私が入江塾に入塾したのは4年生の時でした。
その当時私は「受験なんかちょっと勉強すれば受かるだろう」と軽い気持ちで授業を受けていました。
5年生になり、人数が増えて友達も出来ました。
皆と授業を受けるのがだんだんと楽しくなりました。
6年生になると、京女対策や個人指導が始まり佐藤先生や富田先生に優しく分かりやすく教えて頂きました。
そのおかげで自分の苦手な単元が分かり「受験勉強をしている」という自覚を持つ事が出来ました。
京女オープン模試もいつも通りの点数を取る事ができました。
自己推薦の作文は最初、時間配分が分からず時間がかかってしまったけれど少しずつ慣れてきて、当日は時間内に書く事が出来ました。
入試当日、佐藤先生に正門の前でお守りを貰いました。
佐藤先生が私に「推薦だから大丈夫」と心強い言葉を頂き緊張していた私を励まして下さいました。
午後からの聖母の試験も落ち着いて解くことが出来ました。
入江塾に通えて本当に楽しくて勉強も頑張れました。
佐藤先生・八木先生・富田先生・秋定先生・木村A先生・木村T先生・小林先生・長瀬先生本当にありがとうございました。
おかげさまで、京都女子中学校(藤華)へ無事合格いたしました。
娘は、3年の2月からお世話になり始めましたが、ちょうどその頃から新型コロナウイルスが流行し始め、対面授業が出来なくなりました。
すぐにネット授業等に切り替え対応して頂き、乗り越えることが出来ました。
娘は内弁慶で、塾に通い始めた頃は、問題のわからないところも、自分から先生方に質問が出来ない程でしたので、佐藤先生にご相談し、先生から声を掛けていただけるように対応して頂きました。
低学年の頃から、娘は京都女子中学校に憧れ、自分から中学受験をする道を選びました。
娘は反抗期や受験に対する不安もあり、メンタルも乱れ、親子間でのバトルも相当なものでしたが、先生にその都度相談させて頂き、娘の気持ちに寄り添って頂きました。
受験当日も、かなり緊張していましたが、学校まで応援に来て頂いた佐藤先生に励まして貰い、先生方から頂いたメッセージを読み、無事に落ち着いて受験に望む事が出来ました。
入江塾は、先生と生徒の距離が近く本当に心強く温かい塾だと痛感致しました。
無事に合格させて頂き、憧れのセ-ラ-服に初めて袖を通した時の娘の満面の笑みは、一生の宝物です。
毎日の様に通っていた塾を卒塾し、先生方や仲良くなったお友達に会えなくなり、寂しさが込み上がっているようです。
厳しい中学受験の三年間を、愛情たっぷり見守って下さった先生方に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
私は、入江塾の先生方のおかげで京女の東雲コースの自己推薦に合格することができました。
私が入江塾に通い始めたのは4年生の春でした。
5年生の終わりまでは桂校に通っており、少ない人数で丁寧に教えてもらいました。
6年生になると佐藤先生の個人指導や算数の難関校対策が始まりました。
難関校対策では少し入るのが遅く、いつも点数が低かったのですが、佐藤先生が個人指導で丁寧に優しく(?)おしえていただいて少しずつ点数が上がっていきました。
7月からは京女対策も始まり、京女の過去問を解いているうちに、それまで苦手だった国語も、模試の点数が上がっていきました。
難関校対策も個人指導も京女対策もとっても楽しく、入試が近づいてくると少しさみしくなってきました。
受験当日には、門の前に来て下さった佐藤先生に応援グッズをもらいました。
中身は先生方の似顔絵入りの消しゴム、おかし、カイロ。
そして先生方からの応援メッセージに緊張をほぐしてもらいました。
合格発表の日、私は聖母の受験をしていたので終わった後にお母さんに合格を知らされ、ホッとしました。
最後に、優しい(?)佐藤先生、入江塾の先生方、本当にありがとうございました。
この度、娘は京都女子中学東雲コースに合格する事が出来ました。
娘は年長から育星舎の科学の学校にお世話になっており育星舎の生徒のペースに合わせて納得できるまで指導していただける所がとても娘に合っていたので、3年生の2月から入江塾の桂校へ通い始めました。
とてもマイペースな性格で、字を書くのも計算するのもすごく遅い所からのスタートでした。
5年生からは北野校へ行かせようと思っていたのですが、娘が知らない子ばかりのクラスになじめるかという事と一人で電車に乗って通塾する事に、強い不安感があり桂校へ通いたいと希望したのに対して、入江塾の先生が快く「いいですよ!」と言って下さり、桂教室へ入江先生、上田先生、木村先生が教えに来て下さり、生徒の心に寄り添った対応をしていただき、とても感謝しています。
夏期講習などは、北野校へ行っていたので、少しずつですが、北野校へ行くことに対しての不安もなくなり、6年生からは、北野校へ通うことができました。
算数がとても苦手で、6年生からは、佐藤先生に個人指導と難関校対策をして頂きました。
模試では5年生の間ほとんど50点以下だったのに、6年生の第1回の模試で、いきなり60点以上とることができるようになり、第3回では、80点以上とれて、親子でビックリしました。
7月からは、京女対策が始まりました。
そこで娘の性格に合いそうな生徒さんととても仲よくなり、塾へ通うことが楽しみになっていました。
京女の過去問ですごく悪い点数をとっても、あの子もがんばっているのだから私もがんばろうと、前向きな気持ちでいる事ができました。
入江塾のよい所は仲間がいるという事だと思います。
毎日塾から帰ってくると、塾での色んな面白かった事や友達の事を楽しそうに話してくれて楽しく勉強ができてよかったなと思いました。
私は、医療従事者でコロナと娘の受験の両方と同時に戦えるのかと2年前すごく不安になり、娘が6年生になったら仕事を辞めようと思っていました。
6年生になり、佐藤先生に「京女への受験について全てお任せしていいですか?」とお聞きしたら「任せて下さい!」と言って頂けたので、仕事を辞めずに済み、娘も合格することができました。
入江塾の先生方本当にありがとうございました。
私が入江塾に入ったのは四年生からでした。
最初は知り合いのお姉さんの制服がかわいくて、難しい中学校の勉強をしてる姿がとても素敵だと思ったので、そのことをお母さんに話したら、塾に行くことになりました。
その頃は受験のこともわかってなかったので「なんで塾に行ってるのかな・・・」という感じでした。
四年の頃は、全く算数が分からなくて授業でわかりやすく教えてもらっても、お母さんに教えてもらってもできませんでした。
宿題も忘れてばかりだったと思います。
でも、理科や社会は、新しいことを教えてもらえて楽しかったし、国語の授業は至福の時間でした。
五年生になって、多分何にも変わっていなかったかもしれないけど、ようやく塾のことが分かってきて、受験勉強をしている自覚が出てきました。
分からないことが多かったけど、夏期講習や、冬季講習ではおやつが出るのがうれしかったり、塾で楽しいことも増えました。
社会の歴史がすごく面白くて、理科では苦手な計算が増えてきたのですが、八木先生に教えていただき、なんとか理解できました。
六年生になって、個人指導や京女対策をしていただき、はじめはできなくてもなんとも思わなかったのに、少しわかるようになると、もっと頑張りたいと思うようになりました。
計算のミスが多くて、佐藤先生に「頭におっさんがおる」と言われて、みんなで笑いました。
京女のプレテストで、もしかしたら行けるかもしれないとおもってから、家でも自分から勉強するようになりました。
冬休みは毎日塾に通い、たくさんの問題を解きました。
六年生の最初の頃は算数の受験問題を一人で解けるようになると思ってなかったのですが、最後の方は問題を見て、これはすぐ解けるとか、これはすぐには分からないかもと判断できるようになり、時間ギリギリまで集中して解けるようになりました。
また、自己推薦の作文は12月になってから練習を始めたのですが、はじめは時間がかかってなかなか書けなくて、どうしようと思ったけど先生のアドバイスで本番は時間内に全部書き終わることができました。
受験の日に、佐藤先生から門のところでお守りをいただき、緊張していた私はメッセージを読んで「頑張ったから大丈夫」と思えて、すごく心強かったです。
夕方の橘のテストも落ちついてできました。
次の日2校とも合格で、とび上がって喜びました。
入江塾で勉強できてよかった!と思いました。
佐藤先生、八木先生、秋定先生、小林先生、木村先生、富田先生、本当にありがとうございました。
娘は4年生から入江塾にお世話になりました。
最初は京都の事情を知らず、どこが私立か公立かもわからない状態でした。
佐藤先生から中学受験はお勉強も大事だけど、成長がそこまで達したかどうかを問われるものというお話をされ納得したのを覚えています。
特に成長がゆっくりだった娘は、「間に合うかな・・・」と。
4、5年生のころは、毎回持って帰ってくるプリントに解き方が丁寧に書いてあるにもかかわらず、算数は自力では解けないものと思っていたのか、何度も同じ問題の解説を求められたりしましたが、毎回「初めて聞きました!」という新鮮な顔をされ、さらに苦労して仕上げた宿題も堂々と家に忘れていき、だめだこりゃというコントのような日が続きました。
でも、塾に行きたくないと言ったことが一度もなく、毎回、授業で習ったことを家で嬉しそうに喋っているのを見て、楽しそうで何よりと見守るしかありませんでした。
6年生になり、いよいよ成長のゆっくりさに不安を抱き、お勉強以前の問題かもしれないと先生に相談したりと受験とは程遠い日々が続きました。
個人指導では、娘の性格や能力も踏まえて苦手なところを克服できるようご指導いただきました。
夏期講習の内容も濃く、過去の生徒さんのお母さんがおしゃっていた、夏休み後の模試の点数の爆上げ!をちょっと期待していたのですが、そんなこともなく。。。
10月を迎えたある日、塾の帰りに突然、「みんなね、過去問とかでね、いい点数が取れるの。私は取れないの」と言い出し、点数のことを口にするなんて!と驚きました。
「私もいい点数取りたいな」、それが成長の兆しだったと思います。
10月末の京女のオープン模試で本人が憧れていた「いい点」が取れ、そこから怖がらずに問題を解くようになりました。
親の目から見ても自信がついていくのを感じました。
冬休みは毎日行きたい!と希望し、お正月も塾で指導していただきました。
本人はやり切った感が大きく「塾でがんばったから(大丈夫)」と車の中で何度も呟いて受験に向かいました。
憧れていた京女の制服の寸法を嬉しそうに測ってもらう娘を見て、ようやく合格を実感し、私もとても幸せな気持ちになりました。
入江塾は4年生からずっと同じ先生が指導してくださいました。
同じ先生だと、教科ごとに学習内容が一貫していているため子供にストレスがなく、また子供たちの性格や成長に寄り添ってもらえることで、安心して通えたのはとてもありがたかったです。
特に小学生の子供にとって受験はかなり負担の大きなものだと思うのですが、「楽しかった!」という思い出にしてもらえたのも、入江塾の大きな魅力だと思います。
毎回の授業や演習はとても内容が濃く、受験だけでなくこの先もずっと必要なことをたくさん教わりました。
塾は我が家からは遠く、電車を乗り継ぎ、毎回先生に車で駅まで送迎して頂き、3年間通うことができました。
入江塾の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
京都女子中学校の受験指導行います
私は、佐藤先生を始めとする入江塾の先生方のおかげで京女のⅢ類に合格することができました。
私が入江塾に通い始めたのは5年生の春でした。(4年生の時は算数専門の別の塾に通っていました。)
最初のころは、宿題が多く期限までに出せないことが多くありました。
演習で先生に質問するのもあまりできませんでした。
でも、難関校対策算数の授業が始まると、少ない人数の授業だったので、先生や友達とよく話すようになりました。
佐藤先生は、私が宿題をあまり出せていないことに気付いて下さり、個別に対応して下さいました。
6年生で始まった京女対策や個人指導はとても楽しく、行くのが楽しみでした。
第一志望校は、けっこう最後まで迷っていました。
でも、お母さんと何度も話し合い、最終的には図書館が立派な京女に決めました。
私は読書が大好きで、学校見学のときに見た京女の図書館がとても印象に残っていたからです。
試験当日は、佐藤先生が正門の所に来て下さり、応援グッズをもらいました。
休憩時間に先生方の書いて下さった寄せ書きを読むと緊張がほぐれ、元気が出てきました。
結果は、受けた所は全て合格。とてもうれしかったです。
