とでは傾向がかなり違い、私立の対策もやりながら公立の勉強をするのでかなり大変で覚悟が必要。途中で挫折する人も多い」とのお話しでした。
娘にも何度か確認しましたが「やる」「やってみる」というので、難関算数のクラスを受けることにしました。
もともと国語よりは算数が好きな子でしたが、このクラスを受けることで算数の問題を解くのが「楽しい」というようになり、グッと算数が伸びていきました。
国語はあまり好きではなかったため、成績も問題によってばらつきがあるようでした。
佐藤先生にご相談し、6年生から個人指導をお願いすることにしました。最初は苦戦していましたが、富田先生の優しくきめ細やかなご指導の結果、西京の難しい作文なども書けるようになり、徐々にテストの点数も上がっていきました。
6年の夏頃から西京・洛北の対策授業を受けました。
クセのある問題によく「ムズすぎる」と帰り道で感想を漏らしていましたが、この対策授業を受けたことで、少しずつですが公立の問題に慣れていったように思います。
受験に取り組む中での最大のピンチは、6年生の夏休み前、寝る前に急に「しんどい」「宿題が出来ていない」と泣き出した時だと思います。
難関算数に加え、西京や二次志望の私立の対策授業、個人別指導を受けていたので演習の時間が少なくなってしまい、全く時間的にも精神的にも余裕がなく、パンクしてしまったようです。
すぐに佐藤先生にご相談したところ、宿題を減らしてくださるなど色々と対応してくださいました。
個人別にきめ細やかに対応してくださることが大変心強かったです。
この後、娘と相談し、夏休み明けから思い切って絵画教室をお休みすることにし、時間的に余裕を持てるようにしました。
ここまで習い事を辞めず、半年お休みするだけで乗り越えられたことは、入江塾だからこそ出来たことだと思います。
娘は塾へ通う頻度が増え、小学校での活動も全力で取り組んでいたので、体力的にはしんどかったと思うのですが、塾に行きたくないと言ったことは一度もなく、それが親にとっても救いでした。
塾に行ったら友達がいる。
先生が教えてくれる。
だから家で勉強するより塾で勉強するほうがずっといい、とのこと。
勉強、勉強と言わなくていいので家庭が暗くならず、ありがたかったです。
お友達の話も良くしてくれました。
同じ公立を目指す友達との切磋琢磨できる環境が、マイペースな娘のガッツに火をつけてくれたのかもしれません。
また、様々な目標に向かう仲間との日々のやり取りも、勉強に取り組む中で、良いエネルギーの補給になったと感じています。
冬休みに入り、受験直前になると、塾は朝から夕方までとなり、家族そろって夕食を食べることができました。
先生が「塾で勉強しているのだから家ではしなくていい」とおっしゃったので、娘は夕食後はひたすら好きな絵を描いていました。
そのことで気持ちも安定したように思います。
受験当日、娘はかなり緊張していました。
個人指導を受けていた富田先生が西京の入口までお越しくださったのは本当にありがたかったです。
試験が終わった後、明るい顔で出てきたので、ホッとしました。
3年間を通して、申し訳ないくらい勉強はすべて塾にお任せし、「宿題やった?」と聞くことと、塾が終わった後で「どうだった?」と娘の話を聞くこと、そして日々のお弁当作りくらいしかしませんでした。
両親ともフルタイムで働いていることもあり、なかなかきめ細やかな管理ができない中、子供自らが進んで勉強に取り組めるよう指導し、リードしてくださった先生方には心から感謝申し上げます。
娘を入江塾に通わせて、本当に良かったです。ありがとうございました。
僕は5年生から入江塾に入りました。
最初は分からない事だらけだったけど、先生に質問すると丁寧に教えてくれてすぐに分かるようになりました。
