私が大学の法学部に合格し浮かれていた頃、叔父から「法学部にアがつかないようにせいよ」と言われました。
そのときは「何を言うてるねん」と気にもとめなかったのですが、それから数年して気づいてみると私はそのとおり名ばかりの大学生になっていました。
今にして思えばその注意にもっと耳を傾けておけば一端のエリートになっていたかもしれません。
いや、その時の頭では理解できなかったでしょうが。
早稲田大学名誉教授 大槻義彦氏の近著「子供は理系にせよ!」は私のような文系人間をコテンパンに叩きのめしています。
はしがきで「本書は文系をこき下ろし、徹底的に理系礼賛、科学至上主義で貫かれている」とすでに書かれています。
本文ではまさにそのとおりの表現がふんだんに使われているので驚くより呆れてしまいます。
「彼ら(文系)は学生時代のろくでもない生活を卒業後も悔い改めないから、①遊び呆け、②馬鹿なお金儲けをやり、馬鹿なお金を使い、③馬鹿な友人たちを持ち、④生活が乱れ、⑤子供の教育どころではないはずだ」
「日本の中枢を担ってきたのは文系である。ところが、この国をダメにしているのもこの文系の連中だということがわかってきた」
一方、理系の良さもかなり強調されているのですが、これは参考になるところがあります。
「理系が冷遇されていたのは昔の話。現在では理系のほうがむしろ有利になっているのだ」
「理系は就職に問題はなく、転職も自由自在、自分で起業しても成功し、理系フリーターも増えつつあり、これが結構良い商売なのだ」
「文系の学生数はもともと膨大で、・・・・その中でも選ばれた者でないかぎり、出世の道はけわしい」
「・・・・これに対し理系は、数%の落ちこぼれを除いて、まず極端な落伍者は出ない」
「その上、理系の仕事は努力して報われないということはほとんどないのだ。・・・・しかし仮にそうでなくても、失敗の責任を問われることはほとんどない。・・・・失敗の連続が研究というものだ」
なるほど私も理系になれば良かったと思わせる。
もっとも、「ただ人体は器械にすぎないことは言うまでもない」と断定しているのは氏の科学至上主義を表すものと思われますが、科学者のどれ程の割合がそのような見解に立っているのでしょうか。
元・東北大学大学院医学研究科教授 山鳥重氏の「実際は脳は機械ではない。脳は生命過程であり、それも主体=心理現象を生み出す母なる過程である」との主張の方が私には重みを感じます。
ともあれ、アホウな文系であった(過去形にしたい!)私が理科実験教室を運営し、多くの理系を育てようとしてきたことは今や大槻氏にほめられることではないでしょうか。
「日本の将来を考えると、理系の人間を増やすことがきわめて重要なのだ」