「ある晩、いつもと違ってブラック・コーヒーを飲み、眠れなくなった。いくつもの構想が雲のように湧いてきた。
それらが互いにぶつかり合い、何組かが組み合わさり、いわば安定した組み合わせが一つできた。
翌朝までに私は超幾何級数から生ずる一群のフックス関数が存在することを証明できた。
ただ結果を書きとめればよくて、それには数時間しか掛からなかった。」(「天才の脳科学」・青土社より)
これはフランスの数学者アンリ・ポアンカレの回想である。
その本人が1904年に提出した「ポアンカレ予想」は百年もの間多くの天才達が幾度となく挑戦してきたが誰も解けなかった。
近時それを解決したのがロシアの数学者グレゴリー・ペレルマンである。
2006年この貢献により数学界最高の栄誉とされるフィールズ賞を受賞したが、それを辞退した。
その問題についていたミレニアム懸賞金100万ドル(約1億1000万円)にも興味を示さないようで、消息不明になってしまった。
フィールズ賞受賞者といえば京大理学部数学科の広中平祐氏を思い出す。
学生時代京都の高野の交差点で見かけ感動した。
フィールズ賞は数学のノーベル賞と言われるぐらい権威があるもので今まで辞退した者はいない。
先日同年輩の友人と会ったとき、2人とも京大理学部数学科出身の先生に個人指導してもらったことが話題になった。
彼の師匠S氏は家業を手伝う傍ら研究をしていたらしい。
彼は高校の数学がわからず悩んでいたが、S氏のお陰でクラスでトップになってしまった。
それも使用した教材は学校の教科書だけ。
「数学とは何か」ということを徹底して教えてくれた。
すると自然に成績が上がってきたというのだ。
彼は高校を卒業してアメリカの大学の理工学部に留学した。
私の恩師Y氏は当時京大数理解析研究所に所属しておられた。
私は大学受験指導を希望していたのだが、当初氏はそのことを理解してくれなかった。
自分が高2のときに考えた差分方程式の解の公式(大学に入ったらもっと簡単な方法があったという)のプリントを渡してくれたり、大学レベルの集合論の話をしてくれたりと、私は途方に暮れるばかりであった。
私の数学の学力レベルがどれほどのものかも考えてくれていなかったのだ。
思い切って「大学受験に出る問題の指導をして下さい。これからボクが問題の範囲を指定します」と言ってしまった。
意外にも気持ちよくこちらの希望に沿ってくれた。
氏が問題を解くときに考える仕種や書き方などが知らず知らずのうちに似てきた。(楽しそうに解いているので、つい真似てしまうのである。)
聞けば聞くほどどこまでも納得できるまで教えてくれた。(私はこのことを次のように例える。ウィスキーを水で割っていったとき、安物はどこかで水くさくなるが、本物はどこまでもうすくなる。)
数学が一番好きになり解くことが楽しくなってきた。
大学にも合格できた。
英語、数学、国語、日本史、世界史、生物のなかで数学の得点が一番良かった。
友人と恩人である数学者2人の能力のすばらしさに感謝したが、彼らが少し変わった人達であったことにも同感した。