塾講師をしていると話すと大抵の人からは「大変ですね。」と言われます。
それが中学受験となるとなおさら。
今、世間では学校教師の労働の大変さが取りざたされていますが、それと重ねて見ているのかも知れません。
でも、本当に大変なのは生徒の方でしょう。
小学校から帰ってきて、休憩や食事もそこそこに塾に向かうのは本当に大変。
朝から晩までスケジュールが決まっていて、体調が万全とは限らないでしょう。
そんな大変なこどもたちをしっかり支えるのは大人の役割で、学習塾では生徒が元気よく学習できる環境を整えて出迎えています。
我々塾講師はそのために日々準備をしているのですから元気で当然で、生徒から見て暑苦しく感じることもあるかも知れませんね。
それはさておき、我々大人がどのように塾の雰囲気を作り出すかで、生徒の充実度は変わってきます。
これは重要です。
入江塾は「楽しい中学受験」を掲げていますが、それが大事であることは私の中学受験時代を思い出しても頷けます。
通塾中の風景、塾の仲間、そして個性的な先生たち。
小学校の環境とは全く違うところで過ごすのは新鮮な感覚で、その中で成績を上げていくのは心地よかったことが思い出されます。
私は塾が好きでしたが、しかし、塾を勉強をしに行く場所とは見ていなかったと思います。
当時の私の感覚としては、授業中の先生とのかけあいが面白かったり、休憩中に遊ぶのが楽しかったのです。
しかしそれらが目的とはならず、最終的には学習に結びついてしっかり勉強していました。
塾とは先生がそういう雰囲気を作っていた場だとわかったのは随分後のことです。
生徒は先生のどこを見ているか。
彼らは子どもなりに大人としての人間力を推し量っていることは確かです。
決して勉強を教えてもらうだけの存在ではないんですね。
だからただ勉強しろ、というのでは生徒からは受け容れがたく、何か心を動かすやり取りがあってはじめて「じゃあ勉強してやるか」となるのです。
これは何も上から目線ではなく、講師主導で指導を受けるこどもにとっては当然のことです。
だから授業中に小ネタをはさんだり、生徒とコミュニケーションをとったり、そんなことが生徒のやる気に繋がるということを意識しています。
更に人間性ということに言及すると、生徒を引っ張る力というのは大切です。
しかしここでも無理やり引っ張る先生というのは好まれません。
我々もある意味では人気商売ですから、堅苦しくばかりしても仕方ないのです。
普段どれだけ生徒を楽しませて面白がられている講師でも、いざ重要な場面で「この先生にだったらついていきたい」と思わせれば充分なのです。
面白いだけでなく色々なタイプの先生がいますが、生徒を惹きつける力があれば生徒はその先生についていきます。
いわゆる師弟関係ですが、それが成立すれば最大の学習効果を発揮します。
だから、生徒には良い講師との出会いをしてほしいと思っています。
小学生にして本格的な受験というのは、加減を間違えると相当過酷なものになります。
入江塾には他塾から転塾してくる生徒がいますが、勉強時間、宿題量がハードな環境にいたために元気を無くしてしまっている場合もあります。
彼らは頑張ろうと思っても、既にやる気が出ません。
その状態で無理に勉強をしても空回りするばかりです。
どうすればそういう状態から立ち直れるのか?そもそもどうすればそういう風にならずに済むのか?
そこに楽しさが関わってきます。
楽しさとは、ただ面白く楽なものではありません。
何のために受験し、何を目標とし、どれくらいの努力をするのか?
それを自覚し納得できる余裕を持つために楽しく過ごせるようにするのです。
ですから入江塾の演習指導では生徒が楽しそうに先生とやり取りをしています。
夏期講習や冬期講習などでは、休み時間におやつを配ったりします。
システム面でも授業の時間はコンパクトに収め、習い事などを含めて生活スタイルをなるべく崩さずに通塾出来るように時間割を組んでいます。
そうして楽しい空気の中に居ながらもしっかり勉強はしていきます。
学習塾の最大の使命は生徒の志望校合格であり、そのためには勉強を目いっぱいさせることが先決のようにも思われることでしょう。
しかしながら生徒は小学生のため、自分で学習量を調節することができません。
こどもが反発しないのをいいことに長時間勉強させるというのも虫のいい話です。
こども時代をこどもらしく過ごさせてあげるというのも大人の役目でしょう。
そして、そうした方がこどもは将来的には大きく成長します。
入江塾の生徒は受験前まで余力を残し、直前でラストスパートをかけます。
ですから、受験の直前まで学力が伸び続けます。
そしてその間に培った学習習慣はその後の学校生活でも役に立つのです。