がんばってきたかいがあったなと思いました。
入江塾の先生方のおかげで第一志望の京女Ⅲ類に合格することができました。
本当にありがとうございました。
私は、入江塾のことを絶対に忘れません。
5年生より2年間お世話になりました。
4年生で1年間通った算数(数学)専門塾で、中学受験をするなら専門塾の方が良いとのアドバイスを受け、同級生のお母さんに入江塾を教えていただきました。
正直なところ、中学受験には良いイメージは持っていませんでした。
というのも、夜遅くまでの通塾、塾内での成績競争等、娘には負担だろうと感じていたからです。
一方で、受験勉強を通じて学力が向上し、将来の可能性が広がれば良いなとも考えていました。
コロナ禍の影響があるとすれば、予定していた学校訪問が充分できなかったことだと思います。
志望校を女子校に絞っていたとはいえ、最後まで悩みました。
熱望校が現れなかったせいなのか、6年生の9月、「夏期講習の宿題が終わらない」という娘の嘆きが10月にとうとう「塾も受験も辞めたい」に変わりました。
娘と毎日話し合い、退塾するつもりで思い切って佐藤先生にご相談したところ、すぐに八木先生と一緒に面談をしていただきました。
多くの子供達がこの時期から切り替わる受験モードについていっていないことや、成長過程における気持ちの不安定さも見抜いておられました。
私のお悩み相談会にもなり、本当に救われた気持ちでした。
今後のことを娘と相談し、最終的には本人に決めさせましょうというアドバイスを頂き、メンタル面も含め勉強面の管理は先生方に全てお任せすることに決めました。
そして冬期講習前に娘が第一志望を「京女にする」と言い、直前期までいつも通りの生活を過ごすこととなりました。
試験前日の娘は、最後の個人指導やら寄せ書きに行ったりと朝から忙しそうでしたが、夕方「楽しかったー!」と帰宅。
入江塾に出会えて本当に良かったと思えた瞬間でした。
体調を崩すことなく、現時点での持てる力を出しきれたことが、受験を終えた今、何より嬉しく思います。
「最後まで全力で応援します」とのお言葉通り、佐藤先生はじめ入江塾の先生方には最後まで娘に伴走していただきました。
ありがとうございました。
私は、姉が通っていたこともあり、小2の頃に初めて京都女子中学校の文化祭に行きました。
文化祭ではどこへ行っても楽しく、驚きました。
この時、私もここへ行きたいと強く思いました。
私は小4から塾に通い始めました。
最初は塾に行くのが楽しみだったのですが、女子が私1人しかおらず、途中から楽しくなくなってしまいました。
その後、宿題をためてしまったり、まともに授業内容が入ってこなかったりすることが多くなりました。
得意な科目もありませんでした。
5年生の頃にはやる気も上がらず、「模試で第二志望の学校がB、C判定だったらいいや」と、予習・復習を全くやらずにいました。
そんなふわふわした中、6年生になり、春頃も「まだ大丈夫だろう」「なんとなくいける気がする」と、なぞの自信を持っていました。
今は笑って言えることですが、この状態は本当にピンチだったと思います。
お父さん、お母さんが佐藤先生と面談をして、「今、自分がどれくらいの位置にいて、どれくらいひどい成績なのかをちゃんと知ってほしい」ときついお言葉をいただいたそうです。
お父さん、お母さんと真剣に話し合い、「今からでも遅くない!!」と5月くらいにようやくやる気に火がつきました。
そして、京女対策授業も始まり、演習もほぼ毎日に増やしました。
そのうち、得意な科目は国語だと気付き、「国語だけは成績を落とさない!」と心に決めました。
京女対策授業では、みんなで励ましあいながら楽しく勉強ができました。
通常授業でも、苦手な科目ほどちゃんと聞いて、理解できなかったところは先生や家族に教わりました。
夏休みは毎日塾に通い、受験生らしくまじめに取り組みました。
次の面談では、「目の色が変わり、よく頑張っている」と佐藤先生に褒めていただきました。
この頃、急に不安になったり、精神的にダメージを受けたりすることもありました。
そのときはストレス発散として、友達とたくさんおしゃべりをしたり、号泣したりして乗り越えました。
12月、ラストスパート。
自分で言うのもなんですが、以前の自分とは比べ物にならないくらい成長していたと思います。
でも、京女のⅡ類に確実にいけると言える状況ではありませんでした。
最後の面談で佐藤先生に「一番行きたいところに挑戦しましょう!」と言っていただき、「絶対京女に合格する!」と改めて心に誓いました。
冬期講習以降、最後の最後まで毎日塾に通い、ついに受験前日。
みんなでホワイトボードに寄せ書きをしました。
友達と『絶対合格』と書きました。
塾を離れた今でも仲がよく、最高な友達です!入江塾に入って本当に良かったと思った瞬間でした。
受験当日、学校前に佐藤先生が応援に来てくださり、差し入れとして、喝の消しゴムやカイロ、お菓子などのセットをいただきました。
その中には先生方のメッセージもあり、それを読みながら、「絶対頑張ろう」と思いました。
試験直前、ぎりぎりまでプレテストや過去問の見直しをしました。
できることは全部やりました。
そして京女の合格発表で、無事、自分の受験番号を見つけた瞬間、嬉しくて涙が出そうでした。
塾の先生方には本当に感謝しかないです。
特に、京女対策授業でお世話になった佐藤先生、個人指導で優しく教えてくださった富田先生、最後の最後まで本当にありがとうございました。
中学校でも頑張ります!
この度、娘は第一志望校である京都女子中学校に合格することができました。
娘は4年生の途中で出町教室に入塾しました。
4~5年生のうちは人見知りで、先生やお友達にも猫をかぶっている状態だったようです。
このころ宿題も溜め、模試の成績も振るわず。
ただ、通っているだけ、という感じでした。
6年生の最初の面談で、先生から「宿題が提出できていない」「おそらく家では勉強していません」「受験を本当にされるのかどうか、よく考えてください」「受験するなら親子で覚悟を決めてください!」と衝撃的なお話がありました。
この面談が、私たち親子の分岐点になったと思います。
今のままでは良くないと思いつつ、どうしたら良いのか分からずに何もできていませんでしたが、これを機に親子で厳しい現状について話し合いをしました。
今の成績では志望校は厳しいこと。
今の勉強のままでは成績は上がらないこと、成績が上がらなければ、志望校の変更が必要なこと等、娘には辛い内容だったと思います。
この話し合いの後、家では勉強しないだろうことを見越し、演習の時間を増やしました。
京女対策授業にも入れていただき、佐藤先生に京女に合格するために必要な勉強をしっかり教えていただきました。
個人指導では富田先生に算数を優しくゆっくり教えていただきました。
夏・冬休みは講習がない日にも演習を入れ、毎日塾に通いました。
受験直前、朝から夕まで塾の演習に行きましたが、家では全く勉強をせず。
親は不安で、先生にご相談したところ、「塾では毎日良くやっています。家では休憩させてやってください。じゃないと本番まで持ちません」と言っていただき、不安ながらも家では好きに過ごさせました。
最後の最後まで、安心できる状況ではありませんでしたが、本人の京女に行きたいという強い思いを汲んでいただき、第一志望は京女のままで出願。
そして合格!!!
先生方は、いつも娘の様子を良く見て下さっていました。
娘の状況に合わせて、だらけているときには喝を、落ち込みそうなときには温かい言葉を。
娘に寄り添い、娘のペースで最後まで伴走して下さったことで、娘はやる気と自信を失うことなく、受験に立ち向かうことができたと思います。
入江塾の先生方には大変お世話になり、感謝の言葉しかありません。
本当にありがとうございました。
京都女子中学校の受験指導行います
私は入江塾の先生方のおかげで、京都女子中学校のⅢ類に合格できました。
小4の時、理科と国語は得意な科目だと思っていました。
しかし、模試では全科目が平均程度でした。
「このままでは合格できない」何度もそう思ったけれどエンジンがなかなか入りませんでした。
そして、エンジンが入ったのは6年生の夏でした。
過去問を解いているうちに社会の公民が苦手だと分かりました。
演習では個人指導みたいに先生につきそって教えて頂きました。
すると、だんだん社会の公民ができるようになってきて過去問でも丸が増えてきました。
そして、京女対策では一対一で丁寧にみてもらいました。
入試当日、佐藤先生が応援に来て下さり、応援グッズをもらってやる気が出ました。
テスト本番で今まで以上の力を発揮できたと思います。
この入江塾で学んだこと―あきらめずに努力する気持ちを忘れず、これからも中学校生活を送ろうと思います。
育星舎の先生、いままでありがとうございました。
この度、娘は京都女子中学校Ⅲ類に合格する事が出来ました。
中学受験を考えていなかった我が家。小3の夏から伸学αでお世話になっておりました。そんな娘が入江塾のパンフレットを手に「中学受験をしてみたい」と小4の4月に言い出しました。
私は自らの経験から「辛い、しんどい、家庭が暗くなる等」中学受験にネガティブな思いがあり、正直渋々の決断で夏期講習から入江塾へ。
娘には「やめたくなったら無理せずやめていいから」と伝えスタートしました。
5年生まで「国語と理科の授業が大好き」と娘は楽しく通っておりました。
模試の結果の伸び悩み、得意科目が無い事、習得度の低さなど課題が見えてくる中、娘自身は意に介さず。
色々と学校見学に行っても然程興味を示さない。
娘の勉強がしたい気持ちに嘘は無いにもかかわらず、幼さ故か現実との間に隔たりを感じ見守る中でしんどい場面がありました。
6年生の春、漠然と決めた志望校への勉強は身が入らず娘もしんどそうでした。
そんな時、親の意向を丁寧に聞き取って下さり、その上で娘と話し気持ちを整理させ、適した志望校決定に導いて下さいました。
「京女Ⅲ類目指して頑張る」と霞が晴れた様な表情で塾から帰って来た事は印象深い思い出です。
又、必要最低限しか出されていないのだから必ず仕上げさせなければと思い込んで必死で仕上げさせていた宿題も「〇(娘の名)には宿題の中に解けない問題もあるはずです。
毎週すぐ宿題が提出できているのもおかしいです」と云われ、改めて娘自身を見て下さってると感じ全て委ねる決心が出来ました。
そこから私はただお弁当を作っただけの日々でした。
志望校が決まってから、模試から帰ってすぐ自己採点をしてみたり、演習を増やしたいと申し出たり、娘自身の姿勢が変わってきました。
とはいうものの模試もD判定が続き、過去問の点数もなかなか合格点に及ばず、親の方が弱音をメールする事も度々ありましたが、その度迅速にご連絡下さり、支えていただきました。
6年生のラストスパートでは可能な限り塾で勉強がしたいと演習を最大限とらせていただき、娘の表情などからしっかり集中して頑張ってきていると感じられたので、家でくつろいで過ごしていても心配せずにいられました。
娘は小4の夏から一度も「やめたい」と言う事なく最後まで前向きに勉強する事が出来ました。
「これからも私はずっと勉強頑張る」と言う娘。制服採寸の日、嬉しそうにセーラー服に袖を通した娘の笑顔は私の宝物になりました。
娘自身の個性を見据え、合格まで導いて下さった入江塾の先生方に心より感謝致しております。
良い中学受験になりました。
ありがとうございました。
私が入江塾に通い始めたのは、小学4年生の2月からでした。
進学塾はしんどそうなイメージがありましたが、入ってみると、成績別のクラス分けもなく、みんなでがんばれる雰囲気があって、無理せず、楽しく勉強することができました。
5年生になって、志望校を京女に決め、初めはⅡ類を目標にしていました。
でも、模試の結果が良くなっていき、佐藤先生に「Ⅲ類も行けるかも」と言っていただき、6年生になってからは、「がんばってⅢ類を目指そう」という気持ちが固まっていきました。
でも、私はやることが遅く、怠けてしまうので、塾のテストでは時間が足りなかったり、宿題も提出期限が間に合わなかったりすることがよくありました。
そして、6年生の秋ごろから模試の偏差値も下がっていき、10月20日に受けた京女のプレテストでは判定A~Eの中でCになってしまい、「もう無理かも」と思ったことさえありました。
でも、佐藤先生や八木先生、しゃもじや熊の手(笑)のおかげで京女の難しい試験問題にも慣れることができました。
そして、いよいよ試験当日(A日程午前)、なぜか緊張はあまりしていませんでしたが、佐藤先生が京女の正門のところまで応援に来てくださり、応援グッズをもらいました。
それと塾の女子全員に書いてもらった寄せ書きを見ると「やるぞ!」という気持ちになりました。
