安楽死を決意した女性の最後の週末を描いた「ブラックバード 家族が家族であるうちに」が11日に各地で公開される。この女性リリーを演じるのはスーザン・サランドン。「デッドマン・ウォーキング」(1995年)でアカデミー賞主演女優賞を得るなど長年にわたって活躍する名優だ。・・・・・・
サランドンは言う。「私自身も子供がいるので、悩んでいる子供を置いて逝くのはどれほどつらいだろうと思いました。リリーは子供たちのことを知らず、子供たちはリリーのことが分かっていない。この映画は安楽死がテーマではありますが、家族の相互理解の物語でもあるんです」
周囲があたふたするのに対し、リリーの決意は揺るがない。なぜ彼女は落ち着いていられるのか。
「もちろんここに至るまでに動揺する気持ちがたくさんあったことでしょう。彼女は既にワイングラスを持てなくなっています。家族が殺人罪に問われないためには、自身の体の自由が利くうちに決断する必要があるんです。彼女は自分の尊厳だけで決断したんじゃない。そのことが誤解なく伝わればと望んでいます」
リリーの病名は、映画の中では明確にされないが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)であることが分かる。彼女の選択については、様々な意見があるだろう。・・・・・・
彼女の安楽死「尊厳のためだけではない」
朝日新聞夕刊 6月4日付
去年、京都で起きたALS患者Aさんの嘱託殺人事件を契機にこの連載は始まった。この事件に対しALS患者や家族らでつくる日本ALS協会は「医療倫理に背く行為であり、二度とあってはならない」などと医師らを批判した。
ALS患者Aさんが「安楽死」を望んでいたとしても、死に至らしめた医師2人の行為はそれによって減刑されるようなものではないと思う。ただこの事件でALS患者の「安楽死」が大きくクローズアップされたことは事実だろう。そんなときすでに上記のような映画が制作されていたということは驚きだ。
ALS患者の「安楽死」にはそれを満たす要件にいくつか問題がある。「安楽死 その2」で述べた安楽死が容認される4条件について考えてみる。1.「患者本人の明確な意思表示」これについては「生きたい気持ちと死にたい気持ちを繰り返しながら、日々を過ごしている」というALS患者本人からの指摘がある。2.「死が目前に迫っている」 3.「心身に耐えがたい重大な苦痛」などの要件はALSの病状進行の性質上、これらを満たすのは難しい。4.「死や苦痛を解消する方法、手段がない」これは2、3の要件が満たされていないので問題とならない。
ただALSは悪化していけば自力で「自殺」することができない身体状況になってしまう。そうなってしまってから介助が必要な「安楽死」を望んだ場合、まわりの者はどう対処すればよいのだろう。
多くの意見はそのような気持ちにならないような「障害者に対する支援制度の充実」を主張する。それには制度を支える社会が存在しなければならない。「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何より大切」だとする見解(ALS患者でもある参議院議員の舩後靖彦氏)がその代表だろう。