私の人生(10)
「ニュートンという人、知ってる人?」
――知ってる、リンゴが樹から落ちるの見て地球に引力があると発見した人。
――そうそう、有名な人。
――科学者。
――そう科学者だ。
「みんなよく知ってるね。マンガでも本でもあるからね。そのニュートンが夢中になってやってたものがあるのです。おとなになってから10年間くらい夢中になっていたもの、何だと思う?」
――リンゴのほかにどんなものが落ちるかなんかかなァ。
「それは、シャボン玉なんです。」
――え?おとななのに!?なんで、どおして。
「シャボン玉って、ふしぎだなァって思った。思い続けていろいろなシャボン玉を作ったんだね。小さくてたくさんのシャボン玉、大きなシャボン玉、風が吹くとみんなユラユラ、スッーと上に昇っていく、そしてパッと消える。なぜシャボン玉は重い(空気より)のに空に昇っていくのかふしぎに思ったんだね。・・・・」
・・・・・・・・・・・
「ニュートンもそう思ったんだろうね。それにシャボン玉の色。虹色に輝いたり、金色、銀色、さまざまな色の美しさ。カバゴンも時間があれば一年じゅうどこでもやってるよ。この世の中にこんなふしぎなモノがあるなんて――、いつでもどこでもシャボン玉液持って歩いてるんだ。」
――スゲェ!カバゴンって子どもみたい。
「カバゴンの放課後楽校」 阿部進(新評論) p.116,117,118
ようやく中学受験や高校受験の実績が出てきていたが、エリアを広げ告知したとしてもそれだけではインパクトがない。
悩んでいた。
と、その時、一通のダイレクトメールが届いた。
「理科実験教室を開きませんか」との誘いであった。
それはカバゴンこと阿部進先生が東京で主宰する麻布科学実験教室のノウハウを提供するというもので、直感的に「これだ」と反応した。
カバゴン阿部進といえば私の母とほぼ同じ年齢で、教育評論家として一世を風靡した方である。
私も中学生の頃テレビでお見受けした記憶がある。
そんな人物と接することができれば必ずや今後のためになると思った。
また受験制度の上に成り立っている学習塾という仕事に対して、内心忸怩たるものがあったので、科学教育分野を私塾として手懸けるには願ってもない機会と感じた。
説明会は京大会館で行われ、50人以上もの塾長達が集まった。
阿部先生は「私達がなぜここに集まっているのか全く関心がない」と言ってもよいくらい自ら楽しんでおられた。
そう、まさに「楽校」であった。何種類ものシャボン玉を作ってそれを私達に披露してくれたのだが、収益目当てに参加した塾関係者に失望の色が浮かんでくるとともに、阿部先生の熱演とは裏腹に会場が白けていくのをひしひしと感じていたのを思い出す。
結局、正式に教室開設に至ったのは私の塾のみであった。
それから22年、現在京都地区で理科実験教室として「科学の学校」は多大なる支持を得ているが、元はといえばこのような出会いから始まったのである。