私の人生(14)
本性
本性とは、生物が生れながらにもっている無条件反射である。
本性とはその生物が、環境に適応するための必須の行動である。
逆に考えれば、そのような本性をもたない生物は、環境に適応せずに死に絶えたのであって、そのような本性をもった生物だけが、生き永らえて今日生存していると考えた方が、正しいかも知れない。
本性を目的的に分類して、個体維持の本性と種属維持の本性に分けることは通説である。
私はこれをさらに次のように分類して考える方がわかりやすいと思う。
個体維持の本性を、恒常性、対敵性、適応性の三つに分ける。・・・・
(3)適応性(模倣、探究)
動物はこの模倣反射と探究反射という無条件反射から、環境に適応するための条件反射を獲得していく。・・・・
人間の母親は、子どもの模倣反射を利用して言葉を教えていくだろう。
子どもが言葉を憶える原動力は、この模倣反射である。
一歳や二歳の子どもが言葉を憶えるのは、有名幼稚園や、有名小学校に入るためではない。
憶えたいから憶えるのである。
子どもは遺伝子に刻み込まれた模倣反射のおかげで、初めて人間社会の仲間入りができるのである。・・・・
赤ちゃんが、何でも破いて見るのも、母親が大事にしていた引き出しをあけて中のものをみんな引き出してしまうのも、またもう少し大きくなると、「なぜ?」「どうして?」の連発が始まるのも、すべて探究反射の現われである。
「知能教育学入門」 肥田正次郎(明治図書) p.41~44
教育ということに執着していた私は、理科実験の部門を立ち上げることができたので、今度は幼児教育の分野に興味を持った。
ちょうど息子がその時期だったこともあろう。
いろいろ調べてみたがもうひとつ私のイメージと合わない。
そんな時、知能研究所を知った。
開業のために用意された研修として「夏の講座」を申し込んだ。
確か私の塾の夏期講習と重なっていたと思うが、それを他の先生に任せて参加するほど意気込んでいた。
東京へ出向いて朝から夕方までほぼ1週間、いつもとは逆、生徒の立場で授業を聞くのはかなり疲れた。
しかしそのお陰で良い出会いもあった。
1つは漢字教育の石井勲先生など高名な方の講義を聴けたこと。
もう1つは知能研究所の関係者と交流ができるようになったことだ。
ところで知能研究所の創始者の肥田正次郎先生は前年に亡くなっておられ、講座参加当時の所長は法政大学教授千葉康則先生であった。
肥田先生の人柄を聞くにつれ「もう少しはやく夏の講座に参加すればよかった」との思いがつのった。
ただ、同じ大学出身ということもあって千葉先生には親しくしていただいた。
このようにしてようやくアカデミックな雰囲気の中、教育について話し合える人達にめぐり会えた。
講座やその方々との交わりの中で興味を持ったのが「本性的快」という考え方である。
これは前掲書「知能教育学入門」に書かれている本性の一種、適応性(模倣反射、探究反射)が満たされたときに生じる快さをいう。
幼児教育はそれを利用して行うことが基本であるとのこと。
「なるほどな」と感心した。
確かに幼児に「頑張れ!」「根性!」など言っても始まらない。
そういえば、私が導入した理科実験指導は本性的快を利用した典型的事例ではないか。
それならばこの「本性的快」というものは幼児期だけではなく少年、青年、ひいては成年の時期にも当てはまるのではないかと直観的に私は思った。
また自分の学生時代を振り返り、その頃もし学習に「快」があったならば幸せであったろうにとも思った。
これを切っ掛けに育星舎で「快」を取り入れた受験指導はできないものか、いろいろな方法を探り始めた。