教育評論家の阿部進氏が8月10日に亡くなった。
享年87歳。
“カバゴン”の愛称で60年代後半からテレビ・ラジオに多く出演されていたので世代によっては覚えている方もおられるのではないだろうか。
その阿部進氏と育星舎の関係は長い。
育星舎の一部門である理科実験教室「科学の学校」は東京にある阿部進主宰の理科実験教室「麻布科学実験教室」の姉妹校として約30年前にできたのである。
1983年、私は京都の御室仁和寺の近くで学習塾を始めた。
お金もなく、人脈もなかったので立地条件の悪い民家の2階部分が最初の教室である。
塾だけでは生活できなかったので午前中は他のアルバイトをしながらという状態がしばらく続いた。
なかなか生徒数が増えない時期もあったが、数年後徐々に軌道に乗ってきた。
教室に生徒が収まりきらなくなったので、近所のビルの一室をさらに分教室として借りるまでになった。
ところが、ある事情で2年足らずで分教室を明け渡さざるを得なくなった。
そんな時、「理科実験教室をやってみませんか」という誘いのダイレクトメールが届いた。
どうせなら分教室問題を機会に塾を大きくしたいと考えていた私は理科実験教室の説明会に出かけた。
そこで出会ったのが阿部進氏である。
先生はシャボン玉の実験をいくつかしてくれた。
それは子供のお遊びのようにもみえた。
多数参加した学習塾の関係者はしらけた様子であったが、先生はそんなことは一向に気にせず実験の楽しさを一生懸命伝えようとしていた。
提携したのは結局育星舎だけだった。
私は、父の助けを借りて銀行から融資を受け大きな勝負に出た。
好立地の大通りに面したビルの広いそれもコンクリートむき出しのスケルトン状態の2階全体を新本部教室として借りた。
家賃も驚くほど高い。
70名前後だった生徒数が実験教室以外の学習部門だけでも一挙に120名以上に増えないと採算が合わない。
今から思えば無謀としか言いようがない行動だった。