入江塾は、京都市の塾グループ「育星舎」のなかの中学受験専門部門で、小学生を対象とした学習塾です。本部の北野教室(北野白梅町、円町)を中心に出町教室・桂教室でも開講中です。
(平日14:00~22:00 土曜13:00~20:00)

パーソナリティ障害

入江塾説明会

 

平成21年12月18日、土浦9人殺傷事件のK被告に水戸地裁で死刑の判決が言い渡された。

――裁判長は「自己愛性人格障害はあるが、完全な責任能力が認められる」と判断。

このうえで、「死刑になりたいという願望を満たすために他人の命を奪った動機は身勝手。反省の態度も全くない」と死刑を選択した理由を述べた。

…「死刑になりたい」というK被告の願望がかなう皮肉な結果に、遺族らは改めて無念さをにじませた。

…「自殺は痛そう」「死刑は都合がいい」「蚊を殺すのと人を殺すのは同じ」。

K被告は法廷で自らの主張を繰り返し、反省や謝罪を口にしなかった。

…関係者によるとK被告は「弁護人が控訴しても取り下げる」と話していたという。――(12月18日付夕刊新聞)

 

人格障害とはいったい何なのか。

私は3年ほど前に母から「ある知り合いが境界性人格障害を持つ人物と出会い大変な目にあった」ということを聞いた。

もともと脳や精神・心理に興味があったので人格障害に関する本をさっそく2冊購入した。

ひとつは精神科医・岡田尊司氏の著書1)で、障害を10のタイプに分け、具体的にわかり易く説明されていた。

音楽家ワグナー、哲学者サルトル、有名歌手マドンナなどの例には驚いた。

もう1冊は精神医学者・福島章氏編集の特別企画雑誌2)で専門書に近いものであった。

その中で福島氏は「『人格障害』はいわば人間否定の訳語である。せいぜい『パーソナリティ障害』という程度にすべきだろう。」と指摘されていた。

後にこの書は「パーソナリティ障害」3)して単行本になった。

専門家の間では用語としてそれが定着しつつあるようだ。

ちなみに、まだ使用されているこの「人格障害」という用語が正式に用いられるようになったのは、アメリカ精神医学会の診断基準DSMに採用されてからだという。

 

パーソナリティ障害(人格障害)と精神病、神経症、異常性格とはどのような関係にあるのだろうか。

「人格障害という言葉が使われる以前は、『精神病質』というおどろおどろしい用語が使われていた。精神病質とは、その概念を完成させた、ドイツの精神医学者シュナイダーによれば『人格の著しい偏りのために、自分自身が悩むか社会が悩むもの』とされる。」1)シュナイダーの類型論の前駆者であるクレペリンの言う「精神病質者という言葉は、精神病には似ているが精神病ではない、『半精神病』の状態を意味していた。」2)3)すなわち人格障害は精神病と神経症・異常性格の中間ということらしい。

なぜなら精神病と神経症の境ということから「広い意味の『境界』(ボーダーライン)という表現が精神医学界に出てきたこと」がこれを示している。

また「芸術や科学の天才、政治的リーダー、教祖などの多くは、…異常性格の定義に一致する。つまり異常性格者にはよい人も悪い人もいるわけで…」6) シュナイダー言うところの「人格の著しい偏り」が見られる場合が人格障害とされてきたとみてよいだろう。

 

パーソナリティ障害(人格障害)に対する評価はどうだろうか。

「人格障害は自己愛の障害である」とは岡田氏の見解である。

「自分への執着、傷つきやすさ、両極端な思考、人を本当に愛することの困難といったものは、人格障害の人が、幼い自己愛に支配されていることを示している。」1)他方「パーソナリティ障害は、一方で、苦しさや困難を引き起こすが、同時に大きな力を生み出す可能性を秘めている。

その人に合った生き方を選べるかどうかが、運命の分かれ目となるだろう。」5)その救いがうれしい。

 

現在の刑事裁判の流れが民主化、公開化の傾向にあることは周知の事実である。

被害者の感情が反映されるべきことはもっともだ。

しかし「精神鑑定に関して『疑わしきは罰する』傾向にある」との意見を持つ鑑定医もおられる。

大阪教育大学附属池田小事件について「(反社会性人格障害とされた死刑囚Tに対する)異例の早い執行は、厄介な問題が生じる前に、問題を一気に〈無〉にしてしまう賢明な配慮だったのかもしれない。」7)と、この結末に対して疑問視する声もある。

 

1980年代、福島章氏は「通り魔の時代」をすでに予告していた。

「純粋に生理学的異常にもとづくケースは別としてほとんどのケースに共通してみられる病理は人間関係の障害であり、それも人生初期の母子関係にまで遡りうる精神病理であった。」6)という見解を私たちは重く受けとめなければならないだろう。

 

すなわち「どうしてこのような人物が出来上がってしまったのか」を私達は考え、そして処刑という手段だけでなく「そのような行動を未然に防ぐ社会をつくること」を自ら社会人の責務として自覚していかなければならないのではないか。

 

引用文献
1)人格障害の時代 岡田尊司著 平凡社新書
2)こころの科学―特別企画・人格障害 福島章編 日本評論社
3)パーソナリティ障害 福島章編 日本評論社
4)パーソナリティ障害 岡田尊司著 PHP新書
5)境界性パーソナリティ障害 岡田尊司著 幻冬舎
6)犯罪心理学入門 福島章 中公新書
7)犯罪精神医学入門 福島章 中公新書

 

代表ブログトップへ

入江塾トップページへ