算数と理科の成績がわるく、6年生から個人指導と理科対策をしてもらうようになりました。
個人指導の木村あつし先生はやさしくていねいに教えてくれて、今まで分からなかった問題がすこしだけできるようになりました。
理科対策では、30点台というとんでもない点数をとってしまうこともあり、八木先生に怒られたこともありました。
過去問をやるようになって、あと1点で落ちた、などということもしばしばありました。
しかし、先生たちがはげましてくれたり、ていねいに教えてくれたおかげで、なんとか合格することができました。
木村あつし先生、木村たかし先生、佐藤先生、八木先生、富田先生、入江先生、ありがとうございました。
息子「みんな行っているし、中学受験の塾に行きたいな。1年生から行っている子もいるんだよ。」
両親「そんな早くから行く必要ないって。暇だったら、今は本をたくさん読みなよ。テニスだって急にうまくなり始めたところじゃないか。」という押し問答を1年近く繰り返し、4年生の終わりにやっと我々も重い腰を上げて塾を探し始めました。
私たちは夫婦共に中学受験を経験しており、中学受験をすることには肯定的でした。同時に、身体の発達と同じく、頭の発達のスピードも特に小学生のうちはバラバラ。
早く飛べるようになることと、ゆくゆく遠くまで飛べるようになることは全く別であるのにもかかわらず、その中で早熟な子を選び出すことに特化し、たまたま早熟でない子に劣等感を抱かせるような中学受験の風潮には疑問を感じていました。
特に早生まれの息子にとって、それは本当にいいことなのか、と。
その中で、「ピークを中学受験に持ってくる必要はない」「新しいことを学ぶことを嫌にならせることが一番の問題」を標榜する入江塾は新鮮であり、出町教室が近かったこともあって息子を通わせ始めました。
「個々のレベルに合わせて指導すること」と「ただ単に優しく接すること」は紙一重であり、最初は「どんな塾なんだろう」、と案じていましたが、楽しそうな塾での話を息子から聞き、月一の先生たちのコメントを見て、前者であったことに安心して、息子をお任せすることにいたしました。
「心配ごとがあれば、どんなに小さなことでも、いつでもお電話でもメールでもご連絡ください」とやさしく声をかけていただきながら、一度も個別の連絡をしなかった私たちを、先生たちはさぞかし、「やる気のない親だなぁ」、と思っておられたかもしれません。
しかし、「勉強は指導のプロに任せよう」というのが私たちのスタンスでした。
むしろ、息子から時々聞く先生たちのビシッとした言葉に、我々も背筋を正されていました。
受験前、過度に不安を高めずに、教室の仲間たちと切磋琢磨させて本番に向かってモチベーションを徐々に上げていく先生たちの手腕には感服しました。
「入江のみんなで頑張る」というのが息子には心強かったようです。
出町教室に一人で通う時間が長かったのですが、いま思い返すと、北野の校舎にもう少し早く行かせてあげたほうがもっと楽しく、やる気を出させてあげられたかもしれません。
受験前の数か月、塾の滞在時間を自分で伸ばすことを進言して塾に通う息子は、顔つきも少し引き締まり、少し大人になった気がしました。
最終的には自分の行きたかった中学に合格し、喜ぶと同時にほっとした顔を見せる息子に、「彼なりにストレスを感じていたんだな」と、私たちもほっとしました。
勝負ごとに絶対はなく、どうしても運不運が大きく影響します。
しかし、息子にとって自発的に試験に向かって勉強する経験をできたこと、そして結果的にそれが成功したことは大きな財産になったと思います。
入江塾は主体的に自分と向き合い、目標に向かって学習をする、その仕方を学びたい方にとって最適な塾であると感じています。
