今までありがとうございました。
授業中にふざけて怒られたりもしたけれど、最後まで諦めずに勉強に取り組み、合格できたので良かったです。
合格の発表を見た時はすごく嬉しかったです。
僕にとって入江塾はとても楽しかったし、安心できる場所でした。
入江塾に通って勉強が出来て本当に良かったです。
お世話になった先生方、ありがとうございました。
八木先生、ありがとうございました。
5年生から入塾し、2年間お世話になりました。
息子は集中力が続かず、勉強も苦手で宿題の途中でも隙あらばSwitchをしたり、YouTubeを見たりしていました。
入塾したものの、この子は本当に中学受験に挑めるのかな…とずっと心配でした。
6年生になっても家では集中して机に向かう姿はほとんど見られず、これが受験生の姿⁇と情けなくなり何度も注意し、何度も言い合いになりました。
「そんなにやる気がないなら塾も中学受験ももうやめなさい‼」と叱っても、息子は入江塾のことは好きで「行きたくない」や「やめたい」とは最後まで一度も言いませんでした。
先生にご相談して演習時間を増やし、個別指導もして頂くようになると、やる気も出てきたようで、プレテスト練習や過去問の点数も少しずつ上がってきて、良い点数がとれた時は帰ってきて報告してくれるようになりました。
本番まであと少しとなった年末、塾での休憩時間に騒いで転んでしまい、まさかの利き手の手首を骨折…。
佐藤先生にも前代未聞です‼と言われました。
もう受験は無理かなと諦めかけましたが、手術を受け、反対の手で字を書く練習をし、残り1週間は休まず塾へ通い、最後の追い込みをして頂きました。
佐藤先生が連絡をして下さったので、当日は受験校の先生方にもご配慮を頂きながら試験を受け、そして無事に合格する事ができました。
中学受験を乗り越えられたのは、入江塾の先生方のおかげです。
入江塾は子ども一人一人に寄り添い、その子に合わせた内容とペースでご指導して頂ける塾だと思います。
また毎月の「講師からのひとこと」では塾での子どもの様子や学習の状況も伝えて下さり、困った時や迷った時は電話やメールでもすぐに対応して頂けたので、親としては安心できたし、すごくありがたかったです。
手のかかる我が子を最後まで見放さずに励まし、支えて下さった八木先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
入江塾の先生方、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
3年生の10月からマナ英才学院に通い始め、翌年の2月に入江塾に入りました。
4・5年生の時は受験をするか決めていなかったので、演習には行かず家で宿題をしていました。
そして5年生になって模試が始まりました。
最初は算数が良かったのに、学年が上がるにつれ悪くなっていき、理科も思うように点数が伸びなくなってしまいました。
僕は小学2年生から野球も続けていて、6年生の秋ごろまで志望校が決まりませんでした。
それでも野球も塾も、両方ともどうしても続けたく、難関算数や国語の個人指導を続け、六年生では演習も増やしたこともあり、徐々に偏差値も上がってきました。
オープンキャンパスで実際に学校を見て、最終的に京都産業大附属中学と東山中学に決めました。
「よめ!」をはじめ、佐藤先生からの数々のお言葉、個人指導の富田先生からは、いつも「ミスをなくして15点アップ」「あわてないで!」言われ続けていました。
本番では、それらの言葉を思い出し、全力で試験に臨んだ結果、京都産業大附属中学校の特待生Bと東山中学のエースに合格できました。
嬉しかったです!関わって下さった全ての先生のおかげです。
野球も12月の卒団まで続けることができたし、塾での時間がとにかく僕は楽しかったです。
長い間、ありがとうございました。
入江塾の先生方のおかげで無事に中学受験を終えることができました。ありがとうございました。
入塾したきっかけは同じマンションの同級生が先に始めていて、紹介していただいたことで、当時は本人も親も中学入試は考えていませんでした。
ただ、入江塾の友達や先生方と一緒に勉強していく中で、本人にもそういう意識が高まったようで、自分から「中学受験したい」と言い出しました。
私自身は中学受験を経験していなかったので正直迷いましたが、本人の意思と塾の面談でもいろいろと御相談させていただいた結果、6年生になる直前に受験を目指すことにしました。
そのような経過もあり、また野球も続けていたことから、志望校をなかなか決めることができず、結局、6年生の秋のオープンキャンパスやプレテストを経て、ようやく11月ごろに決定しました。
今となってはもう少し早いうちに決めておいたほうが、本人もはっきりと目標を意識して取り組むことができ、塾でも対策の時間を十分とれたのではと反省しています。
しかし、志望校を決めてからは演習も増やしほぼ毎日塾に通うようになり、年末年始も休まず頑張っていました。
