私の人生(9)
またここで、長部日出雄が提示した「スサノヲ」としての太宰治イメージも理解の手がかりになるでしょう(『神話世界の太宰治』)。
亡き母を慕ってやまぬスサノヲは怒れる父によって追放され、高天原で暴れまわって姉アマテラスを困らせます。
それは、強烈にして厄介な駄々っ子の典型です。
長部は、スサノヲの「古代の過激派もしくは無頼派」ともいえる行動や、またその裏にある王権をめぐる争いに、太宰の、生家や長兄に対する甘えと反抗の姿勢を見ようとします。
こうした反逆する駄々っ子の、結局は強大な現実の前に敗れ去るしかないすがたには、世の顰蹙(ひんしゅく)を買い大人たちを呆れさせつつも、なおどこか憎めない、と感じさせるものがあるのだともいえるでしょう。
「太宰治」 細谷博著 岩波新書 p.35,36
分教室を探すよりも、本部教室ごと移転してしまうという発想の大転換。
そのためには多額の費用がいる。
また、器としての教室の面積は2倍ほどになる。それに見合う生徒数を確保しなければならない。家賃7万の木造物件を借りるのと訳がちがう。
まず費用はどうやって工面するのか。
個人として銀行から借り入れるだけの信用も担保もない。
このような無謀な計画に賛同し、協力してくれる者など周りに全くいない。
積極的思考なるものが最終的に行き着いた所は「父の保証で銀行から融資を受ける」という何とも呆れた甘い考えであった。
20代には親にさんざん迷惑をかけておきながら、その反省を自覚して生活していたのかどうか疑わしくなるような結論である。
かつて太宰治にあこがれ、彼の墓石目あてに禅林寺の墓所をさ迷ったこともある。
そんな「私」が残存していたのかもしれない。
ところで「借りる行為」の良し悪しについては深く考えていなかった。
時間の先取りぐらいにしか思っていなかったのだ。
今や小学生が「おサイフケータイ」を使う昨今。
「借り入れそして返済」ではなく「後払い式決済」という意識、国をはじめ総借金無感覚時代。
私はその先端を走っていたのか。
他方、私の恩師で手形・小切手法などを教えてくれた商法学者のK先生はクレジットカードを持っておられない。
確か銀行や信販会社の仕事もした父に至ってはATMさえ使おうとしない。
ある意味、便利さに隠れた金融という実体を知っているからだと思うがその姿勢に感心してしまう。
一旦思い付いたら止まらない。
すぐ行動に出た。
実家に行き、神妙な態度で父にこの件の経緯から切り出した。
父は「おまえのやっている事はようわからん。しかし、結婚もしたんだから将来のために社会人としてさらに大きな責任を持つ覚悟があるんだな。その件に関しては了解した。」
数日後、父と私はある銀行の京都支店に出向いた。
天井の高い広い空間に多くの職員が忙しそうに働いていた。
ふかふかした絨毯の上を私は上気しながら父について歩き、応接間に通された。
支店長と会うことになっていたのだ。
「これは大変なことになってきた。」と今さらながら思い始めた。
しかし、周りは私の心配をよそに大きく動き出していたのだ。