私は働き始めから教育者を目指していたわけではない。同世代の塾長は学生時代から塾を運営している者が多いが、私はそうではない。大学では何年も留年し、結局中退、フリーターになった。何をして生活していったらよいのかまったく考えが無かった。時に26才。
そんな時、小学校の同級生Y君に出会った。彼は学習塾を近く開業するという。「なるほど、学習塾ならば受験勉強をしてきた私にもできるのではないか」と思った。姉からお金を借りて家を出た。
生徒を教えるために夕方以降は時間がとれる仕事を探した。ある食品会社の調理場に仕事が決まった。しかし、現場の人々が「いくら中退でも京大に行っていた人とは仕事はできない」ということで人事担当者から謝りと断りの連絡があった。自分は何と中途半端な地位にいるのだろうと悲しくなった。
次はウェイターの仕事。場所は顔がさしたら困るので実家から遠く離れた喫茶店。朝6時から昼の2時まで。人間関係の複雑な所で、ウェイトレスや調理人も店に対する忠誠心など全くなく、お互い足の引っ張り合いをしていた。ある時など、1人のウェイトレスにまさに足を引っかけられ注文のコーヒーごと私は倒されてしまった。客の前で恥をかかされたその時の気持ちは今も忘れられない。
さらに製麺所で働いた。そこの女将さんの自慢の孫は今もある大手の進学塾に通っている小4の男の子だった。学習塾の開業を目指していた私にとっては、麺を洗っている今の自分が情けなかった。京都中央市場の塩干でも働いたが、体力の無さで数日でギブアップしてしまった。
それぞれのアルバイトをしながら夕方からはY君の塾で手伝ったり、その派遣で家庭教師をした。Y君は学生の頃から生徒を教えていて、実績もあったのですぐに生徒が集まった。生徒や保護者も私など目もくれず、Y君の方を信頼していた。
しかし、私の方も独自で家庭教師をするようになった。もうそろそろ塾を出したいというあせりも出てきた。Y君に対するライバル意識は強かった。
最初の塾のライバルY君が教育者だったことは今から思えば幸いだった。