公僕・・・(公衆に奉仕する者の意味)公務員などの総称。
-広辞苑―
ここ最近、公的職業に就いている者の一般的評価はあまりよろしくない。
私の父は元公務員だったし、同級生、知人、保護者の中にもいろいろな形で公的業務に携わっている方々もおられる。
どちらかといえば立派な人の方が多い。
だから私はそれらの意見すべてに賛成するつもりはない。
ところがそのような身分(「税金でメシを食っている」という意味もあろうが)の者を無価値と一刀両断に切って捨てる言われ方がある。
その著書で高山正之氏は「官僚は犯罪者」、佐高信氏は「官吏は人間のクズである」と表現している。
ただし、両ジャーナリストの意見は一般受けはしていないと思うが(失礼)。
私の議論仲間は、昔からよく「公務員はドロボウの始まり」と主張していた。
何を馬鹿なことを言っているのかと思っていたが、当人は本気なのである。
「小学生の息子(今は高校生)に公務員である教師に向かってそれを言わせている」と言うではないか。
そんなことは信じられなかったが、ある日食事に招かれた。その中での出来事。
「おいK(息子の名前)、公務員は!」と父が言うと小学5年生の子が「ドロボウの始まり。」と応えたのである。
さすがに驚いたと同時に、何という教育をしているのかと憤りさえ覚えた。
私の大学時代、官僚の御三家は大蔵、通産、自治であった。
東大の成績で優がいくつあるかでまず受験資格が決まっていたようなものだ。
それだけ勉学に励んできて、また実際の仕事も激務らしい。
だから良い待遇が与えられるのも当然と思われていた。
しかし、ここに来て日本での「年金問題」「官僚主導の弊害」「東日本大震災における対応」「原発問題」、中国・ロシアでの「官僚の腐敗」、ギリシャでの「財政危機」など世界的にもさまざまな形で問題が出てきている。
昔に比べ役人に対する一般市民の信頼度は揺らいでいるように思われる。
特に日本では官僚になるようなエリート層は進学塾に通っていた割合が高いだろう。
故に、塾もその責任の一部を担わなければならない。
30年程前、有名塾の公開模試で事故が起こった。
狭い階段で1人の生徒が倒れて踏み付けにされたのだ。
誰も助けようとはせず、我先にと教室に行った。
怪我を負ったその子は病院に運ばれたが、試験は平然と行なわれたという。
この世代がこれから官僚の中核になるのである。
他人を思いやる気持ちが欠如したまま成長した者が日本の政治を動かす。
それが現実とすればそら恐ろしい限りである。
もし国家・国民の幸せよりも出世欲を優先し、あるいは自己保身に汲々とし、蓄財に専念する公務員がいるならば、その者はもう一度「公僕」の意味を考えてほしいものである。