主体性のない私は大学に入ってから自我に目覚めだした。
今まで自分をつき動かしてきた目標がその力を失い始めた。
そして父とぶつかった。
その時私は驚くべき言葉を父に投げかけた。
父も私がそこまで反抗するとは思わなかったのであろうか、一瞬ひるんだように見えた。
私は家を飛び出した。
今まで学生でアルバイトもしていなかった身分から急に自活していかなければならない立場になってしまった。
無我夢中で生活した。
今から思えば無謀な行動だった。
しかし、何とか数年が経ち、学習塾を開くことができた。
そして結婚を機に父と和解した。
結婚には喜んでくれた父だが、私の職業については首をかしげていた。
大正生まれの父にとって学習塾というもののイメージがなかったのである。
そんな父も新聞などで学習塾や予備校などの記事があると、時々そんな情報を私に話すようになった。
ある時、父は私に言った。
「学習塾も教育の機関やろ。お前は教育者として生きていけよ。」
この時私ははじめて父に認められたと感じた。
今、大手学習塾の中には会社経営の事業として成功しているものもある。
私はそれをあまりうらやましいとは思わない。
長い間、紆余曲折を経て「事業家としての前に教育者として認められたい」と父に対して思ってきたからだろうか。