◆連載「安楽死と呼ぶ前に」 3/15(月)10:00配信
この連載は京都新聞とYahoo!ニュースの共同連載企画です。2020 年、京都で起きた筋委縮性側索硬化症( ALS )患者の嘱託殺人事件は「安楽死」事件として議論された。だが「安楽死」といった死なせる要件を議論するずっと手前に見つめ直すものがあるのではないか。 ALS 独居支援の実際と、安易な「安楽死」議論がはらむ危うさを、連載で伝えます。
2020年夏、京都市内で独居していた筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性=当時(51)=が医師2人に薬物を投与され死亡した嘱託殺人事件があったが、「安楽死」を議論するずっと手前で、患者たちが語り、生きざまで伝えたいと願いながら、知られていない日々の暮らしがある。ALS患者の独居生活移行に、記者としてではなく、支援者として10年以上前から関わってきた。事件で亡くなった女性がネットに残した「死にたい」が一人歩きしている気がして、もどかしい。ALS介護現場の日々を報告する。(京都新聞 岡本晃明)
私はこの連載記事を読み、考えさせられた。
まず、今回の京都の嘱託殺人事件を端緒に書き始めた文章の題名が「安楽死」だが、次のような指摘があった。
「・・・・安楽死の議論は、同調圧力が強い日本においては慎重にしなければならないと感じている。『身体機能が低下して何もできなくなった人は死ぬべきだ』という価値観が広まることだけでも、結果として、そういう状況にある人を自殺に追いやるに十分な、悪い意味での力になってしまう。安楽死の議論は、生きる道が保障された上でないと非常に危険だ」
自殺対策問題に取り組む厚生労働大臣指定法人「いのち支える自殺対策推進センター」の清水康之代表理事
次に「安楽死 その1」で「自分も同じ境遇ならば考えただろうな」とALS患者Aさんの安楽死を肯定するような表現をしたのだが、それについても次のような見解があった。
・・・・筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者=当時(51)=に医師が薬物を投与し死なせた嘱託殺人事件の報道と同様に、「あんな病気になったら、私だったら死にたい」などと、安楽死を容認する趣旨のコメントが目立った。立岩真也・立命大教授は「私なら死にたい、と公言することはヘイトスピーチ」と指摘する。・・・・
今回の私の文章は少なかったが、次回の文章では、さらに考えを深めていきたいと思う。