2年間、ありがとうございました。
入江塾に通うことで、息子の成長・変化を目の当たりにすることが出来て、最後には彼の満足に満ちた笑顔を見ることが出来て、親の私たちも幸せでした。
私は、同志社女子中学校WRコースに合格しました。
私が入江塾に入ったのは、5年生の夏期講習前でした。
入江塾は演習で先生方にわからない問題をすぐに質問できるのがとてもよかったです。
私は宿題を日曜日に自分のできる範囲で終わらせて、演習の時に先生に質問したり、余った時間に五ツ木・駸々堂模試の過去問や苦手分野の復習に取り組んだりするようにしました。
先生が一人一人の苦手分野を理解してくれているので自分に合った勉強ができました。
国語の個人指導では、小林先生と基礎の文法から勉強を始めました。
わかりやすい説明のおかげで少しずつできるようになりました。
直前には漢字の総復習もしました。
読んだ本の話もたくさん聞かせてくれました。
算数の個人指導では、計算間違いが多く五ツ木模試や過去問・プレテストでも多く点数を落としていたため、八木先生と計算間違いを一問したら計算プリントを1枚やるという約束をして取り組みました。
おかげで年末ごろには計算間違いがずいぶん減りました。
難関校対策算数の授業では佐藤先生が、短い授業時間で一人一人の質問にていねいに答えてくれて、とてもわかりやすかったです。
ずっと苦手意識があった社会も、演習の時間にプリントを出してもらったり、冬期講習で木村先生にもらった「社会ファイナルチェック」を何度もくりかえし取り組んだりしました。
過去問でも点がとれるようになって自信がもてるようになりました。
友だちに助けられたこともたくさんありました。
難関対策算数で、私が悪い点を取るとみんながなぐさめてくれました。
休み時間にみんなで外廊下に出て外の空気を吸って気分転換をしたことや、先生方と一緒に勉強以外の雑談で盛り上がったことも楽しく、勉強をがんばろうという気もちにつながりました。
受験前日は佐藤先生に「今から受験まで絶対に勉強するな。今までやってきた自分の力を信じろ」と言われ、本当にこのまま受験して大丈夫なのか不安になりましたが、その通りにしました。
最後には、佐藤先生が「大丈夫。絶対受かるから。」と応援の言葉をかけてくださいました。
「絶対に受かる」と自分に言い聞かせながら家に帰りました。
早めにベッドに入りましたが、今までの努力が明日からのたった2日間で終わってしまうのだと考えると眠れず、結局寝たのは9時くらいになったと思います。
しかし、翌朝は頭がすっきりした状態で試験会場に向かうことができました。
父と母からは「前期の同女で全力を出し切ってきて!落ち着いて問題と向き合ったら絶対に受かる!」と応援の言葉をかけてもらいました。
試験会場には、個人指導をしてくださった八木先生が来てくださってので、すごくうれしく、緊張が解け、リラックスできました。
八木先生から、1人一つ、塾の先生方全員からの寄せ書きと、カイロ、キットカット、あめ、オリジナルの消しゴムをもらいました。
同女を受験する5人で、「入学式にみんなで会おうね。」と声を掛け合いました。
八木先生は、ぎりぎりのところまできてくれて、「がんばれ!」と応援してくれました。
試験会場は私だけ別のフロアで緊張しました。
席に座った時、初めてオリジナルの消しゴムのイラストが八木先生と佐藤先生の似顔絵だと気付き、「先生たちがついているから大丈夫」と落ち着くことができました。
そのあとは、がむしゃらに問題を解いたら試験が終わっていました。
午後は聖母学院中、2日目も同じスケジュールで同女と聖母学院中を受けました。
2日目の聖母学院中の試験を受けた後、合格発表を見る予定でした。