でも、試験では解けない問題が多く、「Ⅱ類も無理かも…」と思うほどまったく自信はありませんでした。
でも、結果はなんとⅢ類合格。
「やったー、やったー!」と何度も言って喜びました。
無事に合格できたのは、佐藤先生、八木先生初め、先生方の指導と一緒に勉強に取り組んで乗り越えてきた生徒のみんなの存在があったからだと思います。
本当にありがとうございました。
学校のお友だちのお姉さんが通われていたことがきっかけで、小学4年生の1月に、娘から「入江塾に行ってみたい」と言い出し、通うようになりました。
その時点では中学受験を絶対すると決めていなかったのですが、自分から言い出したこの機会を生かしたいということと、正直「勉強してくれるならいいかな」という気持ちでした。
5年生のクラスに入ったわけですが、これまで塾に通ったことがなく、勉強の内容についていくのが大変でした。
親も認識が甘く、「こんなに難しいことをたくさん勉強しないといけないのか」という印象でした。
のんびりやの娘には、負担が大きいように思えて、「こんなにがんばらなくても受かるところを受ければいいのではないか」という気持ちさえあったぐらいでした。
その一方で、模試の成績は思っていたよりよかったので、ちょっと期待感もあったというどっちつかずの状態でした。
宿題に追われながら何とか続けて、分かることが増えて…としているうちに、少しずつ親子とも「受験をする」という意志が固まっていった感じでした。
特に算数の文章題は始めちんぷんかんぷんでしたが、授業と個人指導で解き方を教わって一つひとつ攻略していく感じがうれしかったようです。
反対に暗記系は苦手でかなり抵抗していましたが、6年の夏季講習で周りの生徒さんの影響もあって、がんばって覚えていました。
途中何度も「しんどさの方が勝って、辛くて何のために続けているの?と自分で思うならいつでも辞めていいよ」と言っていましたが、1回も辞めたいとは言わなかったですし、思ってもいなかったようでした。
5年生の最後から6年生の夏ごろまで、第一志望を決めるにあたり、親としては大変悩みました。
親が考える本人の性格、学力、進路をふまえての候補は同女WR、娘が考える自分に合った学校は京女Ⅲ類。
ここは何度も話し合い、佐藤先生にも面談の度に相談し、私ひとりで再度同女、京女の先生にも相談に行きました。
娘の意志を尊重したいけれど、「京女Ⅲ類に受かった場合に授業や宿題をこなせるのかどうか」が最大の心配事でした。
結局、娘の「難しいコースにチャレンジしたいし、自分は怠けてしまうから厳しい学校でがんばりたいし、大学までつながっているコースじゃなくて、普通に大学受験もしたい」という言葉が決め手となり、京女Ⅲ類を目指すことになりました。
こう書くと素晴らしい意識の高さなのですが、意識と行動の乖離がはなはだしいのは小さい頃からで、ずっと振り回されてきましたので、これは心して管理しなければと思ったのですが、塾の宿題はおろか、学校の宿題もなかなかやらない・時間がかかるという状態は変わらず、私も仕事の忙しさにかまけてあまり面倒を見られずでした。
そこで、個人指導や京女対策も含めた演習時間を増やしてお世話になるという形になりました。
塾の雰囲気がとても家庭的、家族的で先生と生徒の距離が近く、親よりも厳しく、きめ細かく、そして超熱心に接していただいたと感謝しています。
親としては、漠然と「がんばってるね!」とか「早く宿題しないと!」「今回はいい点数が取れたね」としか言えなかったのですが、先生は模試やプレテストのどの問題をどんなふうに間違えたかを把握されていて、うっかりミスが多かったのですが、本人よりも親よりも一番くやしがってくださっていました。
また、親としては模試の成績というその時々の数字に一喜一憂しがちでしたが、佐藤先生、八木先生は娘が本来持っている理解力を判断したうえで「もっとやれる!」と指導してくださっていたと思います。
そんな熱意と確信をベースにした指導に引っ張られて、無事に手にできた京女Ⅲ類の合格でした。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私は四年生から入江塾に入りました。
五年生までは出町教室に通っていました。
最初は、あまりやる気ではなく成績もとても悪かったです。
でも先生方がていねいに、分かりやすく教えていただいたおかげで苦手な算数が少し分かるようになりました。
そして、受験一ヶ月前には塾のみんなと別れるのがとてもさびしくなりました。
本番は、とても緊張しましたが応援グッズのメッセージを読むと落ちついて受けることができました。
結果は合格。
聞いたときは信じられませんでした。
こんな私が第一志望に合格できたのも先生方のおかげです。
本当にありがとうございました。
入江塾には4年生からお世話になりました。
低学年から特に算数が苦手だった娘は、机に向かっていても全く頭が働いていない状態(〇〇タイム、と塾で命名していただきました、笑)になってしまい、そうなるとごく簡単な計算もできないことがしばしばありました。
これでは大手の塾ではとてもついていけないと思い、知人の紹介で入江塾にお世話になることになりました。
ゆっくりペースの娘が拒否反応を示さないように、最初は算数と国語だけ、それから理科と社会を受講し、演習はだいぶ経ってから受けることにしました。
5年生になっても、自分から勉強する姿勢もなく、模試の答案も国語以外はほとんど白紙で、この子には中学受験は無理かもしれないと何度も考えました。
それでも少しずつですが解ける問題が増えていったので、ここで親が諦めてはいけないと思い直して、宿題に付き合いました。
志望校は、読書好きの娘がオープンキャンパスで京女の充実した図書館に一目惚れして決めました。
でもその頃の成績では相当厳しい目標だと思っていました。
6年生になり、算数の個人指導をお願いして、京女クラスが始まっても、演習ではまだまだぼーっとしてしまうことが多く、「必ず計算ミスをします」と先生からも心配されていました。
そんな娘がやっと受験生らしくなったのは、秋のオープン模試を受けた頃からです。
各校の結果が返ってくると、判定をもっとよくしたい、と思ったようで、自分で宿題のペースを考えられるようになり、演習にも嫌がらずに行くようになりました。
冬休みになって「勉強が楽しくなってきた!」「もっと演習をたくさん受けたい」「あと一ヶ月で塾の友達と離れるのがさみしい」「過去問を解くのが楽しい」という言葉を聞いたときには、娘がそんな気持ちになってくれたことが嬉しくて涙がでそうになりました。
受験当日も、佐藤先生の応援に励まされ、塾の友達と一緒で、とても心強かったです。
そして、まさかのⅢ類合格。
A日程ではⅡ類だけ合格だったので、B日程前日にも塾に行って過去問を解き「合格するチャンスはある!」と励ましていただきました。
おかげで集中力が途切れることなくB午前入試、午後入試に臨むことができ、最後の午後入試でⅢ類合格をいただきました。
知人から入江塾のよさは聞いてはいましたが、子供の性格と能力をあわせてこれほどまで温かく丁寧に指導していただけたことに心から感謝しております。
授業の進め方、演習や個人指導のシステムもとても理にかなった方法だと思っています。
こんな素敵な塾に出会えて、本当によかったです。
ありがとうございました。
私は、五年生の第二回の授業から、入江塾に通うようになりました。
私が塾に行くようになったのは姉の影響です。
姉は、三年生の終わりごろに入江塾に通い始め、塾に行くのを毎回楽しみにし、朝に計算プリントをしたりと私よりも家での学習量が圧倒的に多かったです。
その頃私は(現在もあまり変わっていませんが)「毎朝起こされては二度寝」を繰り返し休日になると家でゴロゴロする生活を送っていました。
そんな生活を送っている間にどんどん時間だけが過ぎていきました。
しかし、そんなダラダラな私を変えた出来事がありました。
四年生が終わりかける頃、学校の友達が通っていた児童館を辞めると言ったのです。
私は塾に行くことを断固拒否し児童館に行き続けるつもりでした。
でもみんなが辞めてしまうと、私一人で残されてしまい私には塾に通う選択肢しか残っていませんでした。
そこから背中を押して私を塾に行かせたのが姉です。
実は四年生の頃、当時姉の通っていた入江塾に体験授業をしに来ていた私ですが授業の難しさからして当時の私は一瞬で無理だということを感じました。
しかし入江塾の指導理念を相当気に入っていた姉と母から逃れることはできず、しぶしぶ入塾しました。
新五年生の私の「塾」のイメージは授業に追いついていけない人は置いて行かれるという怖い感じでした。
しかし、塾に入った瞬間想像していた重々しく厳かな雰囲気というのはあっという間に私の頭の中から消し去られていました。
授業も分からないところがあれば天使のように(?)優しい佐藤先生や八木先生が丁寧に教えてくださいましたし、私の極度な人見知りも緊張も休憩時間のおやつや友達との会話によっていつの間にかかき消されていました。
こんなに楽しい塾ならもっと早く入塾するべきだったと今では少し後悔しているくらいですが、入塾することをあんなに嫌がっていた私を無理矢理でも入れてくれた姉と母に今では感謝でいっぱいです。
入塾してからしばらくたち水曜日に五ツ木・駸々堂対策という模擬テストの対策授業に私は行くことになりました。
最初は天使の佐藤先生が教えてくれるので少しワクワクしていましたが五ツ木・駸々堂対策で私は20点台~30点台しかとることができず、かなりへこみました(笑)。
しかも偶然にも優しいはずの八木先生担当の私の苦手な理科の個人指導の日と重なってしまい、前半の五ツ木・駸々堂対策、後半の理科の個人指導と水曜日は地獄の日となりました。
しかし地獄の日のおかげで最終的に五ツ木・駸々堂の算数の成績は上がり理科の問題にもようやく慣れ始めました。
毎週地獄の日になることが恐ろしくてたまらなかったけれど地獄の日に育てられたと思うと欠かせない水曜日だったんだなと思えてきます。
やがて六年生になりその地獄の日からは解放されました。
その代わりに京女対策が始まりました。
私が京女を志望校にしたのは文化祭で見た京女の元気な姿に惹かれ京女生になりたいと思ったからです。
第一志望合格に向けていよいよ追い込みが始まりました。
ここからは毎日塾が続きました。
つらいと思っていた勉強を楽しいと感じるようになり先生方の熱心な指導があったおかげで本番当日、緊張しながらも、メッセージカードや先生の似顔絵付き消しゴムをもらい自信がつき「自分ならいける」と思えました。
今、五年生の頃の私が五ツ木・駸々堂テストの算数で30点しかとれず六年生で始まった京女対策の理科で40点しかとれなくて毎月来るおたよりの先生のコメント欄に「このままでは、だいぶヤバいです」と書かれ、点数が落ち込むたびにどんどん怖さがエスカレートしていったことを思い返すと恥ずかしいですが、様々なしゃもじたちや優しい先生たちに囲まれて成長できたことが自分でもとても誇らしく思えます。
今まで支えてくれたたくさんの友達、先生方のおかげで第一志望校に合格することができてとても良い思い出になりました。
中学受験を終えましたが、ここからが始まりだと思うので京女対策で発覚した普段のぼーっとしている時間「〇〇タイム」は、入試当日のように放棄して突っ走っていきたいと思います(笑)。
本当にありがとうございました。
この度、受験校すべてから合格をいただくことができました。
入江塾の諸先生方には大変お世話になりました。
2歳年上の長女を入江塾に通わせてとても良かったので次女も4年生になる頃に塾の体験授業を受けさせましたが、3日ほどで「塾いきたくない」と言い出しました。
特別勉強が好きでもないうえに、知らない子ばかりで孤独感も感じていたかもしれません。
塾には一旦保留としてもらい、仕切り直して5年生で入塾しました。
塾の5年生の学習内容はとても濃く、ついていくことすら大変なのは知っていましたので、1年遅れてスタートした娘には最初から演習を多めに入れて宿題でわからないところを先生に教えてもらえるようにしました。
しかし、人見知りで頑固な娘は、わからない問題があっても先生になかなか聞こうとせず、無理と判断した問題はすぐに飛ばしたり、思考停止になってぼーっとしたりしていました。
先生はそういう悪い癖を素早く見つけ、頭ごなしに叱るのではなく娘の心に届く言葉で注意してくださいました。
先生は、娘がぼーっとしている時間を「●●(娘の名前)タイム」と命名し、「こら!また●●タイムに入ってるで!」と注意しておられました。
とてもユニークな叱り方ですが、娘は笑って問題を解き始めます。
家で私が注意するとふてくされてしまい、こんな風にはいきません。
入江塾の先生、さすがです。