年末から体調を崩してしまうというハプニングも起きましたが、何とか本番まで走りきることができました。
過去の合格体験記でも書かれているので、きっと入江塾の特長なのだと思うのですが、本当にこの3年間は受験勉強がいやになることがなく、楽しそうに塾に通っていました。
気の合う友達もたくさんでき、切磋琢磨できたことも良かったのかもしれません。
野球も最後まで続けることができ、本当に欲張りな受験生活だったと思います。
言うまでもなく中学受験はゴールではなく、ここからがスタートです。
ここでの素晴らしい経験を活かして、これからの学生生活も頑張ってくれればと思っています。
入江塾の先生方、そして一緒に勉強した友達の皆さんとその保護者の皆様、本当にありがとうございました。
最初に、ここまで勉強に付き合い教えてもらった先生方、本当にありがとうございます。
志望した学校に無事に合格できました。
僕は5年生の春頃から桂教室に通い始めました。
最初はあまり友達もいませんでしたが、6年生になり北野教室で勉強するようになったら徐々に友達も増えて楽しくなりました。
だけど、国語と算数の個人授業も増え5年生に比べたらより一層忙しくなりました。
個人授業では全体で受ける授業とは違ってその一人一人に合わせた勉強を教えてくれました。
佐藤先生や稲次先生などの先生方に教えてもらったから合格できたんだなと思っています。
楽しい思い出は、元旦に皆で北野天満宮に合格祈願をしに行ったことです。
また、最後の授業の時にはホワイトボードに皆で寄せ書きをして写真も撮りました。
塾の友達は皆仲がよかったので最後かと思うと少し寂しかったです。
僕もだけど、皆合格できるといいなと思った最後でした。
受験当日は人が多くて心臓がバクバクして「あ、もう終わった怖いよ~」と呟きながら顔を青くして教室に入りました。
でも、今まで頑張ったことを思い出しながら試験を受けました。
合格発表の時、合格しているのを見てすごく嬉しいのと同時に、塾で何度もした過去問テストの時のように自分を信じていつも通りの考えで試験に臨んでよかったなと思いました。
本当に志望校に合格できてよかったです!
僕を合格へ導いてくれた先生方、本当に感謝しています。
これから中学校に行ったら小学校の時よりもっと勉強も大変になるだろうけど楽しみながら頑張りたいと思います。
息子が入江塾に通い始めたのは5年生になった頃でした。
その前は大手S塾に通っていましたがなかなか成績も伸びず、また宿題が大嫌いな息子はどんどん宿題が溜まっていき追い詰められていきました。
S塾の先生も熱心な方がおられ声をかけてもらっていましたが、息子にはそれも重荷になってしまったようで、ある日とうとう玄関から一歩も進めなくなり泣きながら「もう塾には行きたくないんだよ」と、話してきました。
私はこのままでは潰れてしまうと思い、そのまま息子の手を掴んでS塾に行きその日の内に退塾してきました。
しかし、息子がどうしても地元中学には行きたくないと言う思いもあり、一から調べ直しなんとか息子にあった塾はないかと探していた所、入江塾に辿り着きました。
お話しを聞いて頂いて、息子と塾に足を運んでから佐藤先生に一緒に頑張ろうと言われもう一度塾に通うことにしました。
それからは、無理な通塾はやめて息子のペースで進めることができました。
ただ、塾にも慣れ呑気に構えて苦手な宿題も度々提出しなかったりと、また駸々堂テストも結果は散々なままなのに、そのくせ高い目標を口にする息子。
5年生の冬にとうとう、優しかった佐藤先生にも現実を見なさいとハッキリ言われる始末。
その時、息子に今どう言う状況か親ではなく息子自身にしっかり向き合って、また嘘もオブラートに包むこともなく、「このままではどこも受からない!」と、言ってもらえたので息子自身も地に足をつけられたと思います。
前の塾ではいつも、大丈夫、大丈夫と言われ私自身も逆に不安に思っていましたが、現実を知ると良くも悪くも進む道が見え不安がなくなりました。
それからは本人の意思もさらに固まり、6年生からの勉強方法も佐藤先生と相談して進めていきました。
宿題が家ではなかなか出来ない分演習を増やし、個人授業では集中力が続かない息子にあった時間配分をしてもらったり、家や学校の様子までも気にかけてもらったりと親の私まで助けてもらいました。
途中、勉強が嫌になってグチを言っても何故か塾だけは絶対に行くと言っては通ってました。
多分、塾の友達にも恵まれて塾に通うのが楽しかったんだと思います。
すると、少しずつ成績も上がり始め駸々堂テストでも確実に結果が出てきて息子自身も受験に向けてさらに頑張るようになりました。
この時はすでに夏休みを過ぎた頃でしたが、受験校も息子と色々見て自分に合った学校選びをすることもできました。
受験日には稲次先生が駆けつけてくれました。
どこの学校にも大手塾の大きな応援と人数にも圧倒され少し緊張しながら試験に向かった息子。
結果は全て合格できました!
