精神科医、精神分析学者の土居健郎の著した『「甘え」の構造』は1971年に出版されベストセラーとなった。
本書によると、「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造をわかるための重要なキーワードだという。甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義する。この行動を親に要求する子供にたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるべきだという。
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私は映画「男はつらいよ」シリーズが好きだ。DVDやBS放送で繰り返し観ている。次のシーンはどんな場面か分かっているのだが、飽きが来ないのである。なぜならこの映画は私にとっての原風景だからだ。
私は24歳の頃、司法試験の勉強と称して親を説得し、京都の実家を出て東京に1人暮らすようになった(それまで2年ぐらいは家で勉学のふりをしていたが、何しろ親元を離れたかった)。私の祖父、そして父も弁護士で、小さい頃からその道があたりまえのように思って生きてきた。吉祥寺の伯母の家からは少し離れた所に借りた東京のワンルームはマンションとは名ばかりで隣の部屋のテレビや足音などが聞こえ、ボンボン育ちの私には耐えられない環境であった(もちろん家賃も生活費もすべて親がかりであった)。予備校にはバスに乗り国鉄(現JR)中央線に乗りかえて市ヶ谷まで行くのだが、それだけで疲れてしまい、時々寝過ごして東京駅まで行くこともあった。場末の居酒屋に通うようになるにはさして時間はかからなかった。皆がホッピーというビールのようなものを飲んで生き生きとしているのが不思議に映った。私の心には底知れない罪悪感と寂寥感が漂っていた。
そんなある日、三鷹駅南口近くの古びた映画館に「男はつらいよ」の三本立てを観に行った。平日の昼なので観客もまばらで、足元には缶などが転がっていた。そんな所が私にとってはとても居心地がよかったのである。スクリーンに映る寅さん、さくらさん、ひろしさん、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、そんな気のおけない人々と、私はその世界にいた。帰る所のない私にとって寅さんは夢のような存在であった。
問題を起こしては実家を飛び出し、ほとぼりが冷めた頃に故郷に戻ってくる。そんな寅さんは「甘え」の象徴だと指摘した人がいた。「甘え」を受け入れる日本社会だから映画「男はつらいよ」は人気シリーズになったのだと。しかし、「甘え」て生きてきた私にとっては大切な映画だった。この「甘え」に出会わなければ私はどうなっていただろうか。
ただ、私は1年もたたず強制的に実家に戻された。そこは寅さんとちがうのだが。