合格発表を見る前、同志社女子はだめだったかもしれないと、ほとんどあきらめていました。
合格発表のページを開き、自分の番号の横に「WR」と書いてあるのを見つけても信じられませんでした。
すぐに塾に電話をすると、八木先生から「おめでとう!WR受かったじゃん!佐藤先生とさっきおどったよ。」とうれしそうな声が返ってきて、本当に合格したのだと思いました。
翌日合格通知も届き、ようやく本当に合格したと————確信しました。
おもしろく勉強ができる入江塾と先生方が大好きです。
本当にお世話になりました。
この度、娘が念願の同志社女子中学校WRコースにご縁をいただきました。
あたたかく、時には厳しく支えお導き頂いた先生方、目標に向かって共に励んだお友だちのみなさん、本当にありがとうございました。
娘の中学受験は、3年生2月に他塾でスタートしました。
目の回るような早い進度、週テスト・コース分けテスト・その度に張り出される得点や順位・コース変更・席替え・・・。
100m走を休みなく繰り返すような日々に、5年生になったころには、娘も私たち親も、身も心も疲れ果てていました。
中学受験は私たち親子には合わないのではないかと夜おそくまで娘と話し合った日もありました。
このままの状態が続けば、大切なものを失うような危機感がありました。
転塾か中学受験からの撤退か、そんな時、ふと3年生の頃ホームページを拝見していたものの通塾距離を考えて断念した入江塾が思いうかびました。
入江塾でなら、こんな状況でも中学受験を諦めたくないという娘の願いを叶えてあげられるかもしれない、藁にも縋る思いで説明会に参加し転塾したのは、5年生の7月のことでした。
先生方に「慣れるのに数カ月はかかります。」と言われたものの、娘はすぐに新しい環境に慣れ、心配していた通塾についても、2回の乗り換えがあり片道50分ほどかかる道のりも楽しんでいるようでした。
演習でわからないことをすぐに質問し解決できるという安心感は親子ともに大きく、これまで家庭で全面的にフォローしていた学習も塾にお任せし、土曜日の午前中に「漢字大丈夫?」、日曜日に「宿題終わった?」と声をかける程になりました。
帰宅後は楽しかったエピソードをたくさん話してくれるようになり、それは受験前日まで続き、家族でたくさん笑わせてもらいました。
5年の秋に当時の6年生から「ちゃんと勉強しないと俺みたいになるぞ。」とアドバイス?をもらったこともあったようです。
娘がその言葉を肝に銘じたかは不明ですが、同じ教室の中に1年後の自分や1年前の自分を感じることができるのは、演習でほかの学年の塾生と関わることのできる入江塾だからこその貴重な経験だと感じました。
佐藤先生の「中学受験がゴールではない。子どもに合っていて、入学後の6年間でしっかり伸びていける学校を」との助言を受け、同志社女子中学校WRコースを志望校として、5年の終わりから難関算数、新6年のスタートから国語の個別指導、5月から算数の個別指導で鍛えていただきました。
塾は大好きなものの、なかなか自分から質問できないところや個人指導に手ぶらで臨むようなのんきさがある娘でしたが、成績だけではなくいいところも悪いところも全部引き受けて丸ごと包んでくださっているような懐の大きさで、根気よく向き合い伸ばしていただきました。
また、他塾では家庭でフォロー必須の五ツ木・駸々堂模試の解き直しや全教科の苦手の把握、過去問に至るまで、算数の個人指導でお世話になった八木先生をはじめ各教科の先生方に演習時間にご指導いただきました。
できたときはストレートにほめて一緒に喜んでくださる佐藤先生、調子に乗りやすく油断しやすい娘の性格を理解して絶妙なさじ加減で舵取りしてくださった八木先生、家庭では決してできないプロのチームワークで導いていただきました。