そんな先生方のきめ細やかでピシッと伝わる指導には、いつも親子ともに信頼をよせていました。
先生のご指導のおかげで、五ツ木・駸々堂の成績は京女Ⅱ類においては常にA~B判定をいただくことができました。
しかし苦手としていた算数と理科は個人指導を受けていても平均以下というときもあり、万全とはいえない状況でした。
6年生の夏の面談では、先生から「いまの判定に満足しているとずるずる下がっていく恐れがあるので、(京女)Ⅲ類を目指すような気持ちでやってほしいです。できる力は持っているはずなので、算数や理科にもガッツを出してやってもらいます。」と言われてしまい、親子で取り組みの甘さを反省しました。
その後も先生には、娘が弛んでいるときはもちろん京女オープン前など絶妙のタイミングで厳しくも愛のある喝をもらい、入試当日までいい緊張感を保つことができました。
入試が近づくにつれて拘束時間も長くなりましたが、女の子同士でお弁当を食べたり休憩時間に趣味や志望校の話をしたりすることで、気分転換ができたようです。
勉強も孤独感なく集中して取り組めるようになりました。
最後になればなるほど塾が楽しいと言うようになり、3日で挫折したときの娘からは想像できないくらい塾好きに変身しました。
最後までどうなるか不安のあった娘の受験でしたが、塾の先生と仲間たちに支えられ、最後までやりきることができました。
本当にありがとうございました。
私が初めて入江塾に行ったのは小学四年生の三月でした。
初めは土曜日の北野教室での授業と木曜日の演習だけでした。
授業ではみんなに少しおくれていて、ついていけるか不安でした。
でも、先生たちが教えてくれて、何とかついていけるようになりました。
また、六年では復習が中心となり、さらに分かるようになりました。
六年生になり、京女対策クラスも始まり、少しずつ友達が増えていきました。
でも、その一方で、テストの点数が上がったり、下がったりしていて、不安になっていきました。
そんなとき、佐藤先生や八木先生と一緒にやっていくと、だんだん自信がついていきました。
そして、前日に佐藤先生に気合をいれてもらいました。
試験当日、校門に佐藤先生や京女対策の友達もいて、先生から応えんグッズをもらいました。
京女対策の友達から「がんばろう!」と言われ、気が引きしまり、テストに挑むことができました。
結果発表前はどきどきしていましたが、発表時に自分の番号があり、うれしい気持ちでいっぱいでした。
約二年間でしたが、ありがとうございました。
私は、この入江塾が大好きです。
小学4年生の終わりの3月からお世話になりました。
地方から京都へ引っ越すことになり、塾探しをした結果、入江塾に通わせたいと心に決めていました。
スタート当初は、模擬試験の成績は、国語だけ60台で他は50前後、特に算数は苦戦していました。
焦らず着実に頑張ろうと本人と話していました。
偏差値も少しずつ上がり、安心しているとすぐに下がってしまったりの繰り返しでした。
6年生になると、得意だったはずの国語の成績が下がり始め、少々焦りましたが、基本固めをしていくうちに少しずつ良くなっていきました。
算数も、受験の3ヶ月程前から八木先生に個人指導をお願いし、本人も算数の楽しさがわかるようになっていったようです。
そして、冬期講習は大晦日も元旦も塾に行きました。
教室の皆で目標にむかって勉強したことはとても良い経験になったと思います。
佐藤先生、八木先生からの叱咤激励があったからこそ受験を乗り切ることが出来ました。
本当にありがとうございました。
私は入江塾に入る前は同じ育星舎の伸学αに通っていました。
でも私は自分の力を試したくなり、母と相談して入江塾に入ることにしました。
みんなから少しおくれていて、追いつけるかどうか不安でした。
今では全然気にならないようになりましたが、それは多分5年生の自分に「受験するんだ!!」みたいな実感がなく、気負わなかったからではないかと思います。
だから初めはふわっとリラックスする事が大切だと思います。
まぁそれで「しゃもじ」が出現しない訳ではなかったですが…。
6年生になり夏期講習までずーっとふわっとしていました。
でも、佐藤先生に京女も目指せると言われ、「このままじゃダメだ!!」と気合を入れました。
そして始まったのが例年の人数より半分ほどの京女クラスです。
担任はもちろん優しい(?)佐藤先生。
そしてひたすら過去問を解く、徹底的に直す!それを毎回くりかえし、他の演習でもやりました。
京女のテスト、特に苦手な理科はくりかえし解き、先生に聞き、言われた事はすべてノートにメモをしました。
そのノートは試験の直前に見直しました。
そんなこんなの内に「受験するんだ!!京女にいくんだ!!」という自覚がつきました。
そして私は春から京女のⅡ類の生徒としてあこがれの世界へと歩むことになりました。
これまでお世話になった入江塾の先生方、そしていっしょに学んだ友達、「しゃもじ」や「熊の手」(笑)にはとても感謝しています。
娘は4年に進級する時、育星舎の伸学アルファでお世話になりました。
学校の勉強を少し早く予習して、苦手な算数を克服できたら…と思ったのがきっかけでした。
それが、4年の終わり頃「中学受験したい」と言い出し、他の生徒さんより3ヶ月程遅れての入塾となりました。
初めは、授業の雰囲気にも慣れないようで、何より勉強自体が今までと全然違うので、とにかく付いていくのに必死だったようです。
宿題にも手をつけられない程理解できず、親子2人で解いたこともありました。
6年になって、演習の時間を増やしました。
佐藤先生から「理解力はあるから、あとはそれをしっかり覚えて応用すること、そして計算ミスは絶対しないこと」それを常に言われました。
京女クラスに入り個人授業もお願いして、少しずつ力がついてきたように思います。
五ツ木テストで国語でしか点数をかせげず、あとは散々だったのが、京女の過去テストでも国語以外で点数を取れるようになりました。
京女なんてとても無理…と思っていましたが、佐藤先生の励ましと導きでここまで引き上げてもらったおかげだと感謝の言葉しかありません。
そして伸学アルファから入江塾へ移るとき、背中を押してくださった木村先生にも感謝申し上げます。
こちらで過ごした3年間は娘の人生を変える重い年月だったと思います。
そしてその年月を生かすかどうかは、娘自身にかかっていると言えるでしょう。
娘ならきっと糧にして頑張ってくれると信じています。
私は5年になってから入江塾に入りました。
その時にはもう授業が進んでいて、全然分からなくて追いつきませんでした。
特に算数は苦手で算数をとにかく勉強していました。
6年になり復習中心となったためやっと追いついてきたと思ったけど、理科とか社会はまだまだ覚えていないことがいっぱいありました。
6年になり北野教室に行き、京女対策クラスも始まると友達が増えていきました。
京女対策では過去問をやるのですが、はじめはひどい点数ばかり取っていて、「だめかもしれない」と思いました。
結局過去問では一回も合格点をとれず、本番の試験前日まで弱音を吐いていました。
でも前日に佐藤先生に「大丈夫かな」と聞いてみると「君ならいける」と言われ少し自信がつきました。
また京女対策でずっと一緒にいた友達からお守りをもらい本番にもっていく約束をしました。
試験当日は校門の前に佐藤先生がいて、京女対策の友達もみんな集まって、先生から応援グッズをもらいました。
その応援グッズを見て、気を引きしめて挑むことができました。
結果発表まで不安でしたが、合格発表で私の番号を見つけたときうれしい気持ちでいっぱいになりました。
今まで絶対無理だと思われていた私が、ここまで成長させてもらったのは入江塾のおかげで、ずっと私をあきらめずにいてくれた先生方にとても感謝しています。
また京女対策の友達は、みんなやさしい仲間であり最後まではげましあうことができることができ、とても心の支えになりました。
今まで本当にありがとうございました。
私はこの塾が大好きです。
この度は、娘が無事希望校に合格できたことを心から感謝しております。
入江塾は本当に生徒一人一人に寄り添っていただける先生方ばかりで、学校でも塾でも「宇宙人」と呼ばれ、その思考回路がよく理解できない娘を根気よくあきらめずに指導して頂けました。
6年生になる前、あまりにも成績が悪いため頻繁に怒ったり、受験自体をやめさせようと考えていたところ、佐藤先生との面談で「楽しそうに通っているからまだ大丈夫」「彼女にはとにかく成功体験を与えたい」といったお話を伺い目が覚める思いをしました。
勉強を教えるだけではなく、娘をきちんと見て、受験を通してヒトとして成長させようという教育者としての考えを知り、親として今の自分の姿を反省し、入江塾にすべてをお任せすることにしました。
先生の方針に従い個人授業、演習を多めに入れ、家では勉強に関しては何も言わないように心がけしました。
ですのでこの一年間「勉強しなさい」と怒った記憶もなく、早く寝かすことだけを心掛けました。
模試の判定も満足できるものではありませんでしたが、これも「試験本番の前日まで子供は伸びる」という言葉を信じ娘を応援しておりました。
ただ年末に“笑ってはいけない”をみてずっとバカ笑いをしている姿を見て、さすがに一瞬大丈夫だろうかと不安がよぎりましたが、その後、今まで見たことのない集中力を発揮し無事試験に臨むことができました。
試験後塾にお礼の挨拶に行ったとき、佐藤先生が娘を見て少し涙を浮かべて喜んでいる姿を見て、これが恩師っていうんだなと娘がうらやましく思えました。
2年間ありがとうございました。
そしてできましたら今後も娘が(親が?)迷ったときはよろしくお願い致します。
私は第二志望の学校の帰り道に結果を聞きました。
お父さんとその学校のバス停に向かう途中の人が少ないところで問い詰めたら「合格してたで。」と言ってくれました。
私はびっくりして今までのことを思い少し泣きそうになり、そして、安心しました。
私は4年生の一番初めから塾に通いはじめました。遠かったけれど一人で来れるようになりました。
初めは、理科、算数が良いと思っていて、国語と社会は普通くらいだなあと思っていました。
学校のテストの成績が算数はとても良くて、理科もまずまずだったからです。
しかし、塾に行き始めたら、それが一変し、社会と国語がとてものびて理科、算数が低迷しはじめました。
とても社会はとくにのび、地理はものすごく得意になることができました。
志望校は随分前から女子校と決めていました。
レベルなども合っていたし、クラブ活動や、図書室の広さなども考えて、京都女子中学校に決めました。
志望校は変わることはなかったです。
そして5年生になり、お父さんが家で教えてくれたおかげでだんだんテストも良くなっていきました。
そして、6年生にかけて私はそれぞれの教科で工夫をし始めました。
成績は少し上がり、やった問題も復習もしっかりしました。
お父さんは度々頭を抱えてあまりのできなさに沈黙していたりもしていたけれど、冬くらいにほめてくれるようになりました。
理科はとてつもなく苦手で、塾の授業についていけないこともありました。
なので、できるだけ家でお父さんと勉強したりしました。
社会はとても得意な教科でした。
塾の木村先生の授業は地理では豆知識、歴史では最近あったその人物についてのでき事やその人物がやったことなどをすごくくわしく教えてくれてとてもためになりました。
受験勉強で後悔したことが二つあります。
一つは、塾での学習態度が非常に悪かったことです。
先生に度々注意されても直ることがなかったので、もっと注意を聞けばよかったと思っています。
私は中学校でもここは気をつけようと決めました。
二つ目は、宿題や週テストを真面目にやらなかったことです。
宿題はやろうやろうと思っていても、ついつい「忙しいし。丸つけしないでおこう。」と考えてさぼってしまったりしてしまって、週テストは、演習の時間が短かったためになかなかやりませんでした。
私の成績が伸びずにすっと同じ程度だった理由はここに恐らくあります。
私は塾の女子みんなと話すことができました。
とくに京女対策教室の人たちとは学校のことや成績などのことも打ちあけることができたり、おたがいをはげまし合ったりすることができました。
本番の日に私が門の前でなぜか泣いたときも、笑ってはげましてくれました。
本当に一緒に学べてよかったです。
最後になりましたが、指導してくださった先生方。
本当にありがとうございました。
私が合格できたのは態度が悪くてもずっと教えてくれた先生たちのおかげです。
本当にありがとうございました。
4年生から3年間、本当にお世話になりました。
娘は精神的に幼く、また学力にも不安がありましたので、塾を選ぶ際にはインターネットで色々調べました。
