私は小学校の1年から3年までの3年間、大阪の堺は浜寺で過ごした。
住まいは団地で、海にも近くまわりはまだ田畑もあり遊ぶ場所には不自由しなかった。
学校の宿題は帰宅後すぐにするよう厳しく言われたが、それ以外に勉強はあまりしなかったように思う。
学校の成績は中程度だった。
クラスには優秀な子がいて、「どうしてそんなにできるのだろう」と思っていた記憶がある。
かけ算で九九を習った時である。
私はなかなか答えられなかった。
できない子は昼休みに特訓を受けた。
百マス計算のような表の空欄に棒で指されすぐに答えなければならない。
その棒を握っているのは先生から選ばれた生徒だった。
今から思えば屈辱的なことだったといえる。
4年で京都に引越しすることになった。
担任の先生から言われた。
「入江君、大阪はレベルが高いから、京都ではあなたならきっと一番になれるわよ。」
私はそれを信じた。
京都に来てから熱心に学習もした。
気がつくとよくできる生徒としての自分がいた。
「やっぱりあの先生の言われたことは本当だったのだ」と納得した。
ところが、大阪のときと同じ業者のテストを実施していたことが後にわかった。
レベルが違ったのではなく、私自身が変わったのであった。