12月入った頃、「先生にWRの合格をプレゼントしたい!」と宣言。過去問で合格最低点にあと一歩届かず涙をこぼしたこともあったそうです。
いつまでたっても本気が見えない娘の一皮むけた瞬間だったかもしれません。
以前面談でお聞きした「やる気がない時にいくら勉強をしてもあまり効果がない、本人のやる気に伴って適切なサポートをすることでぐんと伸びていく」というお話の通り、娘に寄り添いながら最後の最後まで力を伸ばしていただきました。
合格を手にした娘がふとした瞬間に、「塾に行きたい。みんなと勉強したい。」とこぼします。
「みんなと一緒のクラスになりたな。」と希望を語ります。
友だちや先生と過ごしてきたかけがえのない時間が娘の大きな財産になっています。
転塾前はとてもハッピーエンドなんて想像できなかった娘の中学受験がこのような形で終わりを迎えるとは・・・。
入江塾の魔法としか思えない。そんな気持ちです。
あたらめて、先生方、お友だちのみなさん、本当にありがとうございました。
「中学受験が終わった時、すごく悲しかったんです。もう入江塾に行けなくなってしまうから。」
知り合いのお嬢さんの言葉です。
この言葉を聞き、上の娘が入江塾に入塾したのが2021年の5月。
娘が4年生の時でした。
そしてお嬢さんの言葉通り、我が家の娘もとっても楽しそうに通塾していました。
それを見ていた1歳下の息子も「塾って楽しいところなんや・・・」と4年生になった翌年、そのまま軽い気持ちで入江塾に入塾。
姉弟で合計4年間、入江塾にお世話になりました。
娘はやる気はあるけど、要領が悪い。
息子はやる気はないけど、要領が良い。
全く性格の違う姉と弟です。
そんな息子の体験記になります。
姉の影響で、塾に入った息子ですので、特に行きたい学校などもなく、ふわっと始まった塾生活。
たまに「めんどくさいなぁ~」なんて言うこともありましたが、娘同様、先生たちのおかげで息子も3年間楽しく通わせていただきました。
塾から帰って来ると、ほぼ毎回「今日も楽しかった!」と言っていたと思います。
「塾の先生達の授業が楽しすぎて、小学校の授業がつまんない!!小学校の授業も入江塾の先生がやってくれたらいいのに!」
なんてことも姉弟でしょっちゅう言っていました。
ぼやっとしていた息子が「今日、国語の論説文でこんな話があってな・・・」とか、テレビを見ていて「これ〇〇先生が言ってたヤツや!!」とか
色んなことに興味を持つように。
子供たちを魅了する授業のおかげで、親子で話す会話のクオリティーが上がったと感じています。
そんなことまで知ってるんや!と驚くこともたくさんありました。
しかし、息子には最大の欠点が。
そうです。
小学生男子あるある 宿題をしない。
塾に行くのは楽しいから良いけれど、家で宿題はしたくない。
どんどんたまる宿題プリント。
八木先生から届く「宿題、全然提出されてません」のメール!!!「リュックの中がぐちゃぐちゃです」のお電話!
そして、遂に息子本人から「演習の時間を増やして欲しい」と言われました。
演習は先生もたくさんいて楽しいし、演習の時やったら宿題がはかどるねん!と。
学年が上がるたびに、本人から演習追加要請がありました。
何曜日のこの時間は人数少ないからここの日が良い!とか。
小学生の子供が、自ら「塾に行く時間を増やして欲しい」と言う言葉がでるのは、やはり入江塾ならではだと思います。
結局3年間で私がやったことは、プリントでぐちゃぐちゃになったリュックを片付けること!くらいです。
世のお受験ママが頭を悩ませる自宅での宿題のサポートはしませんでした。
そんな訳で、だらしない息子さんをお持ちの方には演習が売りの入江塾をお勧めします!!
