すぐれた教師の条件の1つに、生徒の能力を見極めるというものがあると思う。
その点Y先生が私の数学力を知ろうとしなかったことはプロ講師として失格だったかもしれない。
しかし、その欠点を補うにあまりある数学的才能がY先生にはあった。
天才的能力と生徒指導力は反比例の関係にあるのかもしれない。
「打てば響く」ようにY先生は私の要求に次から次へと応えてくれた。
Y先生は宝の山、私はその中から驚くほど貴重なものを頂いた。
さらに私はY先生の考える仕草や筆記の仕方などもまねていった。
私は一浪して大手予備校に在籍していたのだが、7月頃から身体の不調がきっかけで家に引きこもるようになっていた。
そんな時もY先生は家庭教師として自宅に来て下さり、数学を考えることが私の気晴らしにもなっていた。
そんな生活で夏が過ぎ、秋も過ぎようとしていた。
私は思いきって、ある有名な数学講師の冬期講習を申し込むことにした。
その講習は以前の私にはかなりレベルの高いものだったが、対外試合のような気持ちで臨んだ。
しかし、驚いたことにその講師の話す内容が一言一句はっきりと理解できたのである。
私は今までにない自分の明晰さを実感した。
終了試験もスラスラと解け、合格点をとることができた。
数学の思考論理が私の脳にY先生によって植えつけられたのだ。
いや、Y先生の数学的思考が私に乗り移ったと表現した方がよいかもしれない。