私の母は姉との2人姉妹。その姉すなわち叔母は成績優秀で、同じく頭脳明晰だった祖母と気が合ったという。そのような中、母は劣等意識で育った。将来、夫となる私の父に対する盲従はこれが遠因であろうと思う。
父は早くに父親をなくし(当時流行したスペイン風邪が原因だったという)母子家庭で育った。裕福ではなかったが、旧制五高から京大法学部へ進んだ。そして学徒動員の後、終戦。大学卒業と同時に母と見合い結婚。その後、司法試験に合格し、司法修習を経て裁判官に任官。初任地の新潟時代に私が生まれる。私が小学校1年になる時、大阪で弁護士となる。
父は「女・子供」を目下に見ていたが、そんな父を母はとても尊敬し、従順に仕えていた。柔道の黒帯でもあった父は人並以上の体格をしていた。私は病気がちで、身体も貧弱であったので、母からよく父と比較された。
成績の面でも私はほめられた記憶がない。常に父の方が上だという前提があった。育ちの面でも苦労して育った父に対し、何不自由なく暮らしている私は母にとって生ぬるい存在であった。私は父母の敷いたレールに乗って、洛星中学・高等学校、京大法学部へ進んだ。大学時代、父は私に「アルバイトなどせず、お前は勉強だけしていればよい」とある意味苦労させまいと思っていたようだ。しかし、結局父と対立し、大学を中退してしまった。
今私は、自己肯定感を持って自分の人生を自らの考えで進んでいくことが、人間としては幸せだと思っている。