「元塾講師のバイトが語る。大手個別指導塾に絶対に通ってはいけない理由」。
ネットでこんな文章で始まるブログが載っていた。
塾名は伏されていたが表現で特定できる大手塾。
その塾には私の息子もバイトしたことがある(うちの息子の評判も良くなかった)ので興味があって、悪口とは思いながらも読んでしまった。
「私にとって塾講師のバイトは詐欺と同義でした」には笑ってしまう。
教務内容がほとんどないのに生徒を通してバイト料をもらう。
そんな構造を指摘したものだが、塾側も同罪であるのに変わりはない。
「私は結局、地学の授業を担当することになりました。おそらく生徒の方も私が地学を知らないということを勘づいていたと思います。私は申し訳ない気持ちで泣きそうになりました」。
「私」が教室長に強制された結果がこれ。
売上げ至上主義の教室長にとってはこんなことは日常茶飯なのだろう。
「N君は朝から晩まで授業漬けの日々を過ごしていて、ついに塾のエリアの年間授業受講数の過去最高記録を塗り替えてしまいました。ここまでくると、本当に悪意しか感じません」。
授業を受ける回数が足らないという教室長の方針に従った浪人生N君。
自力で問題を解くことなく授業だけを受け続けた結果、受験したすべての大学に落ちてしまったという。
「そんな極悪な教室長のおかげで、その教室は本部から表彰を受けていて教室にはトロフィーや賞状がたくさん飾られていました」。
売上げ、生徒数を伸ばしていればそれだけで評価される仕組み。
この教室長も雇われサラリーマンで生活のために仕方なくやっているとするならば、生徒も講師も教室長もみな悲惨だ。
「お願いだから○○塾さんは塾業界から撤退して下さい。これ以上、犠牲者が出ないうちに」、最後の嘆願もむなしく響く。
先日のブログで講師の国家検定をとり上げたが、これでは業者の資質が問われることになる。