私の人生(19)
長い歴史をもつドイツ精神医学では、病的な躁状態やうつ状態を呈する疾患である『躁うつ病』を、統合失調症と並んで2大精神病の1つとして扱い、内因性精神病の一方の代表と見なしていました。
「脳の病気のすべてがわかる本」矢沢サイエンスオフィス編 Gakken
ここで表現されている躁うつ病は現在では気分障害と言われ、躁状態をともなううつ病(双極性障害)、それをともなわないうつ病、そしてそれらに比べて発症数の少ない躁病に大きく分類される。
しかし、冗談だとは思うが作家の北杜夫氏の言われるように「躁とうつの周期が例えば100年単位であれば一生うつ症状のままの躁うつ病患者もあり得る」。
そう言えば私が体調異変を感じ出す前の自分は躁状態だったかもしれない。
いずれにせよ当時この病に偏見を持っていた私には、「世間には知られたくない精神病に罹ってしまった」というショックから遠ざけてしまっていた記憶がある。
それは重度のうつ病になった元講師のことである。
彼は元大手進学塾の室長だったが、そこでの激務で体調をくずし退職後、私の塾の非常勤講師となった。
さすがに生徒の扱いもすぐれており、授業も好評だった。
何年か勤務してくれたが、ある会食の時「うつ病の薬を飲んでいるのでアルコールはダメなんです。」と言われ、私の呑み相手が1人少なくなることを残念に思ったことがある。
それから何ヶ月かして“当日欠勤”が目立ち始めた。
体調が理由とはいえこちらとしては仕事上困ってしまった。
ある日「うつ病がひどくなったのでしばらく休ませてもらいたい」という趣旨を丁重な表現で記した一通の手紙が届いた。
心配して彼の担当医師を紹介してもらい病状を聞きに行ったことがある。
初めて神経科病院の門をくぐった。
当時はこんな所に来るのは特殊な人だろうと他人事のように思っていた。
その後彼は自室で1人養生していると聞いていたが、ある時銀行のATMの所でバッタリと会った。
お互い挨拶はしたが、彼は気まずそうにしていた。
その姿、様子は痛々しいとしか表現できなかった。
今の私だったら温かな言葉がかけられたかもしれないが、その時の私にはそんな一言は何も思い浮かばなかった。
それから何度か連絡をとり合ったが、だんだんと音信不通に。現在は元気にしているのだろうか。
(内容的に重複するものだったので、2009年のブログをほぼそのまま掲載させていただきました。)