そして入江塾のことを知り、訪問・見学を経て、通塾に約1時間かかりますがお世話になることに決めました。
親として正直なところ、小学校高学年の大切な時期に良い先生、良い友人に囲まれて勉強することは、本人にとって受験の合否にかかわらず、かけがえのない財産になると考えていました。
また受験に成功すれば全て良しというものではなく、もっと大切なことがあり、中学・高校で積極的に色んな経験をしてほしい。
そういう観点からも入江塾の方針は賛同できるものであり、本当にきめ細かく面倒を見ていただき、心を広めていただいたことが何よりも有意義なことでした。
おかげさまで、娘はいつも喜んで通塾していました。
2年の頃には学校の勉強もいい加減で、心配が尽きなかった娘ですが、5年になると成績も安定し、少ない勉強量ながらも徐々に自主性も芽生えてきました。
算数を苦手とし、避け続けていましたが、5年の後期になると少しは自分から取り組むようになりました。
また、授業中集中力を欠くことも多く、やる気も持続できなかった娘でしたが、先生方のご指導のおかげで、一度も欠席することなく通い続けることができました。
特に勉強に対する姿勢についてご指導いただいたことについては、中学入学以降も課題とし、改善を図らねばならないと思っています。
娘が最後まで伸びやかに過ごせたのは、信頼する入江塾の先生方に温かく見守っていただいたおかげだと感謝しております。
入江塾の先生方の教えを胸に刻み、広い心と謙虚に学ぶ姿勢を持つ人間に成長して欲しいと願っています。
私が入江塾に入ったのは3年生の2月からです。
その頃は週に1回の授業と演習だったので、マイペースな私でもなんとかついていけました。
また、私は習い事をいろいろとしていましたが、この塾に通っていたからこそ最後まで続けることができました。
4年生のころは軽い気持ちで塾に行っていました。
けれど、5年生の時に受けた「駸々堂」の結果が悪くショックでした。
それでも私は少し努力すれば大丈夫だと思っていました。
そんな時、京都女子中学校のオープンキャンパスに行き、ここに行きたいと思い、頑張らなければと感じました。
6年生になり、S先生には大の苦手の算数を、Y先生には自信のなかった理科の個人指導をしてもらいました。
また、夏期講習の時から「京女対策授業」が始まりました。
対策授業でボロボロの算数をS先生は、「自信をもて。あんたならできる。」とはげましてくれました。
そして、理科の問題をY先生はていねいに、私の納得がいくまで教えてくれました。
そのおかげで、理科は私の得意教科になりました。
対策授業で私は同じ目標を持った友達に出会いました。
なので、週1回の対策授業がとても楽しかったです。
冬期講習に入ると、みんな真剣になり始めました。
私もほぼ毎日塾に通いました。
受験が近くなると毎日過去問を解き、みんなとお互いをはげましあったりしました。
1月1日に北野天満宮にみんなでお参りに行き、おみくじを買ったりしたことはとても思い出に残っています。
塾の最後の日は先生からはげましの言葉をかけられ、みんなで大泣きしました。
その時、私は、今までお世話になった先生方に恩返しをしなければと思いました。
受験日当日、S先生が門まで来てくださり、応援グッズをもらいました。
休み時間には先生達からのメッセージを読んで勇気づけられました。
消しゴムに描かれたS先生とY先生を見て、今まで言われ続けてきた、「がけに落ちるな!」と「読め!」を思い出しながら、一教科一教科をしていきました。
けれど、終わったとき、私は得意になったはずの理科が出来なかったので、自信が全くなく、もう無理だと思っていました。
Y先生ごめんなさいと心の中でずっとさけんでいました。(実際、Y先生には謝りました。)
結果はまさかの合格。
私は大泣きしました。
雪の中を走って、S先生とY先生に伝えに行きました。
先生は「よかったなー。やっぱ大丈夫やと思ってたわー。」と言ってくれました。
その時私は、今までがんばってきて良かった、恩返しができたとうれしかったです。
今まで私ががんばってこられたのは、いつもはげましてくれる先生方と、同じ目標をもった仲間達がいた入江塾だったからだと思います。
出来の悪かった私をここまで引っ張ってきてくれた、神様のような…入江先生、女神様のような…S先生、天使のような…Y先生、そして優しい入江塾の先生方、本当にありがとうございました。
私はずっと最高な入江塾の塾生です!
このようなご報告をさせていただけることに心から感謝いたします。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
– William Arthur Ward –
私が好きな格言です。
最後の一節の日本語訳には、偉大な教師は心に火をつけるとあります。
入江塾でこのような先生方に出会えたことは、私自身そしてその教育を受けた娘の大きな宝物になったと確信しています。
娘の入塾は三年前。
授業初日の帰り道、娘は、授業に全くついていけない悔しさの涙でいっぱいでした。
本人が受験に興味を示したことで通塾を決めましたが、小学校時代は好きなことを精一杯、納得いくまでとの親の思いから、習い事との両立を教育方針にかかげる入江塾以外での中学受験はないと考えていました。
本人に、無理はしないようにいつでも辞めてよいことは伝えました。
結局、ピアノをはじめとするたくさんの習い事を抱えて、塾を続けることになりました。
6年の始めまでは、日々の習い事の中に塾が組み込まれる感じでしたので、もちろん駸々堂の偏差値も散々なもの。
上位校を狙っているとはとても言えないものでした。
入江先生も「本人のやりたいものを奪ってしまっても本人の気持ちが勉強に向くわけではない。受験が近付くにつれて、本人が整理をしていくものだ」と仰っているので、その言葉を信じて、彼女自身が整理をしてくれるのを待ちました。
最終的に、6つの習い事の中でお休みをしたのは2つのみ。
受験ギリギリまで、ピアノコンクールやアンサンブル大会、合唱の発表会等に参加しておりました。
これには、私自身も焦りとの葛藤でした。
教頭のS先生に何度も相談し、私の方がカウンセリングを受けるほど。
「焦らないで信じてください。」本当にありがたいお言葉でした。
最後の授業の日の帰路、娘はまた泣いていました。
それは、大好きな先生方、大好きな仲間達とともに過ごした塾の生活にお別れをする寂しさからです。
習い事の両立とともに娘は戦いました。
これを可能にしたのは、すばらしい先生方の指導で灯った心の灯火が、先生方の期待に応えようとの姿勢を本物にし、受験に対する原動力を何十倍にも増幅させたからではと思っています。
そして、合格の涙。
入江塾でいただいた3つの涙は、娘にとって一生の宝物になることでしょう。
入江塾の先生方に心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
本当にありがとうございました。
第一志望として受験した京都女子中学校のプレテストの日。
私は、そのころまったく問題の傾向が違う学校を第一志望として目指していました。
私が志望校を迷い始めたのは十月の上旬。
第一志望の難しさ等を改めて実感したからでした。
そのとき、S先生が「志望校が決まったら自分から言いにきなさい。そうしなかったら、私は第一志望として認めません。」と言われたのを今でも覚えています。
さんざん迷い、母と相談した結果、十月の最終日に第一志望を決めました。
その学校とは、6年のオープンキャンパス時に「いいな」と思った京都女子中学校のⅢ類でした。
そこからは、冬期講習は毎日休まず通塾し、夜は早く寝るよう努めました。
入江塾での京女対策は、友達の支えがあり、いい友達たちと勉強できました。
最後の国語の個人指導で、K先生が「パワーを送っているような感じで、応援しているよ」と言われ、それがとてもうれしく心に残りました。
最終日は友達と泣きました。
入試の日は、S先生が応援しに来て下さりリラックスでき、万全の態勢でいどめました。
しかし全く手応えがなく、2時間大泣きしました。
すると母がS先生・Y先生に連絡してくれて、そのおかげでなぐさめてもらい、落ち着きました。
入江塾がなかったら、私は受からなかったと思います。
個人指導のS先生・K先生、またY先生 教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。
娘は入江塾に3年から通い始めました。
中学受験はするかもしれないという思いから口コミで入江塾に辿り着きました。
入江先生の中学受験や塾という存在に対しての強い信念に感銘を受けたからです。
娘はというと6年になるまでは授業・演習を少し入れるだけでした。
しかし6年の夏期講習からは周りのお友達に刺激を受け、通塾する回数を自分で決めていきました。
私はただ見守り、オロオロし、わからない事は全てS先生にメールや電話をしお尋ねしていました。
娘の性格を私以上に理解して下さり、適切なアドバイスを毎回して頂き、寄り添って頂きました。
公立の中高一貫校を目指していた娘が自分なりに悩み考え、京都女子中学で勉強したいと言いだしたのは10月下旬。
その決断を尊重しようと思いました。
そこからはできればⅢ類に合格したいという思いで頑張れたように思います。
入江塾のお友達にもたくさん支えて頂きました。
絶対に忘れることのできない存在です。
共に励まし合い、合格を目指して勉強に取り組めました。
中学受験と言うと色々なことを犠牲にしてというイメージですが、部活も続けられましたし、家族での旅行・学校のお友達と遊ぶ時間も充分持つことができました。
うちには妹達もいますので、家での勉強は全くはかどりません。
そこを演習という形で通塾しカバーできたように思います。
指導して頂いた先生方、送迎して頂いた先生方、そして一緒に勉強して頂いたお友達の皆様、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
私は3年生の2月から入江塾に通い始めました。
当時、塾に入れば志望校合格が保証されると思っていた私にやる気はほとんどありませんでした。
特に、国語の記述や算数の宿題はやる気が出ず、提出ギリギリに慌ててやっていました。
5年生から、演習を週何回か入れ始めました。
宿題の分からない部分を先生に聞けたので、慌てずにある程度は理解して問題を解けるようになりました。
しかし、5年生から始まった駸々堂模試の結果はひどく、算数は20点台で偏差値40台が当たり前。
計算を間違えてS先生に耳を…みたいな(笑)ひどい成績でした。
それでも私は、5年生のときに参加した京女の文化祭で在校生のお姉さんの優しさにハートをつかまれ、志望校を京都女子中学校に決めました。
6年生になった私は、まず駸々堂模試の算数をどうにかしようと思い、駸々堂算数対策授業を毎週受けることにしました。
さらに、S先生に算数の個人指導をしてもらい、算数に力を入れました。
その結果、駸々堂模試の算数の成績はどんどん上がっていき、京女対策を受けられる条件も突破できました。
ある日、塾の面談から帰ってきた母が、「先生にⅢ類目指そうって言われた」と言いました。
でもその時はⅢ類に行く気は全くなかったので、S先生に背中を押してもらうことにしました。
そして過去問を解いていくうちに、Ⅲ類挑戦しようかなと思うようになりました。
先生に背中を押して頂いて本当に良かったと思っています。
6年の夏期講習で、理科に苦手意識が芽生え始め、秋ごろからY先生に個人指導をお願いしました。
指導を受けてY先生には「自信がないだけで実力はある」と言われていたし、昨年度の理科の過去問もかなりできたので自信になって安心しました。
入試前日、皆でホワイトボードに寄書をしました。
「第一志望合格!」の文字や皆の名前を書いて、泣きながらお別れをしました。
送迎のK先生に「頑張りや!」と言われ、これで終わりだと思うとまた涙が出てきました。
そして、「絶対に受かろう」と心から思いました。
入試当日、S先生から消しゴムなどの応援グッズをもらい会場に向かいました。
しかし、問題の内容が難しすぎて、「絶対落ちてる…」と不安で心が押しつぶされそうでした。
でも次の日、京女のホームページの合格発表のボタンをクリックすると、Ⅲ類合格者の中に1043があったのでとても嬉しかったです。
その後S先生に京女対策の友達も全員受かったと聞いてもっと嬉しくなりました。
憧れていた京女に合格することができたのも入江塾の先生方のお陰です。
天使のような(?)S先生、Y先生、入江塾の先生方には感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
この思い出は、死んでも忘れません!
