「情けは人の為ならず」
このことわざは中学入試にもよく出る。
この意味を「他人に情けをかけることは結局その人のためにならない」と思っている受験生が多いからである。
ところで、霊長類を対象とした研究をされている小田亮氏はこのことわざの正解「間接互恵性」こそが利他行動の起こるしくみであると解説されている。
実は、互恵的利他行動の理論※だけでは、人間にみられる他人どうしの利他行動を説明したことにはならない。
私たちはしばしば、お返しが期待できない相手に対しても利他行動を行う。
・・・・お返しが確実でなければ互恵的利他行動は成り立たないのに、なぜ人はこのようなことをするのだろうか。
その答えは、「情けは人の為ならず」ということわざである。
このことわざは、情けをかける、つまり他人を助けることは、その人のためだけではなく、廻り廻って自分のためになるのだ、という意味である。
※・・・・非血縁間の利他行動はどのような「機能」をもっているのだろうか。
これを説明する最も有力な説が、進化生物学者のロバート・トリヴァースが提唱した「互恵的利他行動」の理論である。
・・・・・・後で相手から同じだけ返してもらえれば、差し引きはゼロになり、どちらも損をしないうえに、お互い困っているときに助かるので、両方とも得をすることになる。
このような場合には、非血縁個体に対する利他行動も進化しうるのだろう、というのが互恵的利他行動の理論だ。1)
さらに初回で引用させていただいた文章の筆者である生物学者・柳沢嘉一郎氏もこのことわざと利他行動を結びつけておられる。
すなわち利他性と社会性は関連しているのである。
だから社会性がなく、単独行動で生活する生き物には利他行動は見られないという。
社会を形成して生きていく個体には必然的に互助的能力が備わってきたというのは納得のいく考え方ではある。
しかし、私にとって「人間における究極の利他行動をそれで説明できる」とは思えない。
自分の死によって他人を助けることは間接的であろうが本人のためになるのであろうか。
命を失った者が死後に利益を得られるとは科学的に考えられない。
初回で紹介した事件に加え、過去に起こったいくつかの同様な事例を互恵性で説明できるだろうか。
1) 「利他学」 (新潮選書) p.41,44,45
著者 小田 亮 生物学者(自然人類学、比較行動学)
名古屋工業大学大学院 准教授