私の青春の一片とでも言おうか。そんな思い出を強烈に蘇らせてくれる投稿記事に出会った。
夢の医師へ 病乗り越え受験
受験生 北井 遥香 (大阪府羽曳野市 15)
私はもうすぐ高校受験に挑みます。
去年は病気治療のため、進学を諦めざるを得ませんでした。
医師になるという夢をかなえるために、全力を尽くしたいと思っています。
私の父は放射線技師、母は看護師です。病院で働く両親の姿に憧れ、将来は病院で働きたいと小さな頃から思っていました。
夢を真剣に考えるようになったきっかけは入院です。
中学3年生の冬、脳腫瘍が見つかったのです。
入院中は医療現場を間近で見て、医師という職業に改めて魅力を感じました。
半年間の入院で病気はよくなりましたが、腫瘍の後遺症で、多忙な小児科医の夢は絶たれました。
今の夢は、放射線科の医師になることです。
私の病気は、MRI(磁気共鳴断層撮影装置)の画像でわかり、入院中の放射線治療に救われました。
父の仕事柄、画像診断に興味があったのも理由の一つです。
もし夢がかなったら、私を助けてくれた画像診断や放射線治療で、今度は私が患者さんを助けたいと思います。
そんな「恩返し」ができるよう、志望校を目指して頑張ります。
朝日新聞 2月2日付
京都で18才、私は大学受験の浪人生だった。
いくつかの事が重なって目標もはっきりせず、そして意欲もなく漫然と日々を過ごしていた。
何が原因だったのだろうか。
根本的には「大学受験は自分にとって何なのかということを自覚するだけの精神年齢の欠如」がその土台にあった。
そこに、第一志望を東京の大学にしたかった私の願いが父に通じなかったこと、夏前に胸を患って夏期講習での飛躍の夢が断たれたこと(東京の伯母の家から予備校に通う予定だった)、そして何よりも大きな要因は私の「知能が暗記に向いていない」ことだった。
このようなことから7月から10月にかけて、受験勉強はほとんどしなかった。
予備校にも通わなくなっていた。
学習時間といえば、週2回来て下さるY先生と一緒に数学の世界に浸る間だけだった。
ごろごろとベッドで過ごし、筑摩書房の現代日本文学全集と河出書房新社の世界文学全集、そして受講していた通信教育の旬報などを読んで時間を潰していた。
旬報は、解答・解説より毎回「会員の声欄」に目を通していた。
そんなある日に送られてきた10月下旬号、そこに私にとってまさに衝撃的文章が載っていた。