入江塾の小規模でアットホームな雰囲気が精神的に幼くマイペースな娘に合うような気がしたので新4年生の時に入塾を決めました。
通うほどに無理無駄のない授業と宿題、演習での手厚いフォロー、友達同士や先生との関係の良さを実感し、ここなら最後まで続けられると親子で確信しました。
娘は5年生のとき京女の文化祭に触れて以来すっかり気に入り京女のとりこに。
もう他の学校が目に入らないくらいの第一志望となりました。
当時の娘の偏差値はⅡ類ならいけそうな位置にあり、このまま平和に受験を終えられると思っていました。
ところが、6年生になった5月、面談でS先生から「お母さん、本当にこれでいいんですか?彼女はまだまだやれます。Ⅲ類を目指しませんか。」という言葉をかけられました。
しかし当の娘はⅡ類に行く気満々で、Ⅲ類に挑戦する気はまったくなし。
私は娘のこんな弱い気持ちでは受かる気がしなかったので、先生から娘に直接話をして背中を押していただくようお願いしました。
娘は「そんなん無理~」と言うばかりでしたが、S先生の個人指導を素直に受け続けたところ夏休み前の模試で偏差値が急伸。
「まだまだやれます」という先生の言葉どおりになって私も娘もびっくりしました。
娘はここから意識が変わったように思います。
その後の模試で悪い判定が出ても、過去問でなかなか合格点に到達できなくても先生のご指導とよきライバルでもある友達のおかげで粘り強く問題に取り組んでいけました。
そして念願の合格をいただくことができ、良い受験ができたと思いました。
娘も私も心から楽しんだ受験でした。
3年間本当にありがとうございました。
私が入江塾に入ったのは、3年生の2月でした。
6年になってから志望校に悩んでいたけれど、先生からの勧めもあって、京女を目指すようになりました。初めはあまり気乗りしなかった京女対策だけれど、自分の成績が上がっていくのが楽しかったです。
算数の個人指導も始め、算数を得意教科とすることが出来ました。
私は、北野天満宮にお参りに行った後、遅まきながら、やっと自分は受験生なんだという自覚を持ち始めました。
これまでずっと社会を苦手教科としてきた私だけれど、最後の追い込みで、先生にたくさんのプリントや過去問をもらったりして、何とか点数を70点台まで上げることが出来ました。
そして、試験当日、何とか第一志望に合格することが出来ました。
ちなみに、私の入江塾での1番の思い出は、塾のみんなで北野天満宮へ行ったことです。
先生からお年玉の500円をもらって、みんなで歩いていきました。
ほとんどの人がお参りに行って、屋台で食べ物などを買っていました。
でも、途中でみんなとはぐれてしまったりして、何回も行ったり来たりしていると、時間が無くなっていってしまいました。
急いで買った500円ぴったりのおみくじだったけれど、大吉だったのでとてもうれしかったです。
一緒に戦ってきてくれた塾の仲間たち、勉強を教えてくれた先生方、今までありがとうございました。
先ず、入江塾の先生方にお礼申し上げます。
入江塾でなかったら今回の合格は無かったと思います。
娘は親に言われて動くような子ではなく、宿題もやり切れずにいました。
よくやめさせられずに置いて頂けたと思っています。
先生方は忍耐強く、温かく接して下さり、宿題が出せなくても怒鳴ったりせず、「次に持ってくるように。」とだけ言われました。
親からすれば、「出された宿題は全部しなければならない」と思って「やらない=やる気がない。」と思い、私自身の焦りから「やる気がないなら塾を止めるように」と度々私の方が大声で怒っていました。
それでも娘は自分のスタイルを貫いていました。
私の中に、「受験生とはこういうもの。」という固定観念がありました。
「6年生の秋冬にもなったら自然と自ら勉強するようになる。毎日何時間もテレビを見るなんてありえない。朝に起きられるように自分で寝る時間を調整する等々。」
それによく耳にする「中学受験とは親の力。親が子どもに付きっきりで子どもと勉強する。親も子どもに教えられるように予習しておく。」
こんな言葉が、どれもうちの娘には当てはまらない事で、どんどん不安になりました。
親も一緒に頑張らなければならない。
何が出来るだろうか。
このような気持ちが焦りとなりイライラと娘に怒鳴ってしまう悪い状況でした。
しかし、思い出しました。
入江先生が6年生の初めの塾の保護者会で言って下さった言葉を。
「本人の目覚めを親は辛抱強く待って。すべて塾にまかせて。困ればS先生に連絡するように。」と。
それでS先生にいちいちどんなに小さな悩み・疑問であってもメールさせてもらいました。
メールでしたので気軽に聞くことが出来ましたし、気さくにすぐにお返事を返して下さり、1つ1つ不安を解消できました。
「親がすることは何ですか?」という質問に、「ただ娘を労い、おいしいお弁当を作るだけでいい。他に何もしなくて良い。」と言われ、「私もこの言葉を信じてみよう。」と、子どもの勉強にはいっさい手を出さないようになり、とても楽になりました。
先生と親との心のキョリの近さに驚き、ありがたかったです。
先生方は子どもがどのような状況であっても、それでも怒鳴ったりせず、愛ある対応をして下さりました。
お蔭で最後まで笑顔で、というより最後に近づくにつれ笑顔が増えて受験当日を迎えることができました。
試験当日のS先生の励ましでは、京女対策を受けていた皆が輪になり、1人1人先生の似顔絵付きのけしゴムとチョコとメッセージカード等頂きました。
そのけしゴムの絵に皆大笑いで、他塾の皆さんが静かに固い表情で入っていかれる中、入江組だけ大笑いしながら横一列に肩を並べて入って行く姿がとても印象的でした。
受験を終えて思った事。
それは親がしてはいけない事。
自分の思い込みや友人・兄弟と本人を比べてガミガミ言うこと。
一番大切なのは子どもを最後まで信じ抜いてあげること。
子どもは子どもなりにも本人のやり方、キャパシティーというものがあり、娘の場合は自分でやらなければまずい物とそうでない物とのさじ加減をしていた。という事だったんですね。
「受験への挑み方、やり方は子どもであれ、人それぞれである。」ということを強く感じました。
それから忘れてはいけないのが、塾での友達の存在。
皆一緒になって頑張って、ゴールを目指している感じが凄く良かったです。
お友達にも温かく見守られて本当に感謝しております。
一緒に頑張った仲間とまた中学で学べることを楽しみにしています。
「入江塾で良かったねぇ。」娘と何度も繰り返し、今でも毎日出る言葉です。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私が入江塾に入ったのは、4年生の夏休みからでした。
初めのうちは「こんな感じかな?」と思いながら宿題を面倒くさいと思ってしまい、提出したりしなかったりしていました。
友達と喋ったりするのが苦手だったけれど、5年生になってからは友達も出来始めて塾に行くのが楽しみになって来ました。
でも勉強はやったりやらなかったりでした。(やらない方が多かった…)
5年生後半から少しずつ駸々堂模試の偏差値が上がり始めた時は嬉しかったのですが、苦手な教科が目立ってきました。
特に算数がボロボロでした。
けれども、受験をやめたいという気持ちにはなりませんでした。そう思えたのは3つの理由があったからです。
1つ目は入江塾の雰囲気です。
先生達は個性的で面白かったです。
社会のKI先生・・勉強に関する余談がとても面白かったです。
理科のY先生・・優しくて怖くて面白い先生で、受験直前のコメントに勇気をもらいました。
国語のKO先生・・一人ひとりが解いた文章題に対しての解説が分かりやすかったです。
算数の入江先生・・入江先生が考え出した解き方があって凄いなぁ!と思いました。
そして2つ目は、友達と休憩時間に楽しく色んな話をしたり、「いっしょに受かろう!」と励まし合えたことです。
家では全くやる気が起こらなくても、塾に行くと友達と一緒に笑いながら勉強が出来ました。
3つ目は、個人指導や演習でS先生が、しっかり分かりやすく教えてくれたことです。
だから勉強嫌いにならなくて良かったです。
色んな場面で励ましの言葉をもらって勇気が出て頑張ることができました。
京女の合格発表で自分の番号を見つけた時は、飛び上がりました。
本当に嬉しかったです。
私は入江塾に通って本当に良かったなと思います。
友達や先生が居たから塾に行くことが楽しかったです。
塾での思い出は忘れません。
入江塾の先生方ありがとうございました。
地元の公立中学校の学習環境がよくないことから娘の受験を考えるようになり、4年生の夏に塾探しを始めました。
娘は幼い頃から人見知りで家族以外と話すことが苦手でマイペース…そうした娘の性格で受験が出来るのか?先生と信頼関係を築けるのか?と悩み思案していた頃、育星舎・入江塾のホームページを見つけ、「ここなら丁寧に見て下さるのではないだろうか」と直感的に感じたのを思い出します。
通塾し1年が経つ頃には、先生の話や友達の話を家で沢山するようになっていました。
環境が良く確実に先生や友達との距離が縮んでいっていることが分かり、安心して続けさせることができました。
受験に対しては、勉強づけの小学校生活は無意味という思いがあり、学校のバレーボールや陸上など6年の終わりまで続けて楽しみ、居残り遊びをもしていました。
家族で週末出掛けたり、今しか経験できないことを十分に体験しながら受験に向かえたと思います。
しかし、このまま過ごしていて本当に大丈夫なのか?と心配したこともありました。
気持ちの切り替えが出来ず楽な方に流れてしまう時も多々ありました。
「娘の受験に対する思いを親でありながら掴めない…」と相談した際は、親身になって聞いて下さり娘の心に色々とアタックして下さいました。
S先生やY先生の温かいご指導や叱咤激励で気持ちを切り替えながら前へ向かって進んでいくことが出来ました。
冬休みに入ってからは、弁当持参で一日中塾にお世話になる日も増え、疲れているにも関わらず塾のことを楽しんで話す姿に、娘を取り巻く仲間たちや先生方との関係が受験直前になってもいい雰囲気でありみんなで頑張っている様子が伝わってきました。
何より娘は本当によく頑張っていました。
受験当日は、味わったことのない緊張感で平常心を無くしている娘の姿に心配しましたが、S先生を見つけ先生から励ましの言葉を頂くと彼女の顔に笑みが見られました。(よかった…最後まで精神面を支えて頂きました。)
背中を押して頂き送り出され、京女対策で一緒に頑張ってきた仲間たちと並んで一緒に笑いながら試験場へと向かって行きました。
合格発表の日、自分の番号を見つけた時の娘の顔が今でも忘れられません!!
