「私には夢がある!いつの日か、ジョージアの赤土の上で、かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座る日が来ることを。・・・・」
これがキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏)の1963年に行なった有名なスピーチ「I have a dream」の一節であることを御存知の方も多いだろう。
そしてこれはまたジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び20世紀のアメリカを代表する名演説として有名であるという。
「人種差別の撤廃と各人種の協和」という、当時のアメリカ合衆国においては不可能と思われた彼の夢は多くの人々を動かし現実となりつつある。
その流れの1つの大きな出来事が2008年の秋に起こった。
黒人であるバラク・オバマ氏のアメリカ合衆国大統領就任の決定である。
そして彼も夢について語った。
「米国にあらゆる可能性と夢が残っていることを疑う人がまだいるなら今夜こそその答だ。・・・・」(11月4日深夜の大統領選挙勝利演説)。
彼自身アメリカンドリームの体現者であるが故に人々の彼に対する期待は高まっている。
1月の大統領就任演説を聞こうと当日ワシントンに全米から数百万人が押し寄せるといわれている。
日本では考えられないことだ。
ところで人間は夢に酔いしれることがある。
自分で夢をつくり出す場合であっても、他人の夢に共感する場合であっても、快感を伴う夢には快楽中枢を刺激する何かしらの脳内物質が関係しているように思う。
それは麻薬などのように社会的に問われることはない。
そこで問題になるのは夢の質あるいはその目的である。
特にカリスマ性のある人間は人々を夢で動かす能力を多かれ少なかれ持っている場合が多い。
その夢の根源が悪の場合、それによって犠牲者が生まれ人間社会は変容する。
それを利用する輩は政治、経済、宗教果ては性的な世界にうごめいている。
それを見分ける力を与えるのが教育だと言いたいところだが、そうとも言えないのが実情だ。
ある教育コンサルタントの話を思い出す。
それは、「心に響かせる仕掛けによって生徒・保護者は動く」という内容だったと思う。
そのお陰で聴衆である中小塾の大勢は誘い込まれるように自塾の繁栄の夢をみさせてもらった。
ところが、「これは他のことにも使えますので、むやみに使わないで下さい」との注意がつけ加えられた。
もちろんその時私たちの多くはその方の講演にすでに感動していたのだが。
以前、育星舎のホームページに設置された掲示板に、「先生や親から夢を押しつけられるのはいや」という意見があった。
これは「与えられた夢の危険性」というものに直観的に気づいた意見として見れば正しいとも言えるものではなかろうか。