「塾はやくざな商売やな」。
若い頃偶然同じく学習塾を始めた小学校時代の同級生とたびたび情報交換する中で、自分達の職業をこのように表現していた。
開業するのに資格など要らない。
部屋と机・椅子さえあれば誰でもできる。
そして保護者の親心をつかみ、生徒の扱いを工夫し、自分の指導技術をきたえ、その結果として実績なるものをつくり上げればそれだけで塾ははやる。
もちろんやり方次第では企業にもなり得る。
私は20歳代ひどく荒れた生活をしていた。
30歳そこそこで始めたこの業種はそんな私にとってピッタリのはずであった。
生徒数は順調に増えていったが、私の心は満たされず仕事が終わると夜な夜な木屋町などに出て行き(近所では顔がさすので)明け方近くまで呑み歩く日々が続いた。
ある時A君という生徒が小学校5年で入塾してきた。
関西圏以外の私立中・高一貫のある進学校を目指していたが無事合格してくれた。
御家族は引越しもされたのでこれでお付き合いも終わりと思っていたところ、それから律儀にも年2回御連絡下さるのである。
その度にA君のお母さんは息子が私にどれほど良い影響を与えられたかを強調され、「本人は今でも先生を慕っている」と言われる。
当初私は困惑し、聞くたびに身の縮まる思いでいた。
それも10年継続されて気づいてみると私の中に確実な変化が起こっていた。
最近ある新聞で精神科医 定本ゆきこ氏の「カリスマティック・アダルト」と題した文章を読んだ。
「子どもたちは、これからどんな自分になっていけばよいのかというお手本を、身近に出会う大人に求める。こんな時、あの人ならどう考えどう行動するだろうかというモデルとなり、子どもの人生や人格形成に大きな影響を与えていく大人を、その子どもにとってのカリスマティック・アダルトという。」
私は今「自分は教育者である」と思っている。
それは社会的にも大変な責任を持つものであって軽々しく言えるものではない。
しかし、子どもと接する限りもう逃げることは許されない。
私のような者にとってはそのために自分を叱咤激励し続けなければならない道が続く。
それでも今の私にとって「自分にも天から与えられた使命があったのだ」という喜びは社会的地位や金銭などでは決して得られない特別のものだ。
私をここまで変える役割をになって下さった方々は、多くおられる。
その代表的存在としてA君御家族にも感謝申し上げなければならない。