私の人生(2)
……それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
……彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
……こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
…… 父は彼※に言った。
『……だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』
※息子の兄
ルカの福音書 15章 13、16、20、21、31、32節 (新改訳聖書)
これは有名なイエスのたとえ「放蕩息子」の一部である。
似た話として法華経の信解品第四「長者窮子のたとえ」があるといわれている(『新約聖書』の「たとえ」を解く 加藤隆 ちくま新書p.121)が、聖書の場合「父」は神であるとの解釈が通説であろう。
すなわち、このたとえは、「神の救い」「神の愛」を説明していることになる。
大学に入るまでの私はまるでレールの上を走っている汽車のようだった。
自分の将来について悩まなかったことは一見幸せなようだが、いつまでもそれが続くはずはない。
父は人一倍苦労をしてきたので「息子には辛い思いをさせたくない」と思ったのだろう。
母は父に従順で、母性の強いタイプだったので、私に対して過保護になったのかもしれない。
親が良かれと思い子に与えた環境が皮肉にもその子を苦しめる結果となることは世の古今東西を問わずよくある話だ。
私は20才近くになって「自由」を知った。
そして「自己」のない私にとって新たな羅針盤は見つからなかった。
その無防備な漕ぎ手のいない小さな一艘の舟は入り江を出て大海を彷徨いだした。
そして10年、父母を裏切った代償は大きかった。
ある一冊の本が「自分とは何か」の問いに光を当てた。
榎本保郎著「旧約聖書一日一章」(主婦の友社)がそれである。
疾風のごとく人生を走り抜いた著者の絶対的哲学がそこにあった。
私は榎本先生の人物像に迫るべく、書籍その他から知るかぎりのものを集め、生前の氏を知る人物にも出会った。
それで判明したことは「一人の人間の信を選び行なう勇気・行動、それに応える天の御心が何とも形容し難い感動的物語を生み出している」ということだった。
私は一縷の希望を持って、社会の一員として働き出した。
教育のことなど微塵も考えなかった。
自分一人が生きるので精一杯の日々が続いてそんな余裕はもちろんなかったのだ。