以前IQ(知能)について述べさせていただいた。スポーツや芸術などの分野と同様に学習の領域にもある程度「素質」「知能」なるものが存在することは否定できないのではなかろうか。教育虐待とはその存在を無視し、「やればできる」との偏った発想のもとに子供を追い込んでしまうことであろう。
昔、塾に来られたある親子のことは、私がうつ病で苦しんでいるときだったのでよく覚えている。父親は息子(Aくん)に自分の職業を継がせようとしていた。もちろん、Aくんがそれを望んでいるということを大義名分にしていたが。父親はそのために行くべき3つの中学校を指定してきた。
私は体調が悪かったが、父親の勢いに押され個人指導もせざるを得なかった。Aくんは自分から積極的に中学受験をしようと思っている生徒とは到底見えなかった。それよりも父親を恐れているようにも思えた。母親も父親の言いなりのような状態で、Aくんの気持ちを正しくくみ取ることをしようとはしていなかった。私はAくんに同情し、追い込んでしまうような教え方はしなかった。成績はなかなか上がらなかった。
特に国語が悪かった。模擬テストで一時限目の国語の時間に、Aくんは必ずトイレに行った。だから時間が足りず、最後まで解けなかった。私は「この症状は神経性のものであろうから何とかしてやってくれ」と父親に頼んだが無視された。
受験校について私は父親と交渉したがなかなか受け入れてもらえず、結局Aくんは3つの中学校には合格できなかった。私にとっても悔いの残るものであった。今の入江塾ではこのような父親を受け入れることはまずない。