1月2日に毎年、私を含めて洛星中学高等学校の14期生数人が集まる。
今年も行った。
65才または66才の私達の中には定年を迎え悠悠自適の者もいるが、子会社の社長や監査役、医者などでまだ現役の方が多い。
将来の仕事に対し、父は1.大企業に入る 2.上級の国家公務員になる 3.有力な資格をとる、の3つの方向を私に選択させた。
多くの友人はその方向に進んだが、私だけは大学を中退した。
親のつくったレールの上を走り続けることができなくなったからだ。
それでも20代後半まで親の脛をかじっていたが、ついに家を飛び出し喫茶店のウェイターのアルバイトをしながら自活を始めた。
家庭教師そして個人塾を始めた頃も、弁当屋の配達など午前中できるアルバイトを併用していた。
塾だけで生計を立て出したのは34才の頃だろうか。
それでも生活は大変だった。
私はその頃、将来を嘱望された友人達をうらやましく思っていた。
ところが、去年の1月2日の集まりで1人の友人(東京大学理科Ⅰ類卒)が「あの頃、お前を心配していた」と言ってくれた。
「ああ、僕のことをそんな風に思ってくれていたんだ。」とちょっと感動した。
そして彼らと交流できていることに感謝した。
中学受験も大学受験も親の影響が大きかった。
しかし、受験勉強をしたお陰で学習塾の講師が勤まってきたのだなと今さらながら思う昨今である。