第一志望の他、少し無理かなって思う学校も受かっていて日頃から自分に自信がない息子も頑張れば出来る!と言う自信が付いたと思います。
進学する学校も自分で決めしっかりと父親にも話していました。
中学受験、決めてから色々ありましたが息子にはこの経験が過程が良かった思います。
とくに心の成長が見えたように感じます。
入江塾に通えて本当に良かったです!
先生方、最後まで見捨てずご指導して頂き本当に有り難うございました。
私は京都産業大学附属中学校に合格しました。
合格できたのは両親・塾の先生のおかげだと思います。
私は一度、京都産業大学附属中学校の受験に反対されていました。
私の学力では難しいし、たくさん勉強させられるからです。
しかし私の母は、その中学に行かせたいと頼んでくれました。
そして私は毎日、計算をしたり暗記もたくさんしました。
塾ではたくさん過去問をといて、1点でも多く点がとれるようにがんばりました。
そして本番。
ものすごく不安でした。
応援の先生に「がんばれ。」と言ってもらい、応援グッズには先生からのメッセージがあり、自信をもつことができました。
A1日程のあとはただ合格を祈るだけでした。
そして合格したとわかったとき、ものすごくうれしかったです。
応援してくれた塾の先生、お父さんとお母さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
先生は、「入ってからが大変」と言っておられました。
入ってから、ついていけるようにがんばります。
12月の上旬まで悩んでいた受験でした。
受験すると決めた後も、受験校を悩み、結局、「彼女には厳しい(きっぱり)」と言われた学校を受験しました。
現実をかえりみず、この学校を受験しようと思った理由は、ためしに過去問をやらせてみたら意外と解けたこと、これまで言い続けてもなかなか集中しない彼女の偏差値判定であれば、本気にさえなれば必ず結果がでるはずと思った親心、そして、面談に同席して、自分の厳しい状況も、先生たちがどう考えておられるかも理解したうえでチャレンジしたい、がんばる、と言う彼女を信じようと思ったこと、これらの理由から、他はどこも受けず、地域の学校へ行くことを覚悟して「望みがないこともないだろう」に賭けることにしました。
こんな土壇場に方針を変更したことで、先生方にとても申し訳ない気持ちでいたので、合格できて本当にほっとしました。
安堵した分、言いたいことがいっぱいでてきて、ねぎらいもそこそこに、これから本気で勉強をがんばろうといきなり諭していたのですが、夕方、センター受験から戻ってきた兄が「よかったなあ、やったなあ」と心からねぎらっているのをみて、そうだ、よくがんばったなあ、とやっと思えた自分に気づきました。
冬休みからの毎日は休みなく演習に参加しました。
塾の帰りの車の中で、母の話にいつも耳ふさいでいた彼女が、あきらめずにがんばってこれたのは、彼女らしい受験を最後まで支えてくださった先生方と、目標をもってがんばるお友達と過ごした濃い時間だと感じています。
子供に寄り添い、子供を真ん中に考えてくださっている入江塾には兄も妹も、中学受験を支えていただきました。
本当にありがとうございました。
職場の同僚から習いことをしていても通える進学塾があると紹介を受け、当時ミニバスのクラブ活動をしていた娘が入江塾に入塾させていただいたのは小学4年生のときでした。
所属するミニバスは毎週水曜日と週末土日が練習日で、月に数回の遠征、泊まりの遠征もありとても精力的に活動しております。
バスケ漬けの生活を送っていた娘にとって塾に通うというのは土日休みというのが絶対条件でした。
早速子供を連れて実際の授業の様子を見学させていただくことにしました。
小学生にしては授業のスピードが速いように感じましたが、生徒さんはみな熱心に授業を聞いておられました。
先生との面談でこちらの事情を説明し、クラブ活動のこともご理解していただきました。
また、娘は人見知りで自分から友達に声をかけるのが得意ではなく、クラスになじめるか心配でしておりましたが、そこも先生から高学年になるとみんなで弁当を食べるようなり和気藹々とした雰囲気になるので心配はいりませんとおっしゃっていただきました。
6年生のはじめに保護者向けに説明会を開催していただいたときのお話しが非常に印象に残っております。
どうか「家で勉強しなさい」と言わないでください、勉強のことは一切塾を信頼して任せてくださいとのことでした。
5年の終わりになっても家で塾の宿題をすることもなくだらだらしている態度に、つい強い口調で「宿題終わったの?いつやるん?」など言いたくはない言葉を発し、娘はその言葉に反発し家庭内の空気が悪い時期でした。
説明会以降、私は一切勉強のことは口に出さないようにしました。