ちなみに、きっちりやる娘は自宅でちゃんと宿題をしていたため、入塾当初、演習を受けていませんでした。
すると我流の解き方が癖になっていたようで、少々苦労しました。
自分で勉強する子だからとか、塾に無料の自習室があるから!と言って油断してはいけません。
子供たちはまだ小学生です。
正しい勉強法は自分では分からないお年頃です。
なので、まじめなお嬢様をお持ちでもやはり演習が売りの入江塾を強くお勧めします。
とは言え、小学校高学年の遊びたい盛りに塾に行かせるのも可哀想かな?などと思ったりもしました。
しかし、最近の子供は放課後や休みの日はゲームをするか、動画を見るかです。
一人でYouTubeをダラダラ見るくらいなら、塾で友達と一緒に面白くて為になる授業を受ける方がよっぽど価値があると思います。
長期休暇の時には毎回、塾に行かせてて本当に良かったと思いました。
そんな我が家の息子の3年間、難関校受験ではなかったのもありますが、先生方の適切な指導のおかげで着実に必要な学力を身に着け、ただただ楽しい!で余裕を持って受験を終えることができました。
※もうちょっと上にも行けたんだろうなと思いつつ、要領の良い息子の意思を尊重しようと思います。
入江塾の先生方は、本当に教育のプロ集団です。
小学生の生態を見事に把握され、子供たちがどうすれば前向きに勉強できるかを親の何倍も熟知されていると思います。
性格の全く違う我が家の姉弟も、それぞれに合った指導や接し方をしてくださいました。
おかげで4年間不安を感じることなく、安心して先生方にお任せすることが出来ました。
2年連続の中学受験でしたが、子供たちが楽しそうに通塾する姿を見て私自身、世間一般のお受験ママのイメージとは違う「ソフトで楽しい中学受験」を体験することができました。
姉と合わせて4年間、長い間本当にありがとうございました。
親子共々、良い時間を過ごすことができたこと感謝しております。
私は5年生の11月に他塾から転塾しました。
基本的なことが分からなくて、佐藤先生にはいつも「小難しいことしかできない。基本中の基本。スタンダード・オブ・スタンダード。ベーシック・オブ・ベーシックをしっかりやれ」と言われていました。
全ての科目において苦手な単元がたくさんあり、国語は感覚で解いていました。
そんな私が変わる転機となったのが、6年生から始まった個人指導と西京クラスです。
特に国語は、全ての入試で力を発揮することができ、担当の小林先生には感謝しかありません。
今思うと失礼なことをしていたなと思いますが、反抗ばっかりしていた私のことを怒鳴りつけるわけでも無く受け止めてくれたことには感謝しています。
文法や漢字などの基本的なことから作文まで、西京に合格するために必要なことまで幅広く教えて下さったことが合格につながったと思っています。
そのおかげで、入試2週間前から国語の成績が爆上がりし自信になりました。
西京クラスでは同じ志望校を目指す友達と切磋琢磨することができました。
入試前にも共通の好きなアニメや本の話をして笑ったり、世間話をしてリラックスすることができました。
佐藤先生のわかりやすい解説で苦手なところも克服していきました。
自分のできていないところを把握して、少しずつ西京の問題に慣れていきました。
西京入試当日は思ったよりも緊張せず、富田先生が来て下さったので嬉しかったです。
とてもワクワクした気持ちもありました。
しかし、試験は国語以外できず、算数では、なぜか1から100までの和を力尽くで出してしまうという大失態を起こしてしまいました。
時間配分をミスってしまい、できたはずの問題も間違ってしましました。
合格を頂いたとお母さんから教えてもらった時には、嬉しくて涙が出てきました。
今まで頑張ったことが報われたと思いました。
塾でも先生と友達と喜びを分かち合うことができて本当に嬉しかったです。
最後に、木村A先生、八木先生、木村T先生、演習で教えて下さった先生方、対策授業をしてくださった佐藤先生、個人指導でわかりやすくたくさんのことを教えてくれた小林先生、ありがとうございました。
また、遊びに行きます!
