こちらの続きです
体調が良いと酒量も多くなった。「男はつらいよ」のDVDなどを観ながら明け方近くまで呑み続けることも多くなった。一昨年には血液検査で主治医から注意を受けた。AST(GOT)、ALT(GPT)、γ-GTの値が基準値を超えていた。長年、酒を呑み続けても耐えていた肝臓がついに悲鳴を上げだしたのだ。その後、酒の量を控え肝機能の数値を気にするようになった。3か月ごとの血液検査を欠かさないようにした。
すると、PSA前立腺特異抗原という前立腺ガンの指標も問題視されるようになった。それは4.000(ng/mL)以下が正常値なのだが、一昨年の年末で7.514を示していた。その後、昨年3月、6月、9月はそれぞれ8.365、9.230、9.803と上昇していった。主治医に紹介された大学病院で検査を受けた。前立腺の細胞を採取するというもので、お尻から棒を突っ込まれるという何ともいやな検査であった。結果、ガン細胞が見つかった。ガンの告知を受けた時、先生の言い方が深刻ではなかったので私も平然と受け流さざるを得なかった。
新聞広告で知った脚本家三谷幸喜氏の「ボクもたまにはがんになる」(幻冬舎)をすでに読んでいた。それで先生から「手術か放射線治療か」を問われた時、迷いなく手術を選んだ。明日でもと覚悟していたがコロナの影響で「手術は来年(2022年)」ということになった。「数ヶ月も先で、ガンは進行してしまわないか」気になったがどうしようもない、待つしかないのであった。
しかし月日が経つのははやい。ついにやって来た。2月21日の手術ということで、2月18日午前10時に入院した。やはり緊張していた。いつもは食べない昼食は残してしまった。呼ばれて担当医師らしい男の先生からいろいろ体調などを聞かれた。昨日、3回目の新型コロナワクチンを打ったことを伝えたところ、先生の表情が変わった。急いで取り寄せた通達らしき書類に先生は目を通していた。手術でワクチンの副反応が増幅するおそれがあるという。去年まではこのようなことは問題とされなかったようだ。
結局、手術は1ヶ月後になり私はその日に退院した。「兵士として出征したが丙種不合格になって地元に戻ってくる」そんな当事者の気持ちが少しわかるような気がした。
「闘病記 その5」では必ず手術のことを書きたいと願っている。