「帝王学」
① 帝王になる者がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修業。
② 社長など人の上に立つ者に求められる修養。
―広辞苑より―
11月22日、会社法違反(特別背任)容疑で業界大手のD製紙前会長、I容疑者(47)が東京地検特捜部に逮捕された。
豪遊が過ぎて子会社から総額106億8,000万円ともいわれる巨額の資金を借り入れたという。
愛媛県創業のD製紙はI容疑者(3代目)の父親で元社長、T氏(74)のもとで急成長した。
彼の育てられた経緯を一部のマスコミは「帝王学」と表現した。
皮肉まじりでそんな言葉が出てきたのだろう。
一方、彼の幼少期における竹刀を持った父の存在は一見「帝王学」らしい。
他方、父が彼を愛媛から東京までジェット機で中学受験のために塾に通わせ、東大卒の社員を家庭教師につけていたという。
それも「帝王学」としているが、それは「親馬鹿」と言っていることと同じようである。
そんな結果、彼は名門、筑波大付属駒場中学に合格し、同高校から現役で東大法学部へ進む。
結局、帝王学=マインドコントロールということか。
私は彼に同情する。
彼のような人物をつくりあげたのは親族であり、教育機関である。
特に父の責任は大きいだろう。
らつ腕経営者とされ、厳格で知られた父だが、彼に対しては教育パパであり、厳しさを取り違え、実は甘かったと思う。
受験に合格したとき社内会議で自慢していたというのはその現れか。
また教育機関も問題だ。
その中でも私どもと同業の中学受験塾。
そこは合格実績と金儲けのために彼を受け入れたのか。
私の担当は中学受験部門だが、名門進学校を目指す子供達には「人間性が大切だ」と常に言っている。
「他人を見下したり、だましたりするような人間ならばオレは受験の手伝いをしない。そんなヤツがヘタに権力を握って人の上に立てば大変なことになるからな。」と力説する。
成長とともに彼は「俺は東大法学部を出ている。ほかの企業の創業者一族とは違うんだ。」と自負する反面、高校時代からのギャンブル依存症の傾向を見せていたという。
また政治家や芸能人、高級官僚と豪遊しながらも、周囲では世間知らずのお坊ちゃん「裸の大王」と呼ばれていたそうだ。
「本当の友達らしい人も少なかった。孤高かつ孤独だったのかもしれない」との声もある。
しかし、20才を過ぎれば自分の行動は自分で責任をとらなければならない。
彼の悲劇はその判断能力が育っていなかったことにある。
だからといって法的責任能力を心情的に緩和することはできない。
先日もオウム裁判終結のニュースに登場した元担当裁判官は、確定囚の犯行動機や事件の再発防止に関する質問に「司法の限界」を強調した。
裁判官であった私の父も成人に対する法的自己責任に関しては厳しい立場だ。
ただ、私は判決及び処罰は法治国家として受け入れるとしても、その犯罪がなぜ起こったのか、その検証を積極的にしていかなければ古代国家の応報刑となんら変わらないのではないかと思う。
特に幼児期から少年期の環境(親及び隣人の各種障害、プライド、エゴイズム、虐待、放置、不在等)、あるいは本人の持って生まれた各種障害(脳の気質的問題も含む)から来る性格、行動傾向の分析(※)は司法の現場ではほとんどなされていない。
私が学生時代に習った刑法学における少数説―社会防衛論、教育刑論は進化してまだ生きていると信じたい。
※ 「犯罪精神医学入門」 福島章著 (中公新書)
「殺人者はいかに誕生したか」 長谷川博一著 (新潮社)
「発達障害のいま」 杉山登志郎著 (講談社現代新書)等