週刊文春 2020年8月6日号
京都の嘱託殺人事件で亡くなったALS患者Aさんは19年9月に「栄養物を取らずに死に至ること」について主治医に相談したと投稿。主治医から、「自殺幇助※にあたるためできない」と反対されたという内容を書き込んだ。Aさんはできれば自殺したかったのだ。しかし、身体の不自由さがそれを許さなかった。自殺もできない自分の身の上を嘆いたことだろう。 ※Aさんの病状(行為ができない状態)から考えて不作為による承諾殺人とも言えないだろうか。
ところで前回、前々回でも述べてきた自殺幇助とはどういうものか。自殺幇助とは「自殺の意図をもつものに、有形・無形の便宜を提供することによって、その意図を実現させること」だとされている。安楽死が行為主体として他人が関与するのに対して、自殺幇助は、その時点で意思能力のある患者本人が関与する(自殺者は、例えば幇助としての介錯を伴う割腹自殺者=作家の三島由紀夫などもいるが、患者以外はここでは除く)。
自殺幇助は日本では刑法199条の殺人罪、刑法202条の自殺幇助罪に問われる行為だ。ただし、一部の国や地域では容認されている(広い意味で安楽死・尊厳死に含まれる)。
スイスの自殺幇助団体に詳しい研究者によると、ある団体は依頼を受ける要件として、2人の独立した医師による診断がある、耐え難く制御不可能な苦痛がある、誰にも強いられていない、などを定めている。自殺幇助を望む理由や近親者の意見を書いた文書やカルテの提出も必要だという。
朝日新聞 2020年9月30日付
学習塾をしている私は曲がりなりにも教育者である。そんな私が問題かもしれないが、生きづらさを感じたことがある。このような者が言うのはおこがましいとは思うものの、Aさんの「死にたい」という気持ちは大切にしてあげたい。Aさん本人は強く生き続けたのだから。