孤島に漂着した少年たちの2年間を描く「十五少年漂流記」と出会ったのは小学校5年の頃だったろうか。
その日は病気で学校を休んで床についていた。
何となく少年少女文学全集の中から何冊か取り出し流し読みをしていた。
熱っぽく身体がだるかったので軽く読めるものがよかったのだ。
ところがこの作品を見つけ釘付けになった。
それからが大変だ。病気がぶり返すぐらい興奮し読み進んでいってしまったのである。
一気に読み終えてしまったあと、しばらくまさに熱に浮かされた状態になっていた。
その後、受験勉強を経てある進学校の私立中学に入学した。
私は蒼白いひ弱な身体をしていた。(水泳の時間がいやだったぐらいだ。)
同級生の中には中学1年なのに大人のようにすね毛まで生えている者もいた。
また勉強も驚くほどよくできる連中がいた。
私は肩身の狭い思いをして学校に通っていた。
1学期だったと思うがある日のホームルームの時間、担任の先生が「何でもいいから無記名で自由に作文を書きなさい。本当に自分の思いつくままでよろしい。」と言われた。
入学当初からボーッと過していた私にとっては何を書いてよいのか見当がつかなかった。
「何でもいいのだったらあの本のことを書こうか」と思いつきはしたものの、ただ感動をしたこと、そして自分もそんな冒険をしてみたいことぐらいしか、それもたった数行書くのが精一杯だった。
次のホームルームの時間から各生徒の文章を先生が読み始めた。
「記憶というのは分子が強く結合する結果なのではないでしょうか・・・・」先生は感心していた。
「先日の日曜日に友人の家に招かれ庭でバーベキューをいただきました。それに比べ私の家は庭もありませんし、そんな余裕もないと思います。生まれた環境によってこんなに大きなちがいがあるのはなぜでしょうか・・・」先生は感動していた。
次々に立派な意見や感想が書かれた文章が読まれていくうち、ついに私の拙い読書感想文が皆の前に晒されることになった。
私は身体をこわばらせて聞いていた。
途端、ゲラゲラと皆が笑い出した。
先生も苦笑いしていた。
その時から私は十五少年漂流記を封印した。
ところが最近、作家の椎名誠氏が「『十五少年漂流記』への旅」という著書を発表されたのを知った。
氏は幼い頃から何度も読み返しているというではないか。
また近時ベストセラー「生物と無生物のあいだ」を書かれた分子生物学者 福岡伸一氏も椎名氏の著書を絶賛しているのである。
あの時の私は幼稚ではなかったのだ。
同じく書評を書かれている丸山玄則氏のことばを借りれば「そんな心こそ失いたくないものだ」。
ようやく封印は解けた。
ちなみに、すね毛の生えていた同級生とは今では対等(?)に酒を酌み交わしている。