6年生になり部活でキャプテンに選ばれると、娘はチームをまとめることが求められ責任も増し、ますますバスケが楽しくなってきたようでした。
と同時に受験して私立に行くのか、このまま京都府下でも強豪の公立にすすみバスケを続けるのか非常に悩んでいる様子でした。
相変わらず家で宿題をする様子は見られませんでしたので、親としてはもう受験は半ばあきらめるようになりました。
バスケも忙しいし、もう塾も辞めてもいいよというまでになったのが、夏以降だったかと思います。
自分の成績が悪いと自覚するようになったのか自ら進んで机に向かう時間が増えたように感じました。
また、この質問に答えられる?などと家で社会や理科の問題を出してくるようになり、勉強に対して前向きに取り組んでいる様子が見られるようになりました。
先生の奨めもあり、志望校のオープンキャンパスに行くと大学のキャンパスのような校舎に明るい雰囲気の授業風景に娘の気持ちが揺れ始めている事がわかりました。
親としては絶対ここに行ってほしいとは言わず、あくまで自分が行きたくないなら行かなくてもいい自分でじっくり考えなさいといいました。
受験の日は先生やクラスメイトからの応援を背に受験し、自信がないと言っておりましたが結果合格を勝ち取ることが出来ました。
最後の最後まで娘は地区の公立か私立か泣きながらも悩んでおりましたが、よく相談し合格した私立に行くことを決心いたしました。
娘にとっては人生の大きな決断だったと思います。
平日しか時間が取れない娘が受験に合格できたのは先生方の熱心なご指導のおかげであるととても感謝しております。
この志望校の選択が娘にとってよいものであったと言えるよう、今後も支えて参りたいと思います。
京都産業大学附属中学校の受験指導行います
私は4年生の夏から入江塾に入りました。
なぜこの塾に入ったかというと日常生活の一部であった水泳を続けながらも受験勉強をすることができたからです。
それまでは月~土曜日の7時~9時まで水泳の練習に行っていましたが、塾の演習の時間と重なってしまい、水泳の練習に行けなくなりました。
塾がない日に練習に行き、終わった後に夜おそくまでへとへとになりながらも一生懸命勉強しました。
なぜ私がへとへとになってまでも水泳を続けたかというと、私は勉強もスポーツも両方ともがんばるのが目標だったし、水泳の練習の後に勉強すると効率よく勉強することができたからです。
そのおかげで全額免除で合格することができました。
最後まで分かりやすく説明してくれたS先生、私のだめなくせである「計算ミス」「問題をしっかり読まない」ということを最後まで厳しく言ってくれたY先生、基本的な事を分かるまで説明してくれたK先生、その他の先生方にもとても感謝しています。
今までありがとうございました。
「せっかく選手に上がれたから、スイミングはやめたくない。」という本人の希望があり、親としても勉強だけに専念する受験勉強には抵抗があった為、両立できる塾を探しました。
しかしなかなか見つからず、諦めかけていた4年生の夏休み前に偶然入江塾のホームページを見つけ、即入塾を決めました。
6年生になって演習の時間が増え、対策授業が始まってからも週4回のスイミングを続けていた為、オーバーワークで疲弊しないよう、入試が終わるまでスイミングを休会することも考えました。
しかし、スイミングが良い気分転換になっており、スイミングを続けているからこそ、勉強も頑張れている様だったので、結局12月の末まで続けました。
努力はしていたものの、模試の結果は最後まで思うように上がりませんでした。
そのため、授業料全額免除で合格するには程遠い成績でしたが、「大丈夫」「努力は必ず報われる」と言い続けました。
本人も「無理。」と言いながらも、もしかしたら…と思っていたと思います。
過去問を解いていく中で、個人指導をしていただいていた算数の点数は上がっていきましたが、理科が苦手なことが発覚し、個人指導を追加していただくなど先生方にサポートしてもらいながら、最後まで諦めずに頑張りました。
模試が終わった後はいつも「難しかった」と暗い顔をしていた娘が、試験後初めて「簡単やった。全免で合格できるかも。」と言って明るい表情で出てきました。
結果は本人の手応え通り、全額免除の特待生での合格。
最高の結果を得ることができました。
何よりも嬉しいのは、苦手だった算数が大好きになり、受験が終わってからも勉強を続けてくれていることです。
問題を解くのが楽しい!この気持ちを忘れず、今後に活かしてほしいと思います。
特に6年生になってからは忙しく、大変な日々でしたが、入江塾でお世話になり本当に良かったです。
ご指導、ありがとうございました。
僕が入江塾に入ったのは4年生の冬でした。
