書写は何のためにするのか、する意味はあるのか、などよく生徒から聞かれます。
その気持ちはわからなくはないです。
学習塾で書写というのはあまり聞かないですからね。
書道教室や生涯学習で行うならまだしも、塾でやる必要性は一見無いように思われるかもしれません。
中学受験の勉強と関係がないことをやって一体何の役に立つのか、成績アップはするのか、というのが生徒たちの疑問なのでしょう。
今もなぜ書写をするのか?と疑問に感じている人がいらっしゃるかも知れませんね。
実は書写にははっきりした目的があり、わかりにくくてもちゃんとその効果はあります。
そのことも含めてお伝えしていきます。
先ほども申し上げたように、する意味があるから宿題に出しているのですが、生徒としてはそれがわからないから聞いているというのはよくわかります。
ここでよく答えていることを箇条書きにすると、
1.字が上手くなる
2.漢字の勉強になる
3.言葉や言い回しを覚えられる(語彙力)
4.文章表現力を高める(国語力)
5.頭の中に内容を保管する力を鍛える(記憶力)
6.きちんとした文章と接する機会を増やす
7.心を落ち着かせ、集中力を身につける
こういった感じになります。
1番目の字について、小学生の、特に男子に多くみられるのがほとんど読めないような字を書いていたり、ワクから大きくはみ出して書くことです。
テストや作文などでは所定の位置に読みやすい字で書くことが求められますが、「この字で採点する人に読んでもらえるのだろうか?」と思ってしまう生徒は意外と多いのです。
もちろん書写ですぐに字が上達するということはありませんが、少しずつ慣れていき、例えば4年生の頃にはぐちゃぐちゃな字を書いていた子が6年生では見事に成長しているということは少なくありません。
そもそも、ひらがなや漢字というのは筆で書くために発明された文字であって、鉛筆やシャープペンシルでは書きにくいという話も聞きます。
大人ほどには手先を自由に動かせない子どもは、手を動かして文字を書く練習をたくさんしてほしいところです。
そうして書くことは読むこととまた違い、実際に体を使うのでしたことを自分に刻みこむことができ、それは自分への確認作業になります。
自分がどういう字を書いているか把握でき、それを土台にレベルアップさせていくことができます。
2番目、3番目の漢字や言葉の勉強になるというのは子どもも納得してくれますが、注意が必要なのが4番目(文章表現力を高める、国語力)です。
国語力が身につくと言ってしまうと反論されてしまいます(後述)ので、「良い文章を読んだり書いたりすると勝手に頭に入っていくから意味はあるんだよ」などと言うことにしています。
意識に上らないぶん効果は実感しにくいでしょうけれど、目に見えないところで確実に力になっています。
これは6番目に挙げたこと(きちんとした文章と接する機会を増やす)とも関連しています。
今の子供たちは文章を読む機会が減っているのでそれを書写をすることで補います。
現代では早期からの英語教育が国語を重視しないことに繋がり、国語力を低下させていることも考えられます。
しかし、日本人が英語を聞いたり話したりするときに英語でものを考えているでしょうか?