入江塾の先生方は一人ひとりを大事に見て下さり、子の心の支えとなり熱心に指導をして下さいました。
勉強は勿論、多くのものを親子共々学ばせて頂き、10~12歳の多感な時期に素敵な恩師の方々に出会い送った日々は、娘と私の宝物です☆お世話になり本当にありがとうございました。
私は5年の12月に入江塾に来ました。
前の塾とは全然違って自分から進んでやる感じでした。
自分で時間を選んでやりました。
始めは全然やり方が分からなかったけど、先生が優しく教えてくれたので進んで出来ました。
自分がしたいことをしながら塾に行けるのでとても便利だと思いました。
分からない所は先生がしっかり指導して下さって、とても分かりやすかったです。
先生と一緒に勉強をしている感じで、とても楽しい塾でした。
塾の最後の日は、みんなで泣きました。
明日からもうこの塾に来ないと思うと、とても悲しくなりました。
入江塾は、とても楽しい分かりやすい塾です。
上の子と同じく大手の塾に通っていましたが、得意科目不得意科目に関係なく偏差値だけのクラス分け、大量の宿題、講師の質に疑問を抱くようになり、5年生の12月に転塾してきました。
入江塾に通うようになり、宿題がいい加減であったり未提出だったりと本当に不安に思う状況になった時、先生から「塾に通う回数を増やしてみては」とアドバイスを受け、先生方を信頼し預けることにしました。
家庭学習は全くなく、塾で勉強するといった形式を取るようになりました。
そうしますと、あれだけいい加減だった子が自分で勉強量を管理し、きちっとする事が身に付いたようで、それからは志望校合格に向けて精進しておりました。
中学受験は本人の希望でスタートしたのですが、思春期もあり、親に反抗的で勉強の事について全く親に関わらせませんでした。
親としては先生方を信頼しお預けするしかなく、体調管理に気をつけていただけで、一切を先生にお任せしておりました。
入塾の際にお約束した三位一体の教育方針に則り、それぞれがそれぞれの役割を果たし合格をつかみ取ったのだと感じています。
本人もよく頑張りましたが、一重に先生方の熱心なご指導のお陰だと心より感謝申し上げます。
とても満足のいく受験を体験させて頂きました。
先生方には大変お世話になり、ありがとうございました。
京都女子中学校の受験指導行います
私は、新3年生になってから入江塾に入りました。
その頃は週に1回だけの授業だったので、マイペースな私でも授業についていくことができたし、分からないことがあってもU先生やTOM先生、TOK先生に丁寧に教えてもらうことができました。
4年生になって、本格的な受験に対する授業が始まりました。
その頃から私は、誘惑に負けてしまい、友達との遊びに走ってしまいました。
その状態が5年生の終わりまで続きました。(だから、新5年・6年の皆さん。まだ可能性はある!)
そんな私を本気にさせてくれたのがS先生でした。
ある日、私は面談室に呼ばれました。
すると、初めに「あんた、このままやったら行きたい中学行けへんで。」と言われました。
すごくショックだったけれど、今ふり返ると、あの一言があって本当に良かったと思っています。
6年生の春休みに入ってから、少しずつ勉強に対する気持ちが変わっていきました。
でも、S先生には「まだまだ足りてない。」と言われました。
そんな時もあの一言を思い出して頑張りました。
いろいろな中学校のオープンキャンパスへ行き、第一志望を京都女子中学校に決めました。
入江塾でも、『京女対策授業』が始まりました。
しかし、その時点では成績が足りておらず、授業を受けることは許されませんでした。
でも、7月の駸々堂模試で奇跡的にそのラインを超えることが出来ました。
そこで、同じ目標を持った友達と出会いました。
私は、「受験勉強は1人で孤独にやる」というイメージがあったのですが、「皆で一緒に目標を達成する」という方が楽しく勉強できるということを知りました。
11月に入り、私は算数に加えて、理科の個人指導を始めました。
先生はY先生だったので、楽しく分かりやすい授業となりました。
しかし私は、4・5年のときに何もやってこなかったので、「ミツバチは肺呼吸で、アシナガバチはエラ呼吸。」などと言って、何回も先生を泣かせてしまいました(笑)。
また、「死んでもおぼえろ!」と言われることがよくありました。
冬期講習に入り、皆の顔も一気に真剣になりました。
私は、年末年始も1日も休まずに毎日塾に通い続けました。
受験前日、ホワイトボードに落書きをしたり、皆で記念撮影をしたりしました。
でも、これで一緒に戦ってきた友達ともお別れだと思うと涙が出てきました。
そして皆で、泣きながらお別れをしました。
そのとき、入江塾は「勉強の教育」だけでなく「人間の教育」もしてくれる、最高の塾だと思いました。
いよいよ受験当日。
門の前にはS先生が来て下さりました。
応援グッズとしてもらったのは、「いつもは鬼なのに美しく優しそうに見えるS先生と、うそのはずなのに本当に18歳に見えるかわいいY先生と、小さく若くなった入江先生」の似顔絵入り消しゴムと、おかし、カイロ。そして1番うれしかったのは、先生方からの応援メッセージでした。
「算数では22/7(注:円周率のこと)、国語では読め。力を出し切ってこい!」という強い言葉に背中を押され、4人でいっしょに教室へ向かいました。
休憩時間になると、そのメッセージカードを読み、安心することが出来ました。
合格発表の日になりました。
その日、私は同女の入試を受けていたので、結果を見るのが13:00になりました。
車の中、スマホで合格発表のらんをクリックしました。
1101、1105…ときて、1108がありました。
とてもうれしくて車の中で飛びはねて喜びました。
すぐに、S先生に連絡をしました。
するとS先生は、「やろ!でも、よう頑張ったなぁ。良い意味で期待を裏切られたわー!しかも、京女メンバー全員合格やで!」と言われました。
いっしょに頑張ってきた友達も合格していたと聞いて、もっと高く飛びはねました。本当に良かったです。
最後になりましたが、私が合格できたのは、支えて下さった先生方、友達、家族のおかげです。
特に先生方には、本当にお世話になりました。
生徒1人ひとりに、一生懸命に教えていただき、ありがとうございました。
この大切な思い出を、死んでも忘れません!!!
「もしかしたら中学受験するかもなぁ…」。
そのような軽い考えで、小学3年の2月に入塾しました。
「受験を意識しないといけない時期になれば、きっと先生が導いてくれるだろう」。
そのような受け身の考えだったので、受験生になる新6年生の2月に入江先生から「先生・生徒・保護者が三位一体となり、信頼関係のもとに受験に臨む!」と話があった時も、「先生を信頼してすべて任せているし大丈夫」と深く考えていませんでした。
それは単にすべてを先生と娘に押しつけているだけの無責任な親の姿であり、受験生の親として“失格”だということにまったく気がついていませんでした…。
そのようないい加減な親の姿は、娘の学習にも表れていました。
受験生としてスタートを切った春休みに入る直前、まだ娘は学校の友達と一緒に地元の市立中学校に進むことを希望していました。
そこでS先生に面談をお願いし、受験に向けてまず親が腹をくくる覚悟をしました。
決め手となったのは、今まで甘やかして育ててきた娘に、小学校の間に「これだけは頑張った!」と胸を張って言えることを作ること。
その努力を通してひとりの人間として成長し、「やればできる!」という自信をつけてほしいとの願いでした。
そして娘と時間をかけて、自分の将来のこと、受験に対する娘の考え、親の考えなどをじっくりと話し合いました。
3月以降、毎月のようにS先生、Y先生に面談をしていただき、時にはメールで娘の学習状況や親としてあるべき姿について指導していただいたことに、心から感謝しています。
春休みに入ってから、少しずつ娘の勉強に対する姿勢が変わっていきました。
オープンキャンパスや学校説明会に行ったことで娘も受験に向けて実感が湧き、ますます勉強に力が入ってきました。
娘や親としては十分頑張っていると思っていたのですが、それでもS先生、Y先生からは「まだまだできる。もっと集中して!」と叱咤激励していただき、娘はがっかりしながらも「S先生、Y先生から信頼されるようになりたい!」と頑張り続けました。
娘にとっておふたりは、まさに人生の師として憧れになっていました。
大きな転機となったのは7月の駸々堂模試です。
ちょうどその頃、紆余曲折の後、第一志望は少し背伸びして『京都女子中学校』に決めました。
入江塾でも『京女対策授業』が始まりましたが、成績が足りていない娘は受講することが許されませんでした。
それでも、7月の駸々堂の結果が良かったらという条件付きで夏期講習からの受講許可をいただき、奇跡的に成績をクリア!そこで仲間になった“京女4人娘”との出会いが、娘に大きな力を与えてくれました。
それまでも入江塾へ行くことを楽しみにしていたのですが、特に同じ目標を持つ“仲間”ができ、“チーム”で一緒に受験に向かうことで大きな刺激をもらい、仲間のみんなが娘の持っている能力以上の力を引き出してくれました。
夏休みは自ら『勉強200時間!』のチャレンジ目標を立て、それを楽しみながらクリア!秋以降も勉強を苦にすることなく、年末年始も1日も休まず、まるでUSJに遊びに行くかのように毎日の勉強を仲間と楽しみながら受験を迎えました。
受験日直前には、これまで経験したことがない緊張感から少し弱気になっていましたが、先生方にサポートしていただき、プレッシャーを乗り越えて“第一志望合格”をつかみ取りました。
娘は受験勉強を通じて、本当に大きく成長したと感じています。
また「子どもの可能性は無限大」と言いますが、親が子を信じることの大切さをあらためて実感し、私も学ばせていただきました。
それは入江塾のポリシーである三位一体教育、いや一緒に頑張る仲間を入れると“四位一体教育”でしょうか(笑)。
単に第一志望に合格しただけでなく、それ以上に高い目標に向けて努力することの大切さを学び、良い師、良い仲間に出会い、恵まれた環境の中で、大きく成長させていただいたことに感謝しています。
この経験を糧にして、さらに中学では“京女4人娘”と共に、新しいことに果敢にチャレンジし夢の実現に向けて頑張ってほしいと願っています。
先生方には親身になってご指導いただき、本当にありがとうございました。
また、一緒に受験を“楽しんで”くれた仲間のみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!