僕は本当に算数ができませんでしたが、入った頃はあまり目立ちませんでした。
だから五年生になって、できない算数が目立ち始めました。
そのころの五ツ木・駸々堂模試の偏差値は、算数以外は60、59ぐらいだったけど算数は45、42と他の科目と比べてとても低かったです。
そこで6年生の頭くらいから個人指導をしてもらい、本格的に算数の勉強をはじめました。
個人指導をしてしばらくすると、算数の授業の宿題が楽に終わらせることができるようになった気がします。
特に成績がのびたのは6年生の夏休みでした。
それまで50台だった偏差値が始めて60台になりました。
さらにその後も偏差値は63,8まで上がりました。
そして最後の一ヶ月本当に大変でした。
でもその分社会も覚えられたし、国語の文章も以前よりは書けるようになりました。
努力したかいがあったな、と思いました。
中学校に入ればもっと大変なことがあると思いますが、この塾の経験を生かしてがんばって行きたいです。
先生方 テストの当日まで見守ってくれてありがとうございました。
1月16日の朝10:00 志望校のホームページをクリックすると、アクセス集中の為か なかなか繋がらず はやる気持ちを抑えながら何度目かのトライでやっと繋がりました。
合格者一覧表 ・・・
よっしゃー合格!と思ったと同時刻に家のブサーが鳴り、学校からの速達が届きました。
確認はしたものの、恐る恐る開封すると、A特待生合格の文字が・・・
思えば外遊びよりも読書が好き!
というタイプの息子に、4年生の始め1つ尋ねてみました。
「4年生になったら何か1つ頑張れる事みつけよう。プールでもサッカーでも野球でも 勿論勉強でも!」
と言う問に 二つ返事で「勉強!塾行きたい!」との返事でした。
この頃の息子は公文に通い 大嫌いな算数計算に大苦戦している最中で、そこから逃げだしたいが為に塾を選んだと後々わかりました。
中学受験で 算数が苦手となるとかなり厳しいのでは?と思っていましたが、案の定 算数に関しては駸々堂模試も惨憺たる結果で先生からも「算数だけ個別指導をとられては?」とアドバイスいただきお願いする事になりました。
Y先生にはマイペースな息子に根気良くお付き合いいただき、悪い癖、弱い部分を的確にご指導いただき お陰様で算数が足を引っ張るような事はなくなりました。
少しずつ模試の点数も安定してくると、本人も もっともっとと意欲を見せ、塾から帰っても夜遅くまで頑張っていました。
合格発表の朝10:00彼は まだまだ眠りが深く起きる様子はありません。
戦士の休息ゆっくり眠らせてやろう。
と、思いましたが、嬉し過ぎて揺さぶり起こしてしまいました。
入江塾でお世話になり進学塾のイメージが変わりました。
息子が「塾休みたい。」と1度も言わなかった事、勉強が以前よりも好きになった事、本当に感謝しています。
先生方には大変お世話になりました。
ありがとうございました。
私が塾に行き、受験したいと思ったのは小学3年の秋ごろでした。
親戚の影響もあり、当初は公立中高一貫校を志望校として頑張っていました。
しかし、みんながそれぞれ志望校に合ったプレテストの過去問などをはじめる直前に、私は私立中学へ志望校を変えました。
それは、親のすすめや、説明会に行き私自身がここに行きたいと思ったからでした。
しかし、今まで公立中高一貫校に合った個人指導を算数と国語の2教科受けていたということもあり、少し不安でした。
でも、個人指導では毎回問題を解いて、その直しをするといったことをしていました。
まず一人で一度解いてみるのですが、最初は全く分からない問題ばかりでした。
でも、毎日解いていると少しずつ解けるようになり、少しずつ自信がついていきました。
そして、冬期講習に近づくと、入試の過去問題を解くようになりました。
国語では、その年の最高得点よりも高い点数をとれるようになり、算数や理科、そして社会でも良い点数をとれるようになっていきました。
そしてむかえた本番の日、私は普段よりも落ち着いてテストを受けることができました。
そして、先生も会場に応援しに来てくださっていたので、頑張ろうという気持ちになれました。
テストは正直、理科があまりできなかったなと思っていたのですが、翌日結果がくると無事、合格していました。
私はこの3年間にたくさんのことを学び、無事に合格することができて、本当に良かったと思いました。
うちの娘は4年生になる少し前からお世話になりました。
自分から受験をしたいから塾を探して欲しいと言ってきたので、ご近所の方で洛北中学に合格した子供さんがおられて「どこの塾に行っていたのか」聞いてみると「入江塾で、すごくいい塾だ」と教えて頂きました。
すぐに入江先生に娘と会いに行きました。