いったん日本語に置き換えていますよね。
このことからも国語はこれまでと同様に重要なものであると言えるはずです。
英語を勉強する場合でもレベルの高い日本語の力は必要なのです。
また、最近の入試問題では年々記述が重視されるようになってきています。
算数でも式や考え方を求められる機会が増えているので、まずは書くことが必要です。
しかし、子どもによっては記述の一文字目を書き出せないことが多々あります。
それは書くことに慣れていないというのが大きいです。
書写をすることで文章を書くことへの抵抗を減らそうという狙いがあります。
5番目に挙げた記憶力は文章を塊でとらえていったん頭の中に入れる力です。
見た文字を一文字ずつ見て写してを繰り返していると時間がかかる上に文章の意味が理解できません。
文章を読んで文字ごとから単語ごとに、単語ごとから文節ごと、と短期的に覚えられる量を増やしていくのです。
そうすると文章の意味が理解しやすい上にスピードも上がっていきます。
※入江より補足:指摘する「字が上手くなる」「頭の中に内容を保管する力を鍛える(記憶力)」の2点について。
まず前者について、指の動きと脳の発達は関係していると言われている。
教育評論家阿部進先生は講演会で時々指の体操のようなことを聴衆にさせて、「はい、ここまでできた人は6才です」などと笑わせていた。
次に後者についてだが、幼児教材に点描写というものがある。
格子点を結んだ線でできた図形を書き写すのだが、これが簡単にできる子となかなかできない子では学力に差があった。
思考の継続に必要な短期記憶に関係があるのかもしれない。
7番目(心を落ち着かせ、集中力を身につける)については精神的なことなので表立って言ってはいませんが、確実にこの効果はあると思います。
実は今回の記事を書くにあたって自分自身も改めて書写にチャレンジしているのですが、大人の私が一番実感したのが7番目のことでした。
普段生徒たちがどんな気持ちで書いているのだろうか、など思い浮かべながら一回分を書いてみたのですがこれが思ったより「しんどかった」のです。
30分(もっと?)ひたすらに書き続けることはそれだけでも物事に向き合う力を育んでくれるでしょう。
上記の質問に答えると時折このように言われることがあります。
そのときはとっさに「宿題をさっさと済ませるために文字を書きなぐっていないか?」と聞きたくなるのをグッとこらえて話を聞きます。
漠然と感じるのですが、彼らの言う国語力とは恐らく模試での国語の点数のことです。
成績が目に見えて上がってはいないので、自分が頑張っていることの効果がはっきりと確かめられずに疑問を感じている、というわけです。
しかし、それで大丈夫なのです。
漢字を覚えたり、理科社会の暗記をすることは点数に表れるので実力が上がったことを実感しやすいと思います。
でも国語力は数値で単純に測れるものではありません。
少しずつ身についたものが実を結んで目に見える形で表れるのは随分後になってからだったりします。
それは必ずしもテストの点数に直結するものではありませんが、彼らの言語能力の底上げをしてくれます。
書写に限らず、国語の学習は単なる点取りテクニックの習得が目標ではありません。
テクニックだけで受験を乗り切るようでは、人生を通しての言語能力獲得の機会を逃してしまいます。
国語の学習は長期的な目線で考えていく必要があるのです。
私たちが国語の点数は急には上がらないと言っているのもそれが理由です。
これらのことを子どもたちに真剣に話しても伝わらないか、下手をすると書写を無理やりさせる理由を作っているようにしか見えないでしょう。
先生というのは頑張りすぎると時に空回りします。
だから私はふわっと、国語力という言葉を用いずに「日本語の力が上がるよ」などと言います。
先ほど申し上げたように、提出されてくる宿題を見ているとやっつけ仕事のように乱雑な字で書いてあるものが混じっています。
それを見ていると私は言いたくなります。
君にとっては提出すればセーフなのかも知れないけど、そういう考えで取り組んでもほとんど意味が無いよ、と。
それは提出物を出すということをこなしただけのことですから、そういったものには容赦なく「不可」の評価をつけています。
字が上手いか下手か、ではありません。
その子なりに丁寧に書いているか、ということを私は見ているのです。
ここまで読んでいただいて、当塾の書写に対する考えはわかっていただけましたでしょうか?
書写の効果については信じるも信じないも自由ですが、信じてやった方がより効果的かと思われます。
人は概ね自分がイメージした姿になっていくのですから、どのような思いを持って取り組むかは未来に繋がってくるでしょう。
私が実践して感じたことは、漢字の書き取りとはまた違った感覚で、学問の香りがする行為だということでした。
一風変わった宿題ですが、だからこそノルマと考えるのではなく読書をするかのように愉しんでもらえたら、と思います。