異端――正統からはずれていること。
また、その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説など。(広辞苑)
「中世のキリスト教会には異端会議なるものがあり、教義の正統性を担保してきた歴史がある」そんなことを学生時代に習った。
その対象となった代表はネストリウス派であり、中国に景教として渡り日本の仏教にも影響を与えたという。
また宗教改革時のルターやカルヴァンの主張も旧教にとっては異端だった。
ところが前者と異なって後者は今や広く認知されている。
ただ、キリスト教と称している新興宗派の中には、現在カトリック教会及びプロテスタント教会から異端視されているものが少なくない。
タブーを犯してまで主張する内容が「正当かどうか」は情報のあり方や時代の流れで大きく変わってくる。
とはいっても、異端という言葉には「異常」的ニュアンスがある。
私が大学に入った頃は学生運動の最盛期を過ぎた頃であった。
30人程のクラスに突如、角棒を持ったヘルメット集団が入ってきて授業を妨害した。
初老の先生を小突いて、大きな声で「今から討論会をする。皆、異議はないな。」と言い放った。
誰も反論できない。
と、私の口からつい「反対!」という言葉が出てしまった。
彼らは「なに!!」と言って近づいてきた。
まわりの者が防いでくれたので何とか難を逃れた。
今や彼ら異端児の革命は不当なものであったことに異論はなかろう。
反面、異端は勇気を持って巨大な権力や既存の権威に立ち向かってきたという歴史もある。
直近では、英紙スキャンダルを告発したイギリスの元記者も、「中国ジャスミン革命」集会についてインターネットに書き込んだ上海市在住の女性弁護士も、その意味では異端者であろう。
そのような告発者が匿名で、また体制や権力の末端あるいは外部にいるならばそれほど驚かない。
そうではなく中枢部に属し(現役かどうかで違いもあるが)、実名で発表する場合には真偽は別にしてその行為を勇敢と思ってしまうのは私だけか。
先頃、日本でも政界、官界、法曹界、学界、医療の世界などで、その手の告発本が出版されている。
それも大手出版社から。
一連の流れの先駆者の一人が元原子力資料情報室代表の故高木仁三郎氏(東京大学理学部卒、理学博士)ではなかろうか。
そしてこの大震災を契機に氏の予言は見直されてきている。
翻って、私の属する塾業界。
今や教育産業として確固たる社会的地位を築きつつある。
中小塾を集めた業界団体のいくつかは政治家や官僚を呼んでパネルディスカッションなどを開催している。
企業として成長した同業者の中には政治献金などを行なっているものもある。
ただ、私は立場として体制や権力と距離を置くべきだと思っている。
私塾の原点である吉田松陰や福沢諭吉等(このような脈絡で御名前を出させていただくこと自体、畏れ多いと思いながら・・・・)がそうだったように。
ということは、私も異端の仲間入りができるかも?