私の人生(1)
私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。
私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。
―ジェームズ・アレン
2012年も終わりに近づいた12月6日に、私は母校ヴィアトール学園洛星中・高等学校へ向かっていた。
それは私がお頼みして校長である阿南先生と対談するためであった。
玄関で来訪の意図を告げると応接間に通され、少し緊張しながら先生が来られるのをお待ちしていた。
ところで私はこの年還暦を迎えた。
洛星に6年間通っていた時代に自分がそんな年になろうなどとは想像もしていなかった。
しかし、現実の年齢に特別な感慨などは湧かない。
ただ、育星舎グループの講師達が祝ってくれたときは非常に嬉しく思った。
父は90才でまだ健在だが、60才と言えば人生の後半であることは明らか。
死ぬことを考えないで生きていける年頃ではない。
自分は何のためにこの世に生れたのか。
生きがいとは何か。
自分の仕事に意味はあるのか。
家族、組織、社会とどのように接していくべきなのか。
もちろん答えは出ていないが若い頃に比べ少しは思考も深まってきたようだ。
特に私の仕事である学習塾=私塾について自分の考えをまとめなければならない時期だと感じている。
11月25日には同業者であり、私と同年輩の2人の先生と座談会を行なった。(その様子は育星舎のホームページにアップしております。)
それぞれ創業者として意見を述べ合い、私は非常に良かったと思っている。
当初私は生活のために学習塾を始めた。
教育のことなど言える人生をそれまで送ってこなかった私にとって、この職業に対しただの受験請負業としか意識していなかった。
それが今では教育者を目指し、これで人生を全うしたいと思うようになったのである。
10年近く同業者を集めた研究会を主催してきた。
今年はさらに11月の座談会、そして、この度の対談となったのはまさに教育とは何かを追究する意欲が増してきたからだ。
笑顔の阿南先生が入ってこられお互い挨拶を交わし私の質問から対談が始まった。
真の教育者として尊敬している先生と直接お話しできる現在の自分がいることが不思議でならなかった。
なぜか。
「学習塾を始めるまで放浪していた私。いや、心の放浪はその後も続いた。そのような教育者にふさわしくない過去があるから現在の私がいる。」
こんな思いが私の中で錯綜していたからだ。