入江先生に「自分でやりたいというこの娘さんは絶対大丈夫ですよ」と言ってもらい、そこからはすべて塾の先生方に任せきりでした。
家で塾のことを聞いても娘からは「休み時間に公園で遊んだ」「おやつにアイス買ってきてくれはった」と、そんな話ばかり。
4年・5年はほぼ土曜の授業だけで、6年に上がる少し前から本人にもやる気が出てきたようで「個人指導受けたいし先生にお願いして」「もっと演習増やしたいしお願いして」と、そこからも先生方にお任せで・・・。
途中塾での反抗期のようなものもあったのですが、先生方が、大丈夫こちらで対処しますからと。
夏過ぎた頃には志望校も決まり、京都駅で開催された学校の個別説明会では入江塾の先生方が会場に居て下さり、娘より不安いっぱいで緊張していた私にはなんと心強かったか。
志望校の先生にも「入江塾のHさんです。特待生狙ってます。よろしくお願いします」と先にS先生が紹介して下さったときはなんと頼もしく思えたことか・・・。
その後も心配になり何度も先生とメールや電話のやり取りをするたびに私が励まされていました。
「絶対大丈夫、任せて下さい。家ではのんびりと体だけに気を付けてあげて下さい、お母さん」と。
本当に家では勉強することなく、塾も最終に差し掛かり冬休みはだいたい毎日塾に行き、最後の日も「テスト前、早く帰ってゆっくりしたら」と私が言っても娘が「いや最終の時間まで塾にいる」。
本番受験当日も、娘はそんなに緊張している様子はなく、志望校には個人指導をお願いしていた先生が来て下さり、先生方からの手紙とあの消しゴムを見て笑い、リラックスして受験できたと思います。
志望校も特待生で合格。
笑顔で終われた、長いようであっという間の入江塾と中学受験でした。
私が入江塾に行くことになったのは、母に勧められて5年の時でした。
正直はじめは親に言われて仕方なく行ってる感じでした。
でも6年になり改めて「本当に受験するかどうか。」と母に聞かれたことやいろいろな中学の説明会に参加したことでようやく自分でも「受験する」というきもちが出てきました。
それから、塾にも週4日お弁当持ちで通いました。
冷たいお弁当ばかり食べることや学校の友達と遊べないことは嫌でしたが、私なりに頑張りました。
そうしたら、模擬試験の偏差値が上がってきました。
受験の前日にはみんなで黒板に寄せ書きをして、先生たちに声をかけてもらいました。
この時試験前で緊張している友達もいて、私も「受験ってこういう緊張のするものだ」と改めて実感して頑張ろうと思いました。
当日は、受験校の前で先生からお菓子やカイロそして入江先生・S先生・Y先生の似顔絵のついた消しゴムをもらいました。
この似顔絵をみて「似てる」と笑ってしまいました。
これで少しリラックスできた気がしました。
そして、母から合格と聞いたときは自分でも「1年前は考えられなかったな」と感慨深く思いました。
入江先生、S先生、個人指導で大変お世話になったY先生はじめとして入江塾の先生方のおかげでごうかくできました。
本当にありがとうございました。
この度は無事、京都産業大学附属中学と京都文教中学に合格することができました。
入江塾には5年生からお世話になりました。
4年の途中から大手進学塾に通園していましたが、大人数での授業で本人もやる気がなく成績も今一つのままでした。
そこで、少人数で丁寧に教えていただけるところがよいのではと私の判断で5年から入江塾にお願いすることとなりました。
5年は自宅から近い出町教室に通わせていただき、宿題も以前よりしているようでしたので塾を変えてよかったと思っていました。
ところが、6年で北野教室となり春ごろにS先生の面談を受けた時「このままなら中学受験は難しいですよ。」と現実を直面させられました。
恥ずかしながらこの時にようやく私も受験生の親としての覚悟のなさを実感し、娘に改めて「受験するか?やめるか?」と問いただしました。
この時、てっきり「やめる。」と答えると思っていましたら「受験する。」と答えました。
そこで、ようやく娘も私も「本気で受験します。」とS先生にお伝えし、演習を週2回から週4回と増やして頑張ることになりました。
家ではほとんど勉強もせずテレビばかり観ていましたが「塾にさえ来てくれたらなんとかします。」という先生の言葉を信じ週4回の塾には真面目に通いました。
そして、秋ごろには偏差値も上昇し、先生と相談のうえ京都産業大学附属中学に第1希望を決定しました。
志望校を決めるのが遅かったので心配しましたが、入江先生、S先生、Y先生をはじめ入江塾の先生方の厳しく暖かい指導のもと合格することができました。
受験すると決めたものの最後までもう一つやる気十分でない娘をここまでにしてくださったことに心から感謝しております。
最後までやり遂げ達成した喜びを体験できたことは娘の今後の人生にも生かされることと思います。
