息子が大学院に行くようだ。(間接的にしか情報が入らないのでこんな表現になる)。
私の学生時代のイメージでは、大学院進学は特別な企業採用のためか、学究のためかしか考えられなかった。
工学部の連中は大学院に行けば、担当の教授に責任を持って企業を紹介してもらえたようだ。
私がいた法学部の場合はよっぽど優秀な者しか行けなかった(もちろん外国語2科目は必須)。
数も少ない。
助手になるコースとともに、教官、学者になるのが前提であった。
他の大学院はよくわからないが、理系、文系ともに就職に関しては安定していたのではなかろうか。
「青年期の今しか学業に専念する時期はない。だからそれもよかろう」と思っていたのだが、いくつかの新聞記事を読んで考えさせられた。
1) 1991年度から東大法学部を皮切りに国立大学の「大学院重点化」が始まった。
2) 理由は、国連・世界銀行などの就職には修士号取得が採用条件とされているため。(巨額資金拠出の見返りに日本人の職員枠は大きい。)
3) 結果その1. 大学院生の数は20年前と比べて国立大学を中心に3倍近くに膨らんだ。
4) 結果その2. 定員が膨らんだ旧帝大系の国立大が私立大からの院生の受け皿になっている。
学部の入試よりも大学院が入りやすい大学があるという。
大学院生が定員に対しゼロの大学も地方の私立では少なくない。
5) 結果その3. 大学院を修了しても就職は容易ではなくなっている。
就職率は修士・博士課程で6~7割だが、一般的に理系に比べて文系の就職率は低い。
かつて大学院は限られた研究者や大学教員の養成機関だった。
1990年代以後は定員増にもかかわらず、企業や役所などからの採用ニーズが頭打ちになっている。
ただし、文部科学省の2010年度学校教員統計調査によると、大学院の修士・博士課程を修了した公立学校教員は増えている。
6) 文部省(当時)による大学院重点化策とともに、教養教育(以前の大学1、2年 教養課程の履修科目にあたる)の規制緩和策が就職難に拍車をかけた。
長期間に渡って専門化教育を受けた人材は即戦力を求める一般企業には魅力的ではないからだ。
7) 結局、文部科学省の制度設計が実態に合わなくなっている。
なかなか厳しい状況だ。
本人に「家系に研究者・学者はいないからあきらめろ。」と言いたいが、もう遅い。
まあ、世の中の仕事は多種多様。
「いざとなったら、なんとか生きていくことはできるだろう」と楽観視はしているのだが。