受験の悦び その4 の続き
第1講義 カントは高校生の味方か敵か ―自由と理性―
大学1年生になると、ほぼ確実に、生活がそれまでとは大きく変わる。
そして、その変化には、一つの問題を抱え込むということが含まれるだろう。
巨大な自由が転がり込んでくる、という問題だ。
下宿生活などすると、その点はとりわけ顕著に現れるだろう。
24時間、親の目、家族の目にさらされることのない生活が始まる。
もはや、日常生活を誰にもコントロールされることはない。
自分が、自分だけが、自分を律しなければならないのであり、律することができるのだ。
自由、つまり何をしてもよいことを、どのようにして、自律、つまり自分で自分を律することにもっていくか、という問題に直面するのだ、と言いかえることもできる。・・・・・・・・・・・・
「高校生と大学1年生のための倫理学講義」
藤野 寛 著 ナカニシヤ出版
最近読んだこの本には驚いた。
のっけから、入学直後の私のことが書かれていたのである。
自宅から大学に通っていた点は差し引いても、「自由」が私の目の前に広がって、戸惑っていたその頃の思いが整理されている。
当時これが哲学的な問題であるとはもちろん思いもよらず、幼稚な私は放浪の果て、学問の香りすら嗅がずじまいで青年期を過してしまった。
大学へ誘ってくれたAさん、数学の魅力を教えてくださったY先生には本当に申し訳ないと思う。
長期に渡って迷惑をかけた両親及び多くの人々にどのような償いをすればよいか未だ分からない。
――人間は自らルールを定め、自分が定めたルールなのだから、自ら進んでルールに従うことができる、そのようにして自由と「理」性を両立させることのできる存在である、とするカントの考え方・・・・・(前著)――にその時代の私が賛同、実行できたかは大いに疑問だが、少なくとも知るべきであった。
読書とは、究極の一人の営為。
しかし、“伴走者”がいないととても読み切れない書物も、まれにある。
『純粋理性批判』はその右代表だ。
兵庫県の読者、太田垣博嗣さん(45)から、「最近出版された『完全解読 カント純粋理性批判』はよき伴走者となる」という助言をもらった。
同書の著者で早稲田大学教授の竹田青嗣さんも、学生にガイド本なしの読書は薦めない。
・・・・・・・・だが竹田さんは、「デカルト、スピノザ、ヒューム、ルソー、カント、ヘーゲルそしてニーチェという、近代哲学を築いた7人衆の仕事が最も優れており、いまこそ読むべきなんです」と力説する。
なぜか?彼らは、近代における社会とは、国家とは、人間とは何かを問い続けた。
私たちが生きる社会の設計図を描いたのは、近代哲学の仕事だった。
「約200年かけ、だいたい彼らの構想した通りの社会ができあがった。しかし今、近代哲学の考えなかった社会の矛盾、人間存在の矛盾が出てきて、袋小路にはまっているのも確か。今の社会を変え、新しい社会の形を考えるには、近代哲学をもう一度読み直すことが必須なんです」・・・・・・・・・・・
朝日新聞 よみたい古典(上) 2011年6月19日付
そうだ今からでも遅くない。
カントの「純粋理性批判」を繙いてみよう。
と、数人に「読書会をやろう」と声をかけたらOKが出た。
さっそく「純粋理性批判」 カント著 篠田英雄訳(上)(中)(下)岩波文庫 ――を取り寄せた。
期待に胸をふくらませ本を開いたとたん、難解な表現とその多さに一瞬目が眩んだ。
そんな今の自分に言い聞かせたい。「受験の悦び」を伝えてくれたAさんに応えろ!と。