私の人生(6)
天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
……さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰ってきて、彼らと清算をした。
……二タラントの者も来て言った。
『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。
『…私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。
『悪いなまけ者のしもべだ。……
マタイの福音書 25章 14~26節
◆ これは現代用語「タレント」の語源になったと言われているイエスのたとえだ。
この章ではこの物語を含め一連のたとえで、どのような者が天の御国に入れるかを示している。
塾以外に生活の足しに行なったアルバイトの1つが弁当屋の配達だった。
そこは3,000食程を扱う中堅クラスの会社でいくつもの配達コースがある。
それぞれ弁当を車に積んで行くのである。
12時までに届けなければならないのだが、早く出発するコースは8時頃にスタートする。
私は10時頃出発。
それまでの間はおばちゃん連中と一緒に弁当におかずを詰めていく作業。
ところで、その会社では我々配達員が拡販したからといって特別賞与などは出なかった。
だから社員や学生アルバイトも配達先を増やすことなど誰も考えなかった。
しかし、私は同じコースを走りつづけることに虚しさを感じていた。
ある時、悪いこととは思ったが黙って弁当を少し多めに持ち出してコースを走りながら営業をし出した。
私は新潟生まれで、東京、大阪と転々として小学4年で京都に落ち着いた。
だから生粋の関西人ではない。
そして目指していた職業は違う。
「まいど」「おおきに」これらの言葉を使うのはなかなか抵抗があった。
反面、やり出したらおもしろかった。
弁当1つで、どこでも入れる。
例えば美容院や建設現場の仮設事務所など今までよりも私の世界は広がった。
しかし、営業実績はなかなか出なかった。
別の会社の弁当が入っているときはなおさら、その中味の充実さに参ったこともあった。
そんな中、営業トークも板についてきて徐々に入れてくれる所が出てきた。
契約先の弁当の中身が貧相なときは自前でコーヒー牛乳などをつけた。
そんなことを続けていくうちに私のコースも一人前の顧客数・売上になっていった。
私と仲の良かった連中はこの実績を評価してくれ、それに伴い特別に社長から金一封を頂いた。
さらに社長の息子さんから「君は塾をしているそうやな。うちの子供をみてくれへんか。」と言われた。
驚いた。
有名私立大学の学生アルバイトもいたのに私を指名してくれたのだ。
他人(経営者や上司)に言われなくても、自分で工夫して道を切り開く。
目の前の利益を追い求めることなく、自分の能力を惜しみなく出しきって結果は天にゆだねる。
この一件は後の塾運営にも役立つこととなった。