自らの 命を投げ出す 利他行動
事例1.
三浦綾子が著した小説「塩狩峠」は1909年(明治42年)2月28日に起こった鉄道事故の実話を元にこの究極の利他行為を主題としたものである。
北海道比布町と和寒町の間にある難所の1つであるこの峠の区間に旅客列車が差し掛かった。
そのとき、客車の最後尾の連結器が外れ客車が暴走しかけ、そのままでは乗客全員の命が危くなる事故がおこった。
彼らは為すすべもなく恐怖におののくのみであった。
しかし、その車両に偶然乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄さんがレールと車輪の間に身を投げ出すことによって下敷きとなり、暴走を食い止めたのである。
殉職扱いとなったが、そこまでの職業上の義務はもちろんない。
この行為に多くの人が感動し、今では顕彰碑が建てられている。
類似した事件は1947年(昭和22年)9月1日長崎県の旧時津村の打坂峠でも起こったそうだ。
事例2.
去年3月11日、東日本大震災のときのある人々の行動はどうであろうか。
津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員遠藤未希さん(24)は、3階建ての防災対策庁舎の2階で地震発生直後から「6メートルの津波が来ます。避難して下さい」などと防災放送で何度も呼び掛け続け、自らは津波の犠牲となった。
逃げることもできたのに同様に殉職された方々は多かったと思う。
事例3.
また2001年1月26日、JR山手線の新大久保駅で酒に酔ってホームから落ちた男性を助けようとし、カメラマン関根史朗さん(47)と韓国人留学生李秀賢さん(26)がともに電車にはねられ死亡した。
二人ともその男性とは全く面識はなかった。
事例1では本人は明確に自らの死を覚悟していたであろう。
事例3では仕事上の責任も人間同志の関係も全くなかった。
それにしても何が彼らをそのような行動に向かわせたのか。
後天的な社会的判断か、あるいは先天的な遺伝子命令か。
今となっては彼らにその行動の理由を参考程度ですら聞けないのである。