私の人生(5)
自分には自分に与えられた道がある。
……広い時もある。
せまい時もある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
……他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
「道をひらく … 道」 松下幸之助 PHP
「開校した学習塾は器も中身(教育方針)も他人に自慢できるものではない。反面生徒へは先生として威厳を持たなければならない。」
その矛盾をかかえながら生活を送っていた。
この頃のエピソード、2つ。
ある生徒が教室の隅にあるカーテンを開けて「これ何」と言われた時には返答に窮した。
そこには生徒に見えないように寝床をたたんで置いていたのだ。
私の生活状況を知られたと思ったのでしばらく落ち込んでしまった。
また、大手銀行に勤める中高時代の同期生から結婚式への招待があった。
気乗りはしなかったが同じく誘われた医師である友人の勧めもあり出席した。
「場ちがい」とはまさにこのことである。
新婦は某大手銀行の幹部のお嬢様で、お歴々が出席している。
彼は東大出だから友人もエリートコースを歩んでおり、皆自信に満ちている。
そんな中で私はK塾塾長(その後、育星舎と改称)として紹介され、いたたまれない思いで祝辞を述べた。
これらのことは今から思えば「若さ故の悩み」とはいえ、鮮烈に覚えている。
ところで生徒は少しずつ増えていったが、大手進学塾のフォロー希望者や、大手進学塾に入塾できないレベル層を相手にと指導法は困難を極めた。
クラス指導をしたかったのだが、2、3人集まればそこに学力差が存在する。
それぞれが不満を言う。
ついには塾を辞めてしまう。
何をすべきかわからなくなってきた。
「まわりの塾すべてが順調で、自分だけがうまくいっていない」とどうしても否定的に捉えざるを得なかった。
塾の立ち上げ当初の希望と勇気が消えそうになってきた。
あるときふと昔のことを思い出した。
東京の司法試験の受験指導をする団体の中に「受験生個人に24時間机を貸すシステムがある」と聞いて驚いたことがある。
辛い受験生活を仲間と過す良さもあったようだ。
そこで実家から昔の学習机を2台持ってきて「自分専用の机として、塾を開けている時間、一定額の月謝で貸し出す」ことにした。
すると希望者が現れ、2台とも決まった。
そうして一番安い事務机を1台、1台と増やしていった。
机と机の間にはベニヤ板を立てた。
生徒が順調に増え出してきた。
何かすばらしい鉱脈を見つけたような気がした。