受験の悦び その3 の続き
年末年始の世間の慌しさなど受験生にとって関係がない。
正月からは基本書とした生物の参考書を開いた。
真新しいページは今まで敬遠してきたことの証し。
あと2ヶ月に迫った入試を考えると「やはり無謀な計画だったのではないか。」「本番までに間に合わないだろう。」などの雑念が頭を過る。
しかし、当時の私には不思議にもそのような消極思考を振り払うだけの力があった。
「あせるな。やるだけやれ!」そんな熱い想いが沸き上ってきた。
2月に入った。
1週間であの分厚い1冊を頭の中に再度叩き込まなければならない。
今まで付き合ってきた自分の能力を遥かに超えた挑戦が始まった。
そんな最中驚くべき知らせが例の旬報に載った。
前回同様、記憶の断片から再現してみたい。
私は、去年旬報で大学受験について皆様にお伝えしたペンネームAさんの友人です。
今回、心臓病を患っていた彼女について悲しいお知らせをしなければなりません。
実は1月に病状が急変し、彼女は帰らぬ人となりました。
彼女は大学生活を楽しみにしていました。
私は彼女の代わりに筆をとりました。
私達が大学を受験できることに感謝すべきだと思ったからです。
彼女のためにも皆様頑張って下さい。
何ということだろう。
本当にこれは事実なのだろうか。
会ったことはないが一人の若い女学生の死は私の心に深い悲しみを与えた。
しかし、そのことは結果的に私を更なる境地へ導いてくれることとなった。
2月の4週目は1科目1冊を2日のペースで各ページを脳裏に焼き付けた。
そして最後の1日は3冊分をフラッシュカードのごとき速さで完了した。
ただ、例えば日本史に関しては1900年以降の各内閣を整理するため今で言うA3用紙数枚にまとめそれをつなぎあわせ天井から床までつるすような作業までした。
3月1日ついに入試本番を迎えた。
雪のちらつく少し寒い朝ではあった。
気持ちの整理はついていた。
確か、第1日目は英語・数学・国語、第2日目は生物・世界史、第3日目は日本史だったと思う。
初日の数学は自分なりに最高の出来だった。
後日、Y先生から電話があって、それぞれの問題に対する解答を伝えたところ、満足しておられた。
最終日は日本史だけ。
私は初めて徹夜勉強を敢行した。
朝の試験時間になっても頭は冴え渡っていた。
開いた試験問題には、信じられない夢のような設問が連なっていた。
それは、近、現代史における内閣の変遷である。
これが4割ほどを占めていた。
私のために作られたような問題である。
3日間の試験を終えた直後は「不合格でもよい」との心境になっていた。
そのとき実は私はすでに東京のある私立大学法学部に合格していた。
ある晩、父にその大学に入学するよう勧められた。
言下に断った。
合格する自信があったわけではないのにそんな大胆な発言をしてしまった。
内心不安で、発表の日はふとんの中でうずくまっていた。
昼頃、母が「合格したよ。」と叫んで部屋に入ってきた。
Y先生が大学に見に行って連絡をしてくれたらしい。
母に「早く支度をしなさい」とせかされ大学に向った。
正門ではY先生が迎えて下さり、写真を撮ってくれた。
時計台裏の建物に案内された。
壁に貼り出されている合格者の中に私の受験番号と氏名を見つけ、現実感をやっと持つことができた。
この奇跡的な出来事は、Aさんの「受験の悦び」を知らなければ起らなかった。
Aさんの文章が私に「受験の力」を与えてくれたことを今でも感謝している。