初対面のときの私の対応がまずかったのか当初Y先生は私に大学レベルの数学を提供しようとされた。
それは私の学力レベルを理解しておられなかったからだ。
Y先生本人の高校時代の数学力と私のそれとが大差のないものだと考えられていたのではなかろうか。
自分が高校時代に考えた差分方程式の公式の作成過程のプリントと、同じく高校時代に読んでおもしろかった(?)書籍「R・クーラント H・ロビンズ 数学とは何か」(森口繁一監訳 岩波書店)を私にくださったのだ。
前者は高校では習わない高等数学であり、後者は大学受験参考書レベルの解法ではなく数学の本質を説く私には難解な著書であった。
私の学力を高く評価して下さっているY先生に多少の遠慮もあり、始めて数回の指導の間は我慢していた。
しかしこのままだと時間の無駄だと思えてきた。
ついに私はY先生に「指導していただく学習内容は、私が決めさせていただきます!」と宣言した。
一瞬先生はキョトンとした顔をされた。
不愉快な表情もされなかったので私は胸をなでおろした。
その後は受験問題集の解説や大学入試の過去問などを私が具体的に示して受験に必要な論点を質問していった。
それに対するY先生の回答が理解できなければ、分るまでレベルをどんどん下げて説明していただいた。
やはり問題の根本を理解しておられるからであろう、細かく噛み砕いてどこまでも、初歩の原理原則まで戻っていただいた。
後に実感するのだが、教師という者はやはりその分野で本物でなければならない。
この経験から私はこんな例えをよく言う。
「ウィスキーを水で割るとき、安物は途中で水っぽくなるが、本物はどこまでも薄められる。」