私は母親ゆずりなのか、身体は弱い方だと思う。とはいえ、大きな病で入院したことは今までなかった。
病気のことを列記すると、まず小3の頃、麻疹にかかって何日か寝込んだことを覚えている。小5の頃の百日咳は辛かった。咳がいつまでも続き、はげしい咳のときは戻すこともあった。その影響で気管支拡張症を持つことになる。
中学受験期には体調を崩すことが多かった。高熱が出てうわごとを言ったとき、母は私を抱いて「もう受験は止めよう」と思ったという。
第一志望の洛星中学に入学しても体調は悪かった。朝から喉がえがらっぽく、下痢などもよくしていた。抗生物質なども飲んだが一向に良くならなかった。その頃の医学では解明できていなかった、今でいうストレスからのアレルギー症状であったのではないかと私は思っている。何しろ、小学校では成績上位であったのだが、優秀な生徒達が集まっている中学校では下から数えたほうがはやい程の学力であった。身体も弱かったのでスポーツ面でも思うようにいかず、劣等感の塊であった。自分の学力を知られるのが気になり他の学校の生徒と交わることを避けたかったので、塾には行かなかった。
高2の頃、ようやく知能の違いを自覚し、成績の良い連中に学習の仕方などを聞いたり、まねたりできるようになった。一浪の5月頃の模試で良い成績が出て希望が持てるようになった。ところがその後、体調が悪くなり、軽い結核との診断を受けた。医者には受験勉強には支障がないと言われたが、全くやる気をなくしてしまった。数か月を棒に振った。高卒後、数学科専攻の家庭教師がついてくれていたので数学には自信があった。しかし、暗記科目的な日本史、世界史、生物が全くできていなかった。秋めいてきた頃、通信教育のZ会の会員の投稿欄に載った心臓病の女の子の文章に感動した。「担当の医師から大学受験の許可が出た。受験勉強できることがとてもうれしい。」という内容だった。私は11月、12月、1月、2月と猛勉強をしたが、緊張もあったのか身体は何とか持った。京大法学部に合格した。
大学生活を始めてから自由を満喫し、身体は嘘のように健康になった。