3日目は日曜日。
朝から小鳥達は元気にさえずっている。
暑い夏の日になりそうだ。水浴びもするかもしれないと思い、鳥かごの中の水入れを昨日買ってきた大きな陶器と取り替えた。
ダンボール箱の中のジュウシマツの体調も良さそうだ。
1羽だけじゃ寂しいだろうと4羽がいる鳥かごの中に入れてみる。
何とかとまり木に止まったのを確認してこのまましばらくは大丈夫だろうと思った。
この一連の行為が障害のある小鳥にとって命取りになるとは全く想像できなかった。
そして私は出かけてしまった。
昼頃家から私の携帯に連絡があった。
「あの小鳥が溺れて死にかけている。」私はあわてて家に戻った。
夏休みで帰省している大学生の息子が家内とともに深刻な顔をして突っ立っている。
当の小鳥はタオルの上に横たわっていた。
ことの経緯は鳥かごの近くでパソコンをしていた息子が水入れの中でバタついている小鳥に気づき、家内に報告、結局彼が取り出したらしい。
初日に行った診療所に向かった。
なぜか息子まで付き添ってきた。
3人とも無言のまま車は走り続けた。
病院を見つけ、車を駐車場に止め、すぐに駆け込んだ。
「少しお待ち下さい。」と受付嬢の落ち着いた対応に、「そんなの待てるか!」とうっかり言い返しそうになった。
いらいらして待つこと数分(もっと短かったかもしれない)、やっと呼ばれた。先日と同じ(と家内の言う)女医さんにタオルごと小鳥を渡した。
「残念ですね。もう死んでいます。」大きな衝撃を受けた。
先生は小鳥を撫でながら何やら私達に話しかけてくれていた。
最後に「今日の診察料は要りませんので」と言われ病院を後にした。
それからも残った4羽の世話はもちろん続けざるを得なかった。
8月、9月と過ぎていった。
そして先日の2羽目の小鳥が死ぬ事態が起こった。
原因そのものは分からなかったが、残りの3羽を何とかしなければと思い、知人に教えられた小鳥屋にえさをその日すぐに買いに行った。
その店オリジナルの「皮つき配合飼料」と「あわ玉」を購入した。
1日に30分でも日光浴をさせるよう指示も受けた。
そして小鳥の飼い方に関する本も手に入れた。
そこにはケガや病気のことも事細かに書かれていた。
読んでいくうち疲れてきた。
さらには小鳥の老化現象のことまで!老後の世話まで考えると気が遠くなってきた。
私がのぞいてやると小鳥達は意識したようにケージの中を喜んで跳びはねたり、さえずったりする。
夜になって眠るときは小鳥達は身体を寄せあう。
何と可愛らしい仕種だ。
そのうち私は世話をしながら小鳥達に話しかけている自分に気づいた。
知らないうちにこんな私に情愛が芽生えてきているではないか。
いやこれは小鳥達の作戦だ。
あのリチャード・ドーキンスの言う「利己的遺伝子」の仕業に違いない。
とは思いつつも「そろそろヒーターをつけてやらなければいけないのかな」と心配しながら今も世話を続けている私である。(おわり)