本当にありがとうございました。
京都産業大学附属中学校の受験指導行います
八月から約半年間入江塾でお世話になりました。
初めは不安もありましたが、初めから声をかけてくれた人もいて、だんだんみんなと仲良くなれました。
勉強するのは大変でしたが、塾で友達と過ごす時間はとても楽しかったです。
以前はなかなか向上しなかった成績も少しずつ上がり始めました。
最終的目標には到達できませんでしたが、半年間、自分なりに一生懸命頑張ったことは決して無駄にならないと思います。
また入江塾の仲間と過ごした時間は僕にとって大変有意義なものでした。
これからも、この経験をいかしていろんなことに挑戦し、努力し、がんばって、またいつかみんなに会いお互いの成長を確かめ合いたいと思います。
二年半通い続けた塾をやめ、入江塾に転塾することを決断した大きな理由は入江先生の「まだ伸びる余地はあるし、伸ばしてみせる」という言葉でした。
言葉通り半年間で偏差値は上がり、入試直前には、夢と思っていた第一志望の学校の過去問で合格基準点をとれるようになりました。
その自信を胸に、今はこれからに向けて気持ちを切り替えているようです。
半年間ではありますが、入江塾で、「勉強するということはどういうことか」を教えていただいたように思います。
もちろん完全に理解したわけではありませんが、このことが将来においても、大変大切なことだと思っています。
一区切りついた今は、入江塾で学んだ勉強以外のことも含めたすべてをこれからの学校生活にいかしてほしいと思っています。
私が入江塾に通い始めたのは、4年生の頃でした。
しかし成績はあまり自慢できるようなものではありませんでした。
自分の実力が出てきて成績が良くなった時は、もう6年最後の模擬テストでした。
目標校は高いので、自分でも「このままでは時間が足りない」と思うようになりました。
そこで受験一か月前、苦手な作文にこだわらないでレベルは下げずに学費全額免除での合格を目指すことに変更しました。
私はそれをきっかけに、本気で勉強を始めるようになりました。
それはもう冬期講習の頃でした。
個人指導も以前より多くなり、その度に復習もするようにしました。
試験当日、私のために八木先生が会場に来て下さり、先生方のメッセージが書かれたメモを読んで、「大丈夫、私はがんばれる!」という気持ちになりました。
それに、メモに書いてあったように「八木先生が机の上にいる」と思って問題を解き、ただ落ち着くようにと祈りました。
試験では「算数はできた!」と思いました。
あとは国語のみ!
合格したとき、とてもうれしかったです。
入江先生、佐藤先生、八木先生、本当にありがとうございました。
親戚から入江塾のことを教えてもらい、4年生の第1回目の体験授業に行きました。
娘が入塾の意思を持ちましたので、入江塾にお世話になることにしました。
4年生のころは、週1回の授業の宿題をやるだけで精一杯。
5年生になり、算数の特訓+演習が増えても相変わらずの娘でした。
しかし入江塾の方針では、終盤の追い込み型と聞いていたので、不安はあまりありませんでした。
6年生の12月になり、入試までの時間が少なくなってきた時期に、「苦手な作文力に今から時間をかけても、功を奏するか分かりませんよ。」と入江先生から言われたので、志望校を公立中高一貫校との併願から私立だけにして、それも本番で高得点が必要な学費全額免除を目指して、得意な教科に力を入れました。
それからの娘は過去問を繰り返し解き、塾で教えてもらったところを帰宅後すぐに復習し、朝も学習するようになりました。
本人も親も気分的に煮詰まりそうになる受験生活を、「塾に行くことが楽しい」と言って1日も休むことなく通塾し、息抜きに公園に行ったこと、友達のことなど嬉しそうに話してくれる娘を見て、親自身も安心し本当に入江塾に入れて良かったと思いました。
先生方には、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
ぼくは、桂学舎に3年生のころから通い始めました。
最初の日はとても緊張したけれど先生が何度もやさしい言葉をかけてくれたのでとても嬉しかったことを今でもよく覚えています。
5年生になっても6年生になってもなかなか受験に対して真剣に勉強していませんでした。
でもそれではどこも受からないと気付かせてくれたのは入江先生でした。
志望校に合格できたのも先生方の支えがあったからだと思います。
本当にありがとうございました。
育星舎へは、桂学舎のマナ英才学院に3年生に通い入江塾へ入塾させていただきました。
2つ上の兄の中学受験を見て育った息子は、受験が大変なことも知っていたと思います。
なので、私たち親からは、決して受験することを息子には勧めませんでした。
