(「山村留学 その2」 のつづき)
このフリースクールには夏の盆時期、冬の年末年始、春の年度末にそれぞれ1週間程の帰省期間があった。
24時間生徒の面倒をみているK先生御家族にとって、これは水入らずの大切な時期であったにちがいない。
しかし、事情があって親元には帰れない子どもがいたり、もとの木阿弥となり戻ってこない生徒(中には親自身も心変わりする場合も)がいたりと全く仕事から解放されたというわけでもないらしい。
息子はその年の暮、正月休みのため家に帰ってきた。
独裁者である私との父子の会話は全く無い。
思い切って話し掛けた。
「お前、高校はどうする。受験するなら、広島か京都かも決めんといかんしな。」すると彼はキッパリ「京都で受験したい」とこたえた。
本人の明確な意思表示を初めて聞いたような気がした。
私は「今のフリースクールでは本格的な受験勉強はできないだろう」と判断していたので、どうしたものかと思案した。
ここまで成長した息子に自由を与えてやることも必要かと感じていた。
翌年の2月、息子を京都に戻した。
彼は地元の公立中学(フリースクールに行きながら在籍はしていた)に通い始めた。
専門である中学受験指導で失敗した私が高校受験に関して口出しするわけにはいかない。
また、今までの経緯から高望みもしてはいなかった。
ただ自ら「したい」という高校受験を思い通りにさせてやりたかった。
そして、他塾に通わせることは考えなかったので、育星舎のパートナー・林部に全幅の信頼を持って息子を預けた。