キリスト教における愛
……キリスト教では一つの道というものがあり、その道はイエスを通じてしか成就できません。
それはパウロが言う「愛」の道です。
その「愛」の世界とは男女の恋愛とは少し違うもので、「人を救うためには自分の命を捨てよ」という思想です。……1)
この引用文は、今年1月に出版された「科学と宗教と死」(加賀乙彦※ 著 集英社新書)からのものだ。
戦時中、市街地の焼け跡で見た死体の数々。
子どもの頃のこの原風景によって怖ろしい存在であった死が、医務技官として接した死刑囚の信仰心によって著者は劇的な変化を遂げる。
しかし精神科医でクリスチャンである氏は他宗教を否定しているわけではない。
―私は仏教を非常にすぐれた宗教だと思っているので、親鸞や道元について原著から読んでキリストと比べてみると、例えば親鸞などは非常にキリストに近い人間だと感じます。
キリスト教の本質は、自己犠牲です。
自分の身を捨てても助けたい。
自己犠牲によって人を救う。
親鸞はそういう人間だと思います。2)
私は仏教やイスラム教についても、キリスト教と同じように尊敬すべき宗教だと思っています。3)――
とは言え、氏は宗教の中でも自己犠牲を教理の中心に据えているのはキリスト教であると考えておられる。
新約聖書では「イエス・キリストは十字架上で人々を救うために死なれた」ことが記述されている。
これは「神の愛」の表れとされるが、まさに「究極の利他行動」の象徴と言えよう。
そして聖書では「自力で他人を愛することはできない。
神(キリスト)に愛されていると確信している者こそ他者を愛することができる」というのが論理的な帰結である。
すなわち犠牲的利他行動の根源は神の愛ということになる。
それではキリスト教徒しか自分の命を捨てる利他行動はできないのだろうか。
加賀氏はそれを強調されない。
ただ、私としては少なくとも「誰かに真に愛されている」人間にしか死を前提とした利他行動はできないと思っている。
1)「科学と宗教と死」 p.129
2) 同 p.80
3) 同 p.97
加賀乙彦(かが おとひこ)
1929年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。
東京拘置所医務技官を務めた後、精神医学および犯罪学研究のため
フランス留学。東京医科歯科大学助教授、上智大学教授を歴任。日本
芸術院会員。『小説家が読むドストエフスキー』(集英社)、『死刑囚の記録』
(中公新書)など著書多数。2011年度文化功労者。