私は四年生の一番最初から入江塾に入りました。
四年生、五年生の頃は授業と、週一回の演習だけなのに、宿題も答えをみたり、解説を写したりばかりしていました。
そんな私が京都女子中学校に行きたいと思ったのは五年生の時です。
いろいろな学校のオープンキャンパスや学校説明会に行きました。
京都女子中学校の学校説明会に行き、授業体験をした時、かわいい制服で図書館にはたくさんの本がある、ここに行きたい。そう思いました。
六年生になり、S先生に個人指導をしてもらい、京女対策授業が始まると、自分の算数のできなさにびっくりしました。
しかし、天使のようなS先生や、女神のようなY先生(笑)に何度も分かりやすく解説してもらいました。
そのおかげで京都女子中学校に合格できたのだと思います。
そして受験当日・・・S先生に応援に来てもらい、応援グッズとメッセージをもらい、緊張もほぐれていきました。
国語、算数、理科、社会、すべての教科において緊張することはありませんでした。
しかし、試験が終わってから、落ちているかもしれない、という不安でいっぱいになりました。
合格発表の日・・・自分の番号がなかったらどうしよう、という気持ちで結果を見ました。
「1009番あった!」合格したことが分かると、すぐにS先生に連絡しました。
すると、「よかったなー、京女対策全員合格してるでー」と言われ、本当に嬉しかったです。
個人指導や京女対策をしてくれたS先生、理科をつきっきりで教えてくれたY先生、入江塾の先生方、本当にありがとうございました。
先生たちに教えてもらったことは一生忘れません。
入江塾の先生方、3年間娘を時に厳しく、愛情深く指導していただき本当にありがとうございました。
お陰様で無事第一志望の京都女子中学に合格することができました。
思い返せばいつまでたってもやんちゃで幼い娘で落ち着いて勉強することができず、塾に通ってはいるものの本当に受験なんてできるんだろうかとずっと不安でいっぱいでした。
先生に相談するといつも「6年生になるまでに少しずつ少しずつ絞めていくから大丈夫。そんな早くに追い込んだって最後まで持たへんよお母さん。」と言ってくださり、ピアノやスイミングなどの習い事について相談すると「そうですね~、志望校が難関校で合格にひと踏ん張りしないといけない場合なんかには2、3か月休んでもらうことになるかもしれませんねぇ。」と言われ、そんなんで大丈夫か?!と反対に不安になるほど先生方はおおらかでどっしりと構えておられました。
ちなみに娘は1か月休んだだけでした。
6年生最後の1か月程は先生と相談し、娘の希望で毎日塾に通いました。
学校の話を全くしない娘ですが塾の先生や友達の話はきりがなく、私が半ばあきれて「塾の何がそんなに楽しいの?」とよく言いました。
入江塾はある意味変わった塾です。
きっと普通の塾は難関校に何人入れたかが全てなんだと思います。
しかし入江塾は、出願が近づいてからⅡ類Ⅲ類の併願で願書を出したいと言い出した娘に、「無理して入ったら勉強についていくのが大変で学校生活が楽しめへんからやめとき。Ⅱ類に合格してから勉強頑張ってⅢ類に上がればいい。」と話してくださいました。
専願で受けてもⅡ類に合格しやすいわけでなく、併願でⅢ類に何とか引っかかれば“京女Ⅲ類合格”という入江塾の功績にもなります。
なのに娘の事を思いⅡ類専願で受けさせる入江塾はある意味塾としてどうか…。
しかし、子を持つ親としてはそこまで考えてくださる先生方に感謝してもしきれないくらい感謝しています。
入江塾の先生方、娘を導いていただき本当にありがとうございました。
そして我が家の残りの二人の弟もどうぞよろしくお願いいたします。
私は4年生の3月に入江塾に入りました。
入ったばかりのときは授業が全然分かりませんでした。
でもすぐに春期講習が始まり、春期講習のおかげでだいぶ授業の内容も理解できるようになりました。
6年生になり、北野教室へ通うようになると、友達がたくさんでき、遠い教室へ通うのもそんなに嫌ではありませんでした。
また、塾へ行くために友達と電車に乗るのも楽しかったです。
私の志望校は対策授業があり、その対策授業は4人という少人数でS先生が分かりやすく教えてくださったのでとても楽しかったです。
入試当日、S先生に応援グッズをもらって少し緊張がほぐれました。
結果は合格。
とてもうれしかったです。
私を合格に導いてくださった入江塾の先生方、本当に今までありがとうございました。
娘は、下校してきて、20分間の休憩、おやつを食べて、少しテレビを観て、「さぁ入江塾行くぞ!」。
たまに、最寄り駅まで娘と一緒に行ったり、塾から帰宅が22時すぎになるときは、最寄り駅まで迎えに行ったり。
15時から塾のお弁当をこしらえる日もあったり。
私の生活の一部になってた事柄が、さぁーと消えてなくなってしまいました。
そうなんです。
おかげさまで、娘が憧れていた中学校に入学することが決まり、安堵感幸福感で満たされているのです。
中学校では、どんな生活が待ってるのかな?どんな人と出会えるのかな?部活は何しよう?娘の頭の中は、ドキドキワクワクでいっぱいです。
入江塾との運命の出会いと言いますと、もともと、中学受験に消極的であった私。
ところが、主人の強い勧めから我が子を塾に通わせる方向で、塾探しをし始めることになってしまいました。
我が子が小学校4年生の終わりのころです。
入江塾の教室は、立地条件がよく(自宅から最も近い)塾の看板がインパクトがあり、気になっていました。
私は、(決定的な理由はありませんが)実は大手の塾にはなんとなく抵抗感を持っていました。
通りがかりの折、入江塾のパンフレットをもらい拝読いたしました。
その中で、私のハートを掴んだ強い文言があります。
特色5番目の「競争原理を利用しません」という箇所です。
そして4番目の「習い事クラブ活動なども認めます」も我が子にはぴったりだと思いました。
そして偶然にも塾長入江先生と直接お話できる機会にめぐまれました。
私は受験勉強は苦悩のかたまりだろうという先入観を思っておりましたので、受験させることへの不安を率直に入江先生に申し上げましたところ、先生はきっぱり以下のようにおっしゃいました。
「入江塾は、楽しく勉強できるところです。6年生からは北野教室に来ていただくことになりますが、送迎もありますので案外時間はかからないようです。」
私には、希望が見えたのでした。
このようにして入江塾と娘とのおよそ2年間の貴重な貴重な生活がスタートしました。
最初は宿題も多く感じ、本人も慣れるまでは大変だったかもしれません。
算数に関しては私と一緒に娘は勉強しましたが、算数の宿題の進め方が原因で、親子で喧嘩するようになってしまい、最初、わたしも精神的にとてもしんどかったです。
S先生に今後どうしたらいいか相談し、私の気持ちがとても楽になりました。
そして、塾に全てをお任せすることにし、私は娘に口出しをしないように努めました。
このころから、私は母親としての役割を自覚するようになりました。
余計な口出しをせず娘の徹底して体調管理に努めることです。
出来る限りおいしいお弁当、おいしい料理を作ることもこれに含まれます。
さて、五年生のときに奮わなかった五木模試結果ですが、六年生になると偏差値が上がってきてた上、一定の値を保つようになってきました。
五年生からは、陸上部に所属し、部活と塾との両立を続け、受験前までこの体制を続けられたのは、やはりこれも素晴らしい入江塾の器が大きいことに間違はありません。
そして六年生からは、ますます自信を持って何事にも取り組み、高い目標に向かって日々挑戦する長女の姿がいつも私に勇気をくれました。
塾が楽しくて仕方なかった理由の一つに、良き仲間との出会いがあげられます。
ユニークで個性的なお友達と共に学び、互いに励まし合えたこと、素晴らしい先生方から勉強をおそわったことは、何ものにも変えがたい大きな喜びです。
実は、遠方ということもあり、六年生に上がるとき、一度、転塾を考えたのですが、「そんなん今さら塾変わるのもったいないし、嫌だ」ときっぱり長女。
私は、ここで、「本気で入江塾で、やるんだな」確信しました。
今 振り返ってみて、諦めの言葉や弱音は、一度も口にしなかった娘。
私が気がついてないうちに、精神も強くなってきてたのです。
入江塾に出会えたこと、合格できたことを誇りに思います。
そして、ご尊敬申し上げる多くの先生方、感謝してもしつくせませんが、長女の性格を理解していただいた上、きめ細やかなご指導たまわりましたこと、そして合格に導いてくださったこと、この場をかりてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
私は入江塾に2年通い、無事に第一志望である京都女子中学に合格することができました。
中学受験の塾では毎日夜遅くまで厳しい指導を受け、それからまた寝る時間も惜しみ復習するというイメージでそれを2年間も続けられる自信は正直全然ありませんでした。
が、一応できるところまでやってみようという感じでやってみると、5年のときは少人数で授業中に分からないことがあったら気軽に質問できたし、6年になってからは演習も増え、個人指導も始め、授業でわからなかったことなどを聞けて良かったと思います。
そして北野で塾友も増えてますます塾に行くのが楽しく、イメージしていた中学受験とはまるでかけ離れていました。
しかも塾友はみんな個性的で休憩時間はずっと笑っていた気がします。
そして授業でのKI先生、Y先生、入江先生、KO先生、T先生、A先生、I先生、SI先生の授業もそれぞれ分かりやすく今でも感謝しています。
でも算数はかなり難しかったです・・・。
そして何よりも個人指導や京女対策でお世話になった<天使>のようなS先生(笑)の解説はとても分かりやすく、京女合格の道につながったと思います。
受験当日は自分でもびっくりするくらい緊張せず、最も心配していた国語の長文が意外と短文で理科の複雑な水溶液などの計算も出ず、自信満々で試験を無事に終えました。
試験当日にS先生にもらった入江塾の消しゴムは、塾で使っていた筆箱に入れてあります。
たまに取り出して一人で笑っています。
色々と入江塾にお世話になりました。
授業、演習、個人指導、京女対策でお世話になった先生方、本当に2年間ありがとうございました。
5年の春に、初めて参加したオープンスクールで親子共に「ここがいい!」と第一志望に決めた京都女子中学に無事合格しました。
振り返ってみて、合格したことに加え、最後まで小学生らしい生活を続けられたことに、改めて入江塾に感謝しています。
「習い事は本人の意思に任せたらいい」という入江先生の言葉を信じ、学校の鼓笛隊を辞めさせることはしませんでした。
体が丈夫な方ではなかったので、睡眠時間も8~9時間とり、これは褒められたことではありませんが、テレビ番組も見ていました。
知人や親戚から聞いていた中学受験は、毎晩深夜まで勉強し、もっと悲壮なものだったので、我が子の様子を見ながら、「こんなんでいいのだろうか・・・」と不安もありました。
面談でその不安を相談すると、やはり勉強量の少なさを指摘されつつも、「ただ、中学入学はゴールじゃなくてそこからが始まり。燃え尽きてしまうような勉強はさせたくない」というお言葉があり、近所の大手塾ではなく、遠方の入江塾を選んで正解だったと思いました。
受験間近になると毎日塾通いでしたが、本人は「学校より楽しい」と足取りも軽く、特にS先生を慕って個人指導や京女対策授業はとても楽しみにしていました。
入試前日は、塾友との別れが辛かったらしく、家では寂しさに浸っていました。
そして受験当日、試験会場に塾友と集合し、S先生から激励を受け、はしゃぎながら教室へ。
後から聞くと、「緊張せーへんかった。初めての過去問解いてるみたいやった。」とのこと。
これまで成績は決して合格安全圏ではありませんでしたが、本番で十二分に力を出せたようです。
合格に導いていただけたことと、受験生活がただ苦しいだけではなく、楽しい思い出にもなったことに、入江塾の諸先生方に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
私は4年生の夏ごろ、入江塾に通いはじめました。
入江塾に入る前大手の塾に通っていたのですが、たくさんの生徒や建物になじめず、授業にもあまりついていけなかったのでやめました。
通うのがとてもいやだったのです。
そんなある日、仲の良い友達にさそわれて、この入江塾に入りました。
生徒の人数も少なかったし教室が良い雰囲気だったので、ここならちゃんと通えるかも、と思ったのです。
先生も優しかったし、勉強勉強してませんでしたから。
実際、6年生になるまで、私は受験のことなんてあまり考えず、のんびりとしていました。
演習に行くのも1日だけ。
しかし6年生になると、演習に行く日も増やしたり、毎月五ツ木駸々堂のテストを受けたりと本格的な勉強がスタートしました。
算数の個人指導もS先生にしてもらいました。
でも・・・私が受験に向けて本気になりだしたのは夏休み明けから。
しかも京女対策で京女の過去問の算数をやったときの結果があまりにも悪く・・・落ちる予感がしたので、そこから算数の特訓を家でやり始めました。
ここからの「追い込み」がすごく役に立った気がします。
それに私はあせると点数をけっこう落としてしまうので、バタバタしたりあせらない練習も過去問をやりながらしました(S先生どうでしたか?)。
入試直前の日も演習に通い、勉強しました。
入試当日、校内に入ると不安でたまらなくなりましたが、先生のメッセージカードや先生の似顔絵つきの消しゴムを見ていると少しずつ安心してゆき、自信が持てました。
そして第1志望の京女合格!!私は入江塾の先生のおかげだと思っています。本当にうれしくてうれしくて合格できたことがまだ信じられません。
優しい優しいS先生 Y先生(笑)、その他の先生方、合格をかなえてくれて本当にありがとうございました!!入江塾最高!!
私が入江塾に入塾したのは5年生の冬です。
以前は大手の塾に通っていました。
宿題が多く授業にもついていけないし、わからないところはわからないまま、放りっぱなしでした。
それが一番多かった算数は全くできませんでした。
それでも入江塾の先生方は教えて下さいました。
でも私は算数が苦手というよりも嫌いと思っていたので、自分からはやろうとしていませんでした。
いつまでたってもできないので個人指導をして頂くことになりました。
さらに割と得意だった理科も、計算が必要な問題は苦手だったので個人指導をして頂きました。
それでも算数の偏差値は50にいくかいかないかぐらいでしたが、理科は60を超えることは少なくありませんでした。
自分でもわかってはいたのですが、S先生に「計算ミス」が多いと何度も言われました。
間違っていた問題のほとんどが計算ミスによって間違っていたので自分で気をつけるようにしていきました。
五ツ木駸々堂のテストが返ってきたある日、算数の計算問題が「なんと全部あっているではないか!」と喜んでいたところ、S先生に「当たり前」と言われました…。
その算数の点数は結構良かったので嬉しかったです。
それを機に、算数の力は少し伸びていきました。理科の方も、計算が多い分野ができてきました。
その理由は、個人指導の先生がS先生とY先生という最強(最恐)の組み合わせだったし、やっぱり一番は「志望校に行きたい」という思いが強いからでした。
いろいろと厳しい注意(例えば“読め!!”とか)も受けましたが第一志望校の学校に行けたことを本当にうれしく思っています。
S先生、Y先生、その他の先生方、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
京都女子中学校の受験指導行います