娘は5年生の11月に入江塾に転塾しました。
入江塾の説明会も聞きに行って迷ったのですが、最初は大手塾に通っていました。
学習量は多く、勉強はしているけど成績が安定しない状態でした。
5年生の夏休みは体力的にも精神的にもしんどそうで、もう受験をやめた方がいいのではないかと何度も話し合いました。
娘は辞めるとは言わず、クラスを維持できていることに安心感を得ているようで頑なに受け入れませんでした。
その頃は体調も悪かったと思います。
すごく悩んで入江塾の話をもう一度聞きに行った時、佐藤先生から「お母さん、たかが中学受験ですよ。長い人生、それが全てではないです。」と言われやっと冷静になれました。
父親の「健康が大事やからもう辞めさせよう。」という言葉で退塾を決断しました。
納得はしていませんでしたが、時間が出来ると、好きな本をじっくり読んだり、家族でキャンプに行ったり、友達と遊んだりして娘のメンタルは落ち着いてきてよく笑うようになりました。
そんな中、やっぱり中学受験をさせてほしいという申し出が娘からありました。
その時も、佐藤先生から言われたように、志望校は偏差値で決めないこと、一回リセットすること、転塾は挫折ではなく方向転換であるということ、決断できたことを応援するということをそのまま伝えました。
転塾してからの娘は、すぐ塾に馴染み、「お母さん、入江塾に転塾して良かった。本当にありがとう。」と言うほど、入江塾の先生とお友達のことが大好きになっていました。
とはいえ、家では無計画で親のいう事はほぼほぼ聞きません。
中学受験できることは当たり前ではなく、自分でやるって決めたことなのに、この態度は何だと娘に対してイライラすることもありました。
佐藤先生には、「そんなすぐには変わりません、そんなもんです。」とあっさり言われてしまいました。
何かあると塾に電話やメールで相談してフォローして頂けたことは本当に助かりました。
娘は長女で、わりと厳しく育ててきたこともあり、褒めてほしい、認めてほしいという気持ちの強い子です。
性格も幼いところがありますが、入江塾の先生方は娘の性格を良く理解し、メンタル面に配慮しながら関わって下さっているようでした。
6年生になってからは週5日塾に通い、英語とピアノも続けました。
塾では集中して勉強をしているという先生の言葉を聞いて安心しました。
冬休みから約1ヶ月は毎日塾に通い、「疲れたー。」と帰ってきましたが、充実した時間を過ごしている様子でした。
家では何もしなくていいと言われていましたが、寝る前に面接の練習をして、まとめて下さった暗記プリント、漢字などをしていました。
試験に向けて早寝早起きを心がけ、体調を整えることが出来たと思います。
大みそかに家族で紅白を見ていても、21時を過ぎると、「明日も塾あるし寝るわ。」と就寝したことに驚きました。
最後の1か月は、学力だけでなく気持ちの面でも成長を感じました。
個別指導の小林先生とは、お薦めの本の感想を言い合ったり、雑談する時間が持てたことを嬉しそうに話してくれました。
娘のキャラクター受け止め寄り添って下さったこと、本当にありがたく思っています。
漢字の反復練習が嫌いで何回も間違うので、試験に出る漢字プリントを出して下さり、今まで感覚で解いていたところを、文法から丁寧に指導して頂きました。
西京の入試の日は、「小林先生に教えてもらったこと、全部やってきた。出来た!」と言って出てきました。
難関算数クラスでは、佐藤先生に分からないままにしていた苦手な分野を洗い出してもらいフォローして頂きました。
算数は最後まで苦戦しましたが、喝をいれてもらいながら前向きに取り組むことが出来ました。
入江塾に変わってからは、体力、メンタルともに余力が残っていたことにより、学校での勉強や活動は手を抜くことなく全力で頑張っていたと思います。
大袈裟ですが健康を取り戻せたこと、塾のお友達と一緒に西京に合格したいという思い、先生方が言われたように最後まで粘る気持ちがあったから合格につながったと思います。
京女の試験に向かう時、西京の入試について、「社会でお母さんと確認したところが出たのに暗記が曖昧やった。算数もできるところを落としてきたわ。悔しい。」と反省しだしてびっくりしたのですが、「今日の京女は絶対に合格してくる!」と気持ちを切り替えて入っていきました。
京女の試験の後は、一緒に受験したお友達と集まっていて、やりきった顔で出てきたので安心しました。
お互いの頑張りを称えあう姿にジーンとしました。
本人は頑張っていますから温かく見守ってくださいと言われ、めちゃくちゃ耐えましたが、我慢できず怒りすぎてしまい、先生方のフォローを台無しにしてしまうことがありました。
先生方の分析は的確で、必要な学習量の調整や過去問対策まで細やかな対応をして頂きました。
これは大手塾にはないサポートだと思います。
3年間、いろんなことがありましたが、入江塾の先生方やお友達に支えられ、諦めることなく最後まで走りきることが出来ました。
このご縁に感謝いたします。
本当にありがとうございました。