NHKスペシャル「瀬戸内寂聴密着500日」を観た。
大病で入院し、今年復帰、活動を再開された様子が映っていた。
御年93才。
「100才まであと7年だ」と未だ意気軒昂だ。
ところで今年亡くなった私の父は瀬戸内氏と年令も出身地(徳島)も同じだった。
父も長寿の方と言えるだろう。
ここ数十年実家で行う恒例の新年会があるのだが、盛期には30人ほどが集まった。
そんな新年会を今年も催した。
父は何しろ酒(特に日本酒)が好きで、またよく人を集めて宴会をした。
もちろん晩酌は毎日。
若い頃程ではないが、それでも倒れる直前まで毎晩3合は呑んでいた。
父は母子家庭で育った。
父親の顔を知らない。
経済的にも苦労したらしい。
戦争で学徒出陣も経験し、終戦後司法試験に合格し、裁判官になった。
その時私が生まれている。
その後東京に赴任してから私が小学校1年のときに大阪で弁護士になった。
私にとっては非常に怖い父親で「(家族はお母さんだけでいいのに)何でお父さんは居るの?」と幼い頃母に聞いたぐらいだ。
柔道などのスポーツで鍛えた父の身体は大きく頑健であった。
学力でも体力でも私は父に対し劣等意識を持って育った。
そんな私を直接の教育は母に任せていながら、背後で父は自分の思いどおりに育てようとした。
自分が苦労したことを私に経験させまいと無意識にコントロールしようとした。
そのお陰で私は定められたレールの上を走る列車のようであった。
例えば大学受験も法学部以外は考えられなかったし、大学で就職活動もしなかった。
良い意味で悩みはなかった。(続く)