利己的遺伝子
生き物は長い時間をかけて姿を変えながら生きのびてきた。
それに気づいて多くの人を納得させる説明をつけたのがダーウィンである。
……ダーウィンには説明できない事実もあった。
ハチやアリは、たった1匹の女王のために、自分は子孫を残さない数百数千の働きバチや働きアリが「尽くして」いる。
これら、自らを犠牲にする行いを説明するために、個の生き残りではなく、遺伝子の「生き残り」に注目したのが英国の動物行動学者リチャード・ドーキンスである。……
これは、1976年に刊行された「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス著)の日本語訳者である故日高敏隆氏がある新聞に書かれた文章である。
この遺伝子淘汰説は「利己的遺伝子」という挑戦的な題はもちろん、「生物(個体)は遺伝子のヴィーグル(乗り物)である」という独特のたとえもあり、たちまち世界的なベストセラーになり、また多くの論争を引き起こしたという。
特に反論したのはキリスト教界だったのではなかろうか。
ドーキンスの言う「遺伝子(広義)」は聖書の「神」に相対するものだからである。
生物の上位概念としての遺伝子(広義)によって生物は自由に操られるのである。
すなわち全体の生き残りのためなら個の犠牲は容認されるのである。
この説によれば一部の遺伝子(狭義)の淘汰の結果、全体の調和がとれているのだと考えられる。
単純に言えば「親玉の遺伝子(広義)は敵に勝つために部下の遺伝子(狭義)に自己犠牲の命令を与えている」とでも言えようか。
利他行動がもし遺伝子レベルの問題とするならば、ドーキンス流表現では「利己的遺伝子は利他的遺伝子を支配している」となるかもしれない。