どちらかといえば、受験しないように息子を仕向けていたと思います。
けれども、本人は「がんばるから受験したい」と言い出しました。
しかし、口で言う事は簡単で、行動する事は難しいようでした。
6年生になっても、相変わらず勉強してるふりをする事が多く、受験に対して甘い考えを持った息子に何度叱咤激励した事か…。
そんな息子でも、先生方は見捨てず親身にご指導して頂きました。
受験直前、あと2日で統一入試日という日までにサブテキストを終わらせる事ができ、本人も自信がついた様でした。
このように最後まで頑張れる子に育ててくださったのは、先生方だと思います。
塾へ通う事がとても楽しい時間だったようです。
特に休憩時間に公園へ行ける事をとても喜んでいました。
勉強するために通っている塾ですが、何事も楽しくなければ続かないと思います。
その点でも入江塾に通わせてよかったと思っています。
最後に入江先生はじめ「桂の母」岩田先生(マナの頃から指導して頂いておりました)には、本当にお世話になりました。感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。
ぼくは6年の十二月に入江塾に通いはじめました。
入江塾に元から通って勉強をしていた生徒のみんなは、とても感じがよくて、授業のときも楽しく学習ができました。
個人でぼくの勉強をみてもらったときは、国語はK先生と小林先生、算数は入江先生に、とても親切に教えてもらいました。
第一志望には受かることはできませんでしたが、育星舎に通って、とても意味のある日々を過ごせたような気がしました。
短い間でしたがお世話になりました。
受験まであと一ヶ月少々という時期に、急に飛び込んだにもかかわらず、本当に親身に懇切丁寧にご指導下さいましたことを、心より感謝致しております。
学習面以外のトラブルも何かとあった受験でしたが、最後に入江塾でお世話になれたことで、投げ出す事なく頑張れたのだと思います。
温かいご指導を本当にありがとうございました。
「受かったよ!!」そう言われた時は嬉しかった。
私は4年の頃から塾に来て、三年間も通った。
その内二年間は少しも勉強をしていなかったが、6年からは勉強して合格した。
もともと自分のできは普通だと自覚していた。
でもそんな自分だから頑張った。
どうしても合格したかったので、塾でも勉強し、家に帰っても母に教わった。
仕事があるのに協力してくれる母に教わると「もっと頑張らなければならない」と思った。その成果が実り受かったと思う。
勉強の面倒をみてくださった先生方、なにもかもをしてくれた母、歴史を教えてくれた祖母、学費を稼いでくれた父、応援してくれた兄、塾の友達に感謝したい。
頑張って良かったと思う。
そして中学からも頑張ろうと思う。
合格することは、「全ては根性と努力」母と祖母はそう言った。
私もそう思う。
根性だ!努力だ!
「私!!中学受験する!!塾へ行きたい!!」と宣言してから早、三年。
よほど入江塾の居心地が良いらしく、一度として「今日は行くのやめとこ~かなあ。」なんてことを言ったことがない。
娘は、6年生になると京産大附属中に第一志望を決め、大好きな先生方の御指導のもと(紆余曲折を経て)無事合格することが出来ました。
これも本人の努力と楽観的な性格、そして何よりも!!諸先生方の的確な御助言の御蔭と心から深く感謝しております。
育星舎で得た様々なものはきっと彼女のこれからの人生の糧となるでしょう。
本当に有難うございました。
育星舎と出会ったのは娘が5年生の春休みでした。
出来る限り小学生らしい生活を送りながらの中学受験を望んでいたので、まさに希望通りでした。
週1回の授業と必要最低限の宿題でしたので、放課後はクラスメートと遊び、お稽古事も続けられました。
6年生の9月から、週3~4日通うようになり、11月の成基学園の同志社オープンテストで50位内に入るほど伸ばしていただきました。
入試直前もみんな仲良く励ましあう雰囲気だったようで「ここの塾で、本当に良かった!」と言っていました。
統一日の同志社中学は、生まれて初めて緊張したらしく残念な結果でしたが、「私が男の子やったら、入れたなあ。」と、一言漏らし、丸一日好きなことをして過ごしたあとは立ち直りも早かったです。
今まで全く考えていなかった併願校2校のHPを自分で見比べて、これから6年間通う学校を決めました。
結局、クラブや行事よりも共学であることを選んだようです。
姿はともかく中身は少年のような娘なので、親も納得しました。
「こうなったからには、国公立大学を目指す!」と、前向きな娘を、これからも陰ながら応援していこうと思っています。
ありがとうございました。
京都産業